死肉喰らい
遭難から四日目の早朝、この日も穏やかな日差しが広がっていた。
ブルーノを隊長とする七名の魔法士と、副船長を隊長とするおよそ二十名の水夫たちは、クラリッサとディアナを水先案内人として、昨日発見した人攫いの拠点と思われる場所へと出発した。
ベースキャンプとなった森の広場には、連絡役として数名の者が残されただけで、ほとんどのメンバーがこの探索に参加していた。
一行は川沿いに進むと、ディアナが発見した森の中に続く暗くポッカリと開いた道を前で立ち止まった。
「この先か!」
「聞いていたよりも、かなりしっかりした道ですな?」
ブルーノや副船長が驚きの声を上げた。
いや、彼らだけではなく、アルマやマーヤはもちろん、他の水夫達も驚きの声を上げ、目を大きく見開いて森へと続く道を興味深そうに視線を向けていた。
「この道が完全に隠されていたなんて、本当に驚きだわ!」
「ほんとね。川にある石の並びも、ここからじゃまったく気付かないもの。さすがアルケミアの学生よね!」
アルマとモニカが、隠されていた道や川にある石の並びを確認し、揃って感嘆の声をあげていた。
道の発見もさることながら、川の浅瀬に不規則に並べられた石の配置も、見事に周囲の風景に溶け込んでいたのだ。通常の視点からでは、ただの自然な岩の配置としか認識できないだろう。
「でもこれではっきりしたわ。これだけ隠そうとしてるということは、ここは重要拠点にちがいないわ!」
彼女たちの横で、マーヤが確信に満ちた表情でつぶやいた。
彼女の瞳は鋭く、その言葉には並々ならぬ決意が込められていた。この場所がこれほどまでに厳重に隠されているのは、それが誘拐犯にとって極めて重要な意味を持つ拠点であることを物語っている。そこを潰すことができれば、犯人グループに壊滅的な打撃を与えられるだろう。
一行は小休止をおこなった後、森の中へと分け入っていき、ほどなくアジトを見下ろせる崖の上へと到着した。
「あれか?」
ブルーノは双眼鏡を手に、巧妙に隠蔽されたアジトを見下ろした。
事前に聞いていたものの、そこにあると聞いていなければ、見分けることができなかったかも知れない。それほど巧妙に偽装されている。
「変ね? 昨日と違って人が多いですわ」
すぐにクラリッサが前日と違って、人の出入りの激しさに気がついた。
昨日はどこかのんびりした雰囲気が漂っていたが、今日はこうして見ているだけでも、多くの人の出入りがあった。
「もしかしたら取引があるのかも知れねぇ」
ブルーノと同じく双眼鏡を手に確認していた副船長が、重苦しい声で呟いた。その声は、静まり返った一同に不穏な響きを広げ一気に緊張に包まれる。
ディアナ達は顔を見合わせる。その表情には不安と警戒の色が浮かんでいた。
「まさか? 奴はマルコじゃねぇか!?」
引き続き双眼鏡を覗いていた副船長が、驚きの声を上げた。
双眼鏡には浅黒く小太りの男が映っていた。顔中を黒い髭が覆い、見るからに粗野な雰囲気を漂わせている。副船長のその声に、水夫達は一斉に顔を見合わせた。どの表情にも恐怖と嫌悪感が漂っていた。
「マルコ?」
「人さらいから強盗まで、あらゆる略奪行為を働くことで悪名高い海賊です!」
副船長の説明によると、マルコ率いる海賊団は「死肉喰らい」と呼ばれ、この近海で恐れられていた。彼らは単なる略奪者ではない。あらゆる非道な行為に手を染め、その悪名は広範囲に及んでいた。人さらい、殺人、さらには暗殺まで、彼らにとってためらいは存在しない。狙われたが最後、標的となった者には一切の容赦がなかった。
しかし、何より彼の名前を有名にしたのは、彼のその手に握られた一本の杖に他ならない。彼はかつて将来を嘱望された魔法士だった。彼は「鉄壁」と称されるほどの防御力を誇り、噂では大砲の砲撃でさえ防ぐと噂されていた。
彼が魔法士としての過去を捨て、海賊となった経緯は謎に包まれているが、彼の存在は「死肉喰らい」を他のどの海賊団とも一線を画す存在にしていた。
「奴らこのあたりを縄張りにしてるんですが、こんなところに根城があったとは……」
