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上を下への大騒ぎ

「父上!」


ベルンハルトが執務室に向かっていたところ、次男のファビアンに呼び止められた。彼が足を止めて振り返ると、ファビアンが駆け寄ってくる。

ヴィンデルシュタットにある領主邸だ。


「今度のクレアの帰省に合わせて、アルフォンス殿下もいらっしゃると聞いたのですが、本当なんですか?」


「本当だよ。クレアやディアナさんと一緒に、殿下もいらっしゃるそうだよ」


クラリッサからの手紙が前日に届き、アルブレヒトブルク出立の日が記されており、その日までに馬車の手配をお願いするという内容と共に、帰省時にアルフォンス殿下が同行する旨が書かれていたのだ。


「何でまた殿下が同行することになったのですか?」


「手紙では詳しく書かれていなかったけれど、驚くべきことに、どうやらアルフォンス殿下は今年アルケミアに入学されたらしいんだ」


「殿下がですか!?」


ベルンハルトの言葉にファビアンが大きく目を見開いた。

全ての貴族にとって絶対的な守護の対象である王族が、王国の盾であり矛でもある魔法士の養成学校に入学するなど、本来ではありえないことだ。


「ああ、その殿下がだ」


クラリッサの手紙には、その辺りの経緯などが書かれていないため詳細が分からず、ベルンハルトも戸惑った表情で頷いた。


「クレアの手紙によると、殿下はクレア達とブライトナーへ行くことを希望しているようなんだ」


「ブライトナーへ? まさか平民と同道するんですか!?」


ブライトナー行きは一年前から計画され、クラリッサやディアナも楽しみにしていた。彼女達だけではなくユンカー魔法学校で仲のよかった少女達にも声をかけていると聞いていた。だがクラリッサとブルーノを除けば、ディアナを含めて全員が平民だ。王族に対する所作などほとんど知らないに違いない。


「そのまさかなんだ。ただ、殿下は我々に気を遣わせないよう、身分を侯爵家の子息と偽るそうなんだ。我々への対応も侯爵家に準ずるもので構わないと仰られているそうだよ」


「それでも平民にとっては雲の上の存在じゃないですか? 本当に大丈夫なんでしょうか?」


ファビアンが心配そうに眉根を寄せた。

粗相があってからでは遅い。処分されるのは平民だけとは限らず、辺境伯家も連帯責任を追及されないとも限らないのだ。


「おおらかで気さくな方らしいから大丈夫だと思いたいが、問題はこちらよりもダウデルト家だろうな」


「子爵にとっては災難ですね。まさか王族を迎えるとは思ってもなかったでしょうから。今頃大慌てではないでしょうか?」


ブルーノの実家であるダウデルト子爵は、ビンデバルト辺境伯に寄子として長年仕えてきた。そのため中央と関わる場合のパイプ役は全て辺境伯経由でおこなっており、これまで王族はおろか中央の貴族と直接関わりをもったことなどない。


「王族はともかく侯爵としても、子爵にとっては格上の存在だ。今頃ブライトナーではてんやわんやだろう」


ベルンハルトもファビアンもそう言って、心配そうに顔を見合わせるのだった。






ベルンハルトやファビアンの予想通り、ダウデルト子爵家の当主であるジークムントは文字通り頭を抱えた。

彼の執務机の上には、今日届いたばかりのブルーノからの手紙が広げられていた。息子の手紙によると、今回の帰省時に、アルフォンスが同行するとの簡潔な一文があった。


「うちに殿下がいらっしゃるだと!?」


ジークムントは頭を抱えたまま、呆然と手紙を見つめていた。

ジークムントは、ブルーノと同じ黒髪で褐色の目を見開き、口の周りに髭を蓄えた壮年の男だ。辺境伯軍を長年与ってきたことを物語るように、よく焼けた褐色の肌と服の上からでも鍛え抜いた肉体のラインがよく分かった。

彼は魔法は使えなかったが、ダウデルト家は代々優秀な魔法士を輩出することでも有名だ。彼の子であるブルーノを始め、娘のカサンドラや三男のランベルトも将来の魔法士候補としてユンカーに通わせ、カサンドラは今では魔法兵団で活躍していた。

ブルーノからは、今年クラリッサをブライトナーに招くことは聞いていた。寄親の息女を招くため、それこそ一年かけてその準備を進めてきたのだ。それが根底から覆される事態に、ジークムントは頭が真っ白となった。

辺境伯の寄子でしかないダウデルト家では、王族を迎えることなど想定すらしていない。そのため、それに相応しい格式ある調度品などももちろん用意していなかった。寄親の息女であるクラリッサを招くというだけで、一年もの期間をかけて準備を整えてきたのだ。今から大急ぎで準備したとしても、まったく時間が足りなかった。


「子爵様、お呼びでしょうか?」


「ギーゼラ……」


妻であるギーゼラが現れるまで、ジークムントは彼女を呼んだことすら忘れていた。力なくストンと椅子に腰を落とすと、ジークムントは呆然とした表情のまま、手紙をギーゼラに手渡した。

