アルフォンス殿下入寮
「いよいよだな」
見上げるほどに大きな重厚な門扉の前で、燃えるような赤い頭髪の少年は、緊張した様子で呟いた。
門扉に刻まれた文様は古代魔法文明時代のものとされ、現在の魔法界では解析することすら不可能なほどだ。門扉の奥に見える建物は王城に匹敵するほど巨大な建造物だが、木製のアーチ状の扉は王城でも見たことがないほど巨大な扉だった。見上げるほどの高さで、人の手では到底動かせないほどに巨大で重厚な扉だった。
アルフォンスは、王城と違って歴史を感じさせる重厚感に息を飲んでいた。
王城から外に出るのは、彼にとって初めてのことだった。これまでとまったく違う環境への不安がないといえば嘘になる。しかし、ある意味息が詰まりそうだった王城からようやく出ることができたのだ。彼は不安を塗り潰すほどの期待に胸を膨らませていた。
そんな彼らの目の前で、扉が静かに開いた。
巨大な扉ではない。その扉の下部に穿たれた通用口のような小さな扉だ。
小さいと言っても、巨大な扉に比べればというだけで、通用口も全開すれば大人が四人ほど並んでも通れる広さがあった。その扉から、モノクルをかけ、杖をついた老翁が現れた。
「アルケミアへようこそ。第五王子殿下でございますね?」
見た目と違い、意外にも張りのある声で、老翁が声をかけてきた。
だが、名乗る前にこちらの正体を第五王子だと断じたため、護衛のバルナバスとアウレールの二人が、警戒したように前に出る。右手は腰にさげた剣にかかっている。
「よせ」
アルフォンスが二人を制すると、二人は静かに下がる。だが、油断なく老翁の一挙手一投足に目を光らせていた。
それを見た老翁は、動じた様子を微塵も感じさせず、朗らかな笑い声を上げた。
「警戒されるのも無理はありません。わたしはこのアルケミアで、雑務を担当させていただいておりますフーゴと申します。この時期は新しく入学される学生の案内人のようなものをしております」
フーゴは慇懃に、かつ丁寧に対応していた。
「ここは、殿下がこれから三年間過ごすことになる、学び舎でもあり家でもあるのです。どうぞ案内いたしましょう」
そう言うとフーゴは、三人を扉内へと案内していった。
入口を入ると大きな吹き抜けのエントランスが広がっており、正面に大理石の巨大な階段があった。幅が五メートル、高さ三十段ほどの階段には、アルケミアのシンボルカラーである濃い緑色の絨毯が敷かれていた。その階段を登ると、全学生が集うことができるホールとなっていて、食事は全員でここで摂ることになっているのだという。
「ご存じかと存じますが、アルケミアでは寮生活を送っていただきます。ちなみに寮の名前はそれぞれグライフ寮、フェーニックス寮、アインホルン寮と呼ばれ、伝説の魔法生物の名を冠しています」
フーゴが階段をゆっくりと登りながら、寮の説明をおこなう。
「わたしの入る寮は、もう決まっているのでしょうか?」
「はい。殿下をはじめ、お三方はアインホルン寮に入ることが、すでに決まっております」
さすがに側近と別れることはないだろうと考えていたアルフォンスは、実際に三人とも同じ寮だと聞くと、安堵の息を小さく漏らした。
フーゴは階段を登りきると、ホールへと続く扉の前で足を止める。
扉は開け放たれているため、アルフォンスらはそこから中の様子を見ることができた。ホールの中は三色に色分けされた旗が天井からぶら下げられていて、その下にテーブルが三列並べられている。
その旗の下に、同じ色のローブを身に着けた学生が何人か談笑していた。旗に描かれている図案で、右からグライフ寮、フェーニックス寮、アインホルン寮のテーブルだと分かった。
「さて、わたしの仕事はここまでです。この先はアインホルン寮の寮監とハウスリーダーが寮まで案内してくれるでしょう」
そう言いながら優雅に手を広げると、ホールの中から白いローブを着た男女二人組の学生と、寮監の女性が、緊張した面持ちでアルフォンスに近づいてきた。
学生のうち男子は緑色のクリクリした頭髪で、女子は褐色の肌に金髪のショートカットだ。もう一人は、栗色のボブカットでキュートな雰囲気の若い女性だった。
「アルフォンス殿下とその護衛の方ですね?」
硬い表情で栗色のボブの女性が口を開いた。
「其方達は?」
アルフォンスを守るように、前に出たバルナバスが、硬い声で誰何した。
もう一人の護衛であるアウレールも、さりげなくアルフォンスを自分の陰に隠すような位置へと移動する。
「し、失礼いたしました! わたしはアインホルン寮の寮監を務めさせていただいております、フ、フリーダと申します。そしてこちらが本年のアインホルン寮のハウスリーダーの二人です」
「ライナーと申します。ようこそアルケミアへ」
「ガブリエーレと申します。歓迎いたしますわ、殿下」
ライナーとガブリエーレが丁寧に挨拶をおこなう。
ハウスリーダーの二人よりも、余程フリーダの方が緊張しているようだった。
「アルフォンスだ。そしてこちらはわたしの護衛を務めるバルナバスとアウレールだ。二人は魔法は使えるがそれほど得意ではない。すまんがこれからよろしく頼む」