「死肉喰らいは、海軍でも捜索していたわ。今まで拠点が見つからず手を焼かされていたそうですけど、これだけ手の込んだ拠点なら仕方ないわね」
マーヤの言葉に、一同は静かに頷いた。誰もがこの隠された拠点の巧妙さに感嘆していた。海軍が長年探し続けていたにもかかわらず、その所在が掴めなかったのも無理はない。周囲の自然に溶け込むように作られたこの場所は、並大抵の偵察では発見できないだろう。
「この拠点を目立たせないために、この辺りではなくわざわざ別の場所から木を伐採したのでしょう」
クラリッサも呆れたように言葉を零す。
伐採された木の切り株一つでさえ、周辺の植生に影響を与え、不自然な痕跡として残ることがある。それを避けるために、わざわざ遠方から木材を調達したというのは、彼らの徹底した用心深さを示していた。おそらく木材を運搬するルートも綿密に計算され、痕跡を残さないよう細心の注意が払われたのだろう。
「でも、海賊と人さらいって何だか結び付かないわね?」
「そんなことありやせん。隣のドナート王国の話ですが、奴隷商人に雇われた盗賊なんかが、裏で人さらいをおこなっていると聞いたことがあります。マルコも元々はドナート王国から、こっちに流れ着いた海賊です。奴隷商人とつながっててもおかしくありませんぜ」
アルマの疑問も、副船長の回答ですぐにそれは解消した。
海賊といえども、略奪行為だけでは食べていくのも困難だった。獲物が見つからない日もあれば、嵐に阻まれて船が出せない時もある。陸に上がれば、食料も水も調達しなければならない。乗組員の給料、船の修理費用、武器の調達費など、出費はかさむ一方だ。
そのため今では、多くの海賊が単独で活動しているわけではなく、闇商人や奴隷商人といった裏社会の人間と密接な関係を築いていた。商人たちは、特定の海賊団を「私設の海賊」として囲い込むケースも少なくないそうだ。
彼らは海賊団に資金や物資を提供し、その見返りとして特定の標的を襲撃させたり、自分たちのビジネスの邪魔になる存在を排除させたりし、海賊団は、商人の庇護のもとで安定した収入源を確保できるのだ。
「なんだか世知辛い話ね」
モニカが思わず零したように、現代の海賊はもはやロマンチックな冒険者ではないのだ。そしてその背後には、彼らの暴力を利用して莫大な富を築く、さらに巧妙な闇の支配者たちが潜んでいるのである。
「海賊が相手となると、このまま近づくのは危険かも知れない。何とかして海軍に知らせたいところだが……」
「海賊マルコっていやぁ、船乗りの間じゃ『まずは逃げろ』と言われるほど危険な海賊です。この人数で近づくのはさすがに危険です」
彼らは総勢およそ百名近くいると言われる大所帯で、三十名足らずではあまりに分が悪かった。
意気込んでここまで来たものの相手が悪すぎる。誰もが黙り込むしかなかった。
「やはり救援を待つしかないかしら?」
クラリッサの声が、静まり返った空間に虚しく響いた。だが、その言葉に反論できる者は誰もいない。
撤退して救助を待つという選択肢も頭に過ぎるが、大きいとはいえ無人島内では見つかるのも時間の問題のように思われた。しかし、彼らに見つかる可能性がある以上、この島で簡単に狼煙を上げる訳にもいかない。絶望的な状況で時間だけが虚しく過ぎていくかと思われたその時、ディアナの静かな声が響いた。
「船がきた」
沖合に船を発見したのだ。
彼女が指差す水平線の彼方には、黒い点のようなものが見えた。ブルーノと副船長が双眼鏡で確認すると、それはすぐに帆船であることが判明する。
救助を待つ身であれば歓喜に包まれるはずだったが、誰も声を上げる気分にはなれなかった。距離が離れすぎていたため、それが救援船なのか海賊船なのか判別できなかったからだ。
身を隠しながら徐々に近づいてくる船を待っていると、海賊の拠点がにわかに慌ただしくなった。やがて建物の密集する一角、一際高い木の上から白い旗が振られ始めた。
「ちっ、海賊船か!?」
ブルーノが苦々しい顔で吐き捨てた。