彼女は、辺境伯であるベルンハルトの妹だ。いわゆる政略結婚だったが、ジークムントとギーゼラの仲は睦まじく、今では三男二女の母親となっていた。


「えっ……」


読み進めるうちに彼女の表情が険しくなり、読み終わったとき彼女の顔は血の気が引いて蒼白となっていた。


「まったく。王族との顔つなぎができるのは喜ばしいが、如何せん話が急すぎる。格式を求めるなら、王都から職人を呼ばなければならんが、それではとてもではないが間に合わん。ブルーノめ、まったくやっかいなことをしてくれる」


「ブルーノの手紙では、アルフォンス殿下が同行することになったことしか書いていません。もしかしたら辺境伯様ならもう少し詳細がわかるのではありませんか? クラリッサ様からも、こちらと同じように辺境伯様に連絡が来ているでしょうから。もう少し詳細が分かるかも知れません」


「そうだな。ベルンハルト様に確認してみよう。しかしブルーノは報告書ひとつまともに書けんのか。戻ってきたら報告書の書き方をみっちりと教え込まねばなるまい」


これまでもブルーノからの手紙は簡潔すぎて詳細が伝わらず、辺境伯家から詳細を知らされるということを繰り返していたのだ。報告書の書き方は、幼い頃から教えてきたはずだが、どうやら報告すべきこととどうでもよいことの区別がついていないようだ。

二人は溜息を吐きながら、急いでベルンハルトに問い合わせるのだった。

それによりようやく詳細を把握したジークムントは、それでも眉間に深い皺を刻んだままだった。


「どうやら殿下は侯爵家の子息と偽ってやってくるらしいぞ」


今回は、クラリッサからの手紙でも経緯については記されておらず、どういういきさつでアルフォンスが同行することになったのかが分からないままだった。だが、どうやらこちらへの負担を鑑みて、侯爵家としてやってくるということを知れたことは朗報だった。

その後、ジークムントはベルンハルトと交渉し、ブライトナーにある辺境伯家の別荘から調度品を貸してもらえることになった。侯爵家に対する格としては、それでも少し足りなかったが、何もないよりはましだ。侯爵家として訪れるなら、それで最低限の面目は立つだろう。

急遽運び入れられる調度品をあれこれと指示しているギーゼラを眺めながら、ジークムントはホッと息を吐いていた。王族が下向するという栄誉に与ることは、辺境を治める子爵家にとっては喜ばしいことではある。しかし肝心のブルーノからの報告では要領を得ず、毎度のようにベルンハルトから詳細を知らされるというのは面白くない。

休みの間、ブルーノには徹底して学ばせなければならぬと、ジークムントは決意を新たにするのであった。






頼りない情報を元に、実家があたふたと気苦労を重ねていた頃。アルケミアでは前期の授業が修了し、長期休暇へと入っていた。

ほとんどの学生が実家へと戻っていく中、正門の車寄せに二台の馬車が並んで止められていた。一台はビンデバルト家の紋章が入った辺境伯家の馬車。もう一台は王家から派遣された馬車だ。

手慣れたように自分達の荷物を荷室に積み込んでいくディアナらに対し、アルフォンスはバルナバスやアウレールが荷物を積み終わるのを眺めていた。今日は二人の他に道中の護衛をおこなう騎士が四人派遣されていた。馬車からやや離れた位置で、全身に煌びやかな鎧を纏った彼らは、黙ったまま準備が終わるのを馬に跨がったまま待機していた。


「護衛らしくありませんわね? まるでこちらを監視しているようです」


騎士が放つ剣呑な雰囲気を感じ取ったクラリッサが、彼らを見渡しながら眉根を寄せた。


「まぁね。クラリッサの言うとおり、彼らはわたしの監視役さ。おそらく兄上の誰かから見張ってるように言い含められているはずだよ。場合によっては、わたしの暗殺も言い含められているのかも知れない」


アルフォンスは、淡々と他人事のようにそう言った。

もしかしたらクラリッサが考えるよりも、王城でのアルフォンスの支持者は多いのかも知れない。でなければ、側室の第五王子という中途半端な立場のアルフォンスを、ここまで警戒しなければならないのはおかしいのだ。


「それでも護衛任務はキチンと果たしてくれるはずさ」


当のアルフォンスがそれほど気にしてない以上、クラリッサが心配しても仕方がない。

いつもならヴィンデルシュタットに帰るとなれば、ワクワクと待ち遠しかったが、今回は出発前から憂鬱な気分だ。


「やっかいごとを抱え込んでしまったかしら?」


「ん。どしたの?」


不思議そうな顔を向けたディアナに、クラリッサは「何でもありませんわ」と微笑み、気持ちを切り替えた。


「それでは出発しましょう!」


十分後、親の気苦労やクラリッサの懸念を知らないブルーノの暢気な声が響き、馬車はヴィンデルシュタットへ向けて出発するのだった。

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