アルフォンスは、紫の髪のバルナバスと、短く刈り込んだ銀髪のアウレールを簡単に紹介する。二人は黙ったまま目礼だけをして、アルフォンスの後方に控える位置へと下がった。
「それではここからは、ハウスリーダーが案内いたします。お聞き及びかと存じますが、殿下が入寮されるのはアインホルン寮です。寮内で困ったことがあればこの二人に相談してください。もちろんわたしも寮監として頼っていただいて構いません」
フリーダは寮監だったが薬学の講師でもあるため、基本的には薬学教室の傍に自室を持っていて寮内で寝泊まりすることはない。これは他の寮でも同様で、寮内のことはハウスリーダーを中心に合議によって問題解決をはかることになっていた。寮監という立場上、学生の外出許可などの決済に関わっているが、基本的には寮内のことはハウスリーダーに任せられていた。
「それでは寮に案内させていただきます。ついてきてください」
ライナーとガブリエーレの二人が階段を降り始め、アルフォンスらも彼らに続いていく。
緊張からか二人とも口を開かないまま、寮の扉の前までやってくる。表面に複雑な文様が刻まれ、中央にアインホルンのレリーフがはめ込まれた重厚な扉だ。
「ここから先がボク達のアインホルン寮です。エントランスの反対側にはフェーニックス寮、右に曲がった奥がグライフ寮になっています」
「この扉には魔法がかけられていて、部外者や他の寮の者の侵入を防いでいます」
ガブリエーレが扉の説明をおこなうと、「ほう。それは凄い」と興味深そうに呟いたアウレールが扉に触れようと手を伸ばしかける。
「ダメです!」
慌てた様子のライナーが思わず声を荒らげ、その声に驚いたアウレールが、角に触れる寸前で手を引いた。
「アインホルンの寮生以外が触れると、この角に刺されて死ぬって言われてるの。試すつもりなら止めませんけど……」
「わたし達はアインホルン寮の学生だろう?」
不審に感じたアウレールが、ガブリエーレを思わず睨んだ。
「申し訳ありませんが、三名の登録はまだ終わっていません」
そう言ってライナーがレリーフの角に触れる。すると、レリーフが白く輝き、その光が文様へと広がっていく。
――ガチャッ
重々しい音が鳴り、扉がゆっくりと開いた。
その先は部屋ではなく、十メートルほどの回廊となっていた。回廊には大階段と同じような絨毯が反対側に見えている扉まで敷かれていた。ただし色はアインホルンのシンボルカラーの白一色の絨毯だった。随分と古いもののように見えるが、真新しくも見える不思議な色合いの絨毯だ。
「この回廊を我々と歩くことで、自動的にアインホルン寮の学生だと登録されます」
アルフォンスが回廊へと踏み出すと、ほんのわずかに魔力が絨毯に向かって流れていくような気がした。魔力的な登録によって部外者は立ち入れないようになっているのだろう。さすが王城よりも古くからあると言われるアルケミアだ。王城と比べても、セキュリティは遥かに高そうだ。
この回廊も、窓は上部に明かり取り程度の大きさのものが取り付けられているだけだ。そのため、無理矢理侵入しない限り、外部からの侵入は不可能だと思われた。
「寮への唯一の出入口が、この回廊と繋がっている二つの扉しかありません」
回廊の突き当たりに、先ほどとまったく同じ扉が設置されていた。
万が一ひとつめの扉を突破されても、この扉で食い止めるか時間稼ぎをおこなうことができそうだ。
「さて、回廊を通ってきた殿下達は、もうアインホルン寮生として登録されています。あらためて、ようこそアインホルン寮へ」
「寮生の最初の仕事として、扉を開けてみられますか?」
ライナーとガブリエーレがニコリと微笑んで、アルフォンスに問いかける。
アルフォンスは静かに息を飲んだ。先ほど血相を変えて止められたばかりだ。今度は逆に扉を開くよう勧めるということは、無事に寮生として登録されているのだろう。しかし油断させるための罠ではないかという考えが、頭の隅からどうしても離れない。
王城では王にそっくりな頭髪や瞳の色のため、兄姉から妬まれ、毒殺の危険が常に付きまとっていた。また魔力が発現すると、今度は謀反の疑いありとあらぬ疑いをかけられ、気の休まる暇もなかった。そんな王城からやっとの思いで抜け出したところだ。ほっと油断したところで謀殺するには絶好の機会だろう。
「わたしが……」
古代魔法文明に興味のあるアウレールが、一歩足を踏み出すが、アルフォンスが止める。
「わたしがやる」
「殿下!?」
そう言って進み出たアルフォンスを、驚いたバルナバスが諫めるように声をかけるが、彼は静かに首を振ってバルナバスを下がらせた。
暗殺に対しては、どうしても受け身となる以上、どれだけ気を付けていたとしても完全に防ぐことは不可能だ。今まで何名もの側近がアルフォンスの代わりに毒を受け、刃に倒れてきたことか。その度に「妾腹のわたしが王になるなど恐れ多い」と卑屈に振舞ってきた。
アルケミアに来たのは、そんな生活に疲れたのもあるが、せっかく発現した魔力を使って自分で可能性を切り開きたかったのもあった。
この扉を開くことができればその夢が叶うのだ。夢半ばで倒れるならば、その前に力尽きるのも同じこと。アルフォンスは躊躇なくレリーフの角に触れた。
――ガチャッ
扉は、重々しい音とともにゆっくりと開いていった。