白旗が振られる中、近づいてきた船は海賊船には見えず、どう見ても普通の商船のようだ。
「さすがに海賊旗を掲げて港に入港するわけにはいかねぇからね。商人が後ろ盾についてる海賊はみんなこんなもんさ」
船は島影の岩礁の間に紛れるように停泊すると、そこから複数のボートが下ろされ、入り江に近づいてきた。
どのボートにも、商人や水夫の格好をした男達が乗り込んでいた。女性も何人か混ざっているが、拠点に残る者達と違って、誰もが一見して海賊とは分からない格好をしていた。
入り江の奥にはいつの間にか浮き桟橋が用意されていて、男たちはボートを泊めると拠点へと上っていった。
「もしかしたら、子供達を連れていこうとしてるんじゃないかしら?」
クラリッサのその言葉は、まるで冷たい水を浴びせられたかのように、マーヤの心臓を締め付ける。
「そんな……」
この数年間、この未解決事件を追い続けてきたマーヤは、悲痛な表情を浮かべた。クラリッサの指摘が真実ならば、すぐ手の届くところにいる子供達を、みすみす奴隷商人に渡してしまうことになるのだ。
「このままでは子供達を助けることができないわ!」
この国とは違い、奴隷制度の残っているドナート王国に連れていかれてしまえば、もはや取り返すことは不可能だ。マーヤが確認するようにブルーノを見る。
「そうね。助けるなら今しかないわ」
「うまくいけば船も奪えるかも」
アルマとモニカの二人も、マーヤに触発されたようにやる気を漲らせて頷いていた。
だが、マーヤも含めて二人以外は難しい顔を浮かべたまま黙り込んでいる。
「皆、どうしたの? 子供達が売られちゃうんだよ!?」
「そうよ。マルコ以外は魔法士じゃないんでしょ。わたし達は七人も魔法士がいるのよ。助け出すことだってできるわ!」
二人は子供救出を訴えるが、皆黙り込んだまま動こうとしなかった。
「いくら海賊だといえ、相手は魔獣じゃなく人なんだぞ! お前らは人に躊躇なく魔法を撃てるのか!?」
「それは……」
だが、ブルーノがそう言って重い口を開くと、その二人も戸惑いを見せて口を噤んだ。
魔法を人に向けて使うことは、固く禁じられていた。それはユンカー時代でも口を酸っぱくして言われ続けてきたことだ。確かに、模擬戦において魔法を使うことがあるが、それはあくまでも訓練に過ぎない。その際も、低級の魔法しか使うことは許されていない。対人での魔法行使は、あくまで国家間の大規模な戦争という、極限状況においてのみ許される行為だったのである。
重い沈黙が続く中、クラリッサが顔を上げた。
「……やるしかありませんわね」
「クラリッサ様!?」
「放置しておけば被害は増えていきますもの。それに相手は海賊です。それこそ模擬戦のように手加減なんかしてくれる相手ではありませんわ! 躊躇すればやられるのはこちらなのです。ここは覚悟を決める時ですわ!」
ブルーノが戸惑いの声を上げる中、クラリッサは強い決意を秘めた表情で訴えかけた。
相手は悪名高い海賊だ。どれだけ自分達がルールを守ろうとも、彼らは全力で排除しようと抵抗してくるだろう。禁忌に縛られていては、子供達はおろか、自分達の命すら守れないかもしれないのだ。
「ん。やろう! 今が好機!」
クラリッサの言葉に、ディアナが即座に同意した。
「そうね。クレアちゃんの言葉で、わたし達も覚悟が決まったわ」
モニカと頷き合ったアルマが、力強い眼差しをブルーノに向けた。彼女達の表情からは、もはや迷いは一切なかった。
「ディアナちゃんの言う通りね。相手は多いけど、逆にまとめて捕まえる絶好のチャンスだわ」
長年追い続けてきた悪夢のような事件を終わらせられると、マーヤも意気込みを見せた。彼女の拳は固く握られ、その瞳には燃えるような正義の炎が宿っていた。
「……わかった。やろう!」
沈黙を破り、ブルーノは皆の顔を一人一人見渡すと、ついに覚悟を決め力強く告げた。
彼の声にはそれまでの迷いや葛藤が嘘のように消え去り、この作戦を必ず成功させるという固い決意が満ち溢れていた。
彼の決断に、その場の空気は一気に引き締まり、皆の顔に希望の光が差すのだった。




