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芽吹きの呪文

アルフォンス自身はまったく隠す気はないようだったが、彼が異様な性癖に目覚めたという事実は、瞬く間に寮内に広まってしまった。アインホルン寮内では、ライナーとガブリエーレによって箝口令(かんこうれい)が敷かれ、寮外に漏らさぬよう最重要機密として扱われることになった。

自分の吐瀉物(としゃぶつ)にまみれるという、大惨事に見舞われたアルフォンスだったが、それでもめげることなく、毎日簀巻(すま)きにされながらも魔力循環の練習を続けた。そして、前期の授業が終わる頃には、ついに一人で魔力循環ができるようになったのであった。

関係者、特にディアナに重度のストレスがかかったアルフォンスの魔力循環であるが、ひとつだけ好影響なことがあった。それは地道に努力することが苦手なブルーノが、アルフォンスに触発されたのか、真面目に魔力循環をおこなうようになったことだ。


「ふぅ……」


彼はアルフォンスが簀巻きにされているのを横目に、黙々と魔力循環に取り組むようになっていた。

それはともかく、アルケミアに日常が戻ってきたある日、いよいよ上位属性の授業がおこなわれる日がやってきた。

上位属性は「木」「金」「陽」「陰」の四属性で構成され、基本四属性の上位にあたる属性だ。基本属性が誰でも使える魔法なのに対し、上位属性は魔力量があってもその属性に適性がなければ使用することはできない。そのため、新二年生は若干緊張した顔を浮かべて教室に座り、授業が始まるのを待っていた。


――カラン、カラン……


授業開始の鐘の音とともに、真っ白のボサボサの髪と、顔中を覆うかのような伸び放題の髭を生やしたラッヘルが教室に入ってきた。継ぎ接ぎだらけの使い古したオーバーオールを履き、果たして役目を果たしているのか細かい傷だらけのモノクルをかけている。

初めての木属性の授業ということで、寮は関係なく二年生全員がすり鉢状の大講義室へと集められていた。各人の机の前には小さな鉢植えが置かれているが、土が盛られているだけで植物などの姿はなかった。


「さて、木属性の授業を始めようかの。まず木属性じゃが、この属性は植物の生長を促したりする魔法が多いんじゃ。また木属性は、上位属性の中でも比較的誰でも使うことができると言われている属性なんじゃよ。その理由としては、植物の生長には土に水、それに風が関係しておる。そのためその三つの基本属性を発展させたものが、木属性魔法だと言われていての。比較的誰でも使うことができると言われるのも、そういうところから来ておるんじゃ」


比較的誰でも使えるというラッヘルの説明で、学生達の中にホッとした空気が流れた。だが、その安堵の空気を、ラッヘルの次の一言が引き締めた。


「誰でも使えるとは言うたが、そこは上位属性なのを忘れてはいかん。適性がなくて使うことができずとも落ち込む必要ないからの」


その言葉に学生達は、これから習う上位属性魔法の認識を改めたように、真剣味を増してラッヘルの言葉に耳を傾け始める。


「上位属性とは言うても万能ではない。無から有を作り出すことはできん。木属性は植物が周りにあって初めて効果を発揮する魔法なのじゃ。皆の前に鉢が置いてあるじゃろう? この中には植物の種を植えてある。今日は木属性の基本となる芽吹きの呪文を唱えてもらう。これは植物の発芽を促す魔法じゃ。木属性への適性があれば、呪文を唱えれば芽吹いてくるはずじゃ」


ラッヘルはそう言うと、教壇に置かれた鉢植えに静かに手を翳し、芽吹きの呪文を唱えた。


曙の芽生え(エオースシュプロス)


すると、鉢の中央の土が小さく盛り上がり始め、土を割って新芽が芽吹く。新芽はそのまま生長を続け、やがていくつかの白い小花を咲かせた。


「わぁ、かわいい!」


咲いた花を目の当たりにし、女子生徒が感嘆した声を上げ、ラッヘルは意外にも戯けた調子で近くの女子生徒に片目を瞑ってみせた。


『村で使えたら生活が楽になりそう……』


ディアナはラッヘルが簡単に植物を生長させる様子を見て、そのようなことを考えていた。

気温や降雨量に左右される農村では、作物の生長や天候で父や母が一喜一憂する姿を毎年のように見てきた。皆がこの魔法を使うことができれば、干ばつが来ても苦しむこともなくなるのではないだろうか。

だが、次のラッヘルの言葉でそれが難しいことを悟る。


「芽吹きの魔法は、文字通り植物を芽吹かせるための魔法じゃ。だが今見せたように魔力を注ぎ続ければ、こうして花を咲かせるまで生長させることもできる。もっとも、魔法によって生長させるには、それだけ多くの魔力を消費するんじゃ。そのため木属性への適性があったとしても、普通の農夫などが芽吹きの魔法を使おうとすれば、一瞬で魔力枯渇してしまうじゃろう」


使うことができる者が多いとはいえ、そこはやはり上位属性魔法だということだろう。

普段、生活魔法程度しか使わない者にとっては、自由に魔法を使うように見える魔法士は憧れの存在だ。ディアナが幼い頃に夢見た魔法士は、困っている人のために際限なく自由に魔法が使える超人のような存在だったし、学校に行って勉強すればそういう魔法士になれると思っていた。しかし実際に学校へと通い魔法を学べば学ぶほど、魔法の自由度の少なさを痛感することになる。

どれだけ魔力があっても、強力な魔法になればなるほど、それに比例して魔力消費が上がっていく。空を飛ぶことを覚えても、残りの魔力量を気にしなければ墜落してしまうのだ。

当時は負担が大きいヘイディの代わりに雨を降らせることが嬉しくて、母の手助けをしているという感覚だった。だが今ではアハトや両親が、雨を降らせることに慎重だった理由も何となく分かる。どれだけ優れた魔法士がいたとしても、困ってる人全てを助けることはできないのだ。

だが「それでも」とディアナは思う。


『困った人を全てを助けることはできなくても、目の届く範囲だけは、お母さんみたいに助けられる人になりたい』


そのようなことを考えていると、いつの間にか実践する時間となっていたようだ。

周りで芽吹きの魔法を唱える声が聞こえていた。

隣を見れば、クラリッサが鉢に手を翳している。どうやら木属性への適性は問題なかったようで、ラッヘルのように花を咲かせていた。だが彼のような白い小花ではなく、掌くらいの大きさの黄色い花だった。


「やりましたわ!」


大きく息を吐いたクラリッサが、花が咲いたような笑顔を見せていた。

その隣ではブルーノが、眉間に皺を刻んでいた。こちらはクラリッサと違って適性が高くなさそうだ。一応芽は出ているのだが、彼が必死で魔力を込めてもそれ以上どうしても生長しないようだ。


「ふむ、お前さんはちょっとムキになって魔力を込めすぎじゃな。せっかく芽が出ているのに、それ以上生長しないのはそれが原因じゃな。もう少しゆっくりと優しく魔力を注ぐんじゃ」


各テーブルを回っていたラッヘルが、鉢と格闘するブルーノの様子を見るとすぐにアドバイスを送る。


「は、はい」


半信半疑のような顔で返事をおこなったブルーノが、彼の言うとおりに魔力量を調節すると、ゆっくりと芽が生長して双葉が開いた。


「できた!?」


驚いたように目を見開いてラッヘルを凝視すると、かれは「ほっほっ」と笑いながらクラリッサの鉢に目をとめた。


「ほうっ! これは見事じゃ。お嬢さんは適性が高そうだのぅ」


「ありがとう存じます」


ラッヘルは、クラリッサが咲かせた黄色い花を撫でると、顔をくしゃくしゃにして喜び、それを見た彼女も嬉しそうに頷いていた。


「おや? お嬢ちゃんは適性がなかったのかの?」


ディアナの鉢に目をやったラッヘルが顔を曇らせた。考え事をしていたディアナは、まだ何もしていなかったのだ。


「いえ、今から!」


慌てて鉢に手を翳したディアナは、先ほどラッヘルがブルーノに告げていた注意点を思い出し、「ゆっくりと優しく」と言い聞かせながら呪文を唱えた。


曙の芽生え(エオースシュプロス)


彼女が呪文を唱えた瞬間、新芽が勢いよく土から飛び出した。


「えっ!?」


驚きの声を上げたディアナだったが、新芽の生長は止まらない。

芽は蔓のようになってうねるように生長し続け、あっという間に天井まで達したのだ。それでも生長は止まらず、天井を伝って全方向へと広がっていく。しかも、ディアナの鉢だけではなく、教室中の他の鉢も彼女のものと同じように伸び始めた。そして、ようやく生長が止まったとき、教室は森のように変貌していた。


「……」


ディアナのおこなう規格外の数々にも慣れてきていた二年生だったが、さすがにこの状況は予想がつかなかっただろう。誰もが唖然とした表情で、変わり果てた教室を見つめていた。

もちろんこの結果にはディアナも呆然としていた。いくら生長を促す魔法だといっても、教室が森のようになるなど誰が予想できるだろうか。ディアナは教室中に魔法を振りまいた訳ではないのだ。


「せ、先生……、これって……」


「これは凄い!」


怒られるかと思ったディアナの予想に反し、ラッヘルは興奮したように両目を見開いていた。


「植物が喜んでおる! 儂は長い間木属性を教えておるが、これほど適性が高い者は見たことはないわい! お嬢ちゃん、いやディアナといったかの。アレクシスが言うておった通りじゃな。お前さんは本当に面白いのう」


ラッヘルが手放しで褒め称えるため、居たたまれなくなったディアナが真っ赤になって俯く。

口調や態度からは絶賛してくれているのが伝わってくるが、「面白い」という意味がどういうことなのか今ひとつよく分からないディアナだった。


この日、ディアナに新しい称号『教室を森に変えた女』が付け加えられた。

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