新しいハウスリーダー
三年生が明日に卒業式を控えたこの日、アインホルン寮の談話室にはいつもより多くの寮生が集まっていた。彼らの視線が注がれる中、次期ハウスリーダーの発表が行われた。
「次のハウスリーダーはライナーとガブリエーレの二人だ。これから一年、二人を中心にこのアインホルン寮をまとめていって欲しい」
ルーカスがそう紹介すると、緊張した面持ちの二人が立ち上がった。
ライナーは、くるくるとした緑色の癖毛が特徴的な男子で、大きな紺色の瞳で談話室内をゆっくりと見渡した。
「知ってると思うが、ボクがライナーだ」
彼の声は、緊張からか少しだけ上ずっていたが、その言葉には確固たる意志が感じられた。
「ルーカスのようにうまくみんなをまとめられるかは分からないが、指名されたからには全力で取り組むつもりだ。基本的なルールは今までと変えるつもりはない。だけど、ひとつだけ」
そう言いながら、ライナーはすっと指を一本立てた。
彼の言葉に、今までよりも寮の規律が厳しくなるのかと不安に思った男子生徒が、ゴクリと喉を鳴らした。寮生たちの間にざわめきが広がり、皆がライナーの次の言葉に耳を傾けた。
「ルーカスとも話し合ったんだけど、やはりレヴィアカンプフェは今のままじゃ勝てないと思うんだ。他の寮は一年中練習し、コーチにも現役のレヴィアカンプフェ選手を呼んでいるらしい。このままでは他チームとの差は開く一方で、年々勝つことが難しくなってしまう」
ライナーの言葉に、寮生のほとんどが大きく頷いた。それは、彼らが心の奥底で感じていた危機感を代弁するものであり、多くの者が同じ思いを抱いていた証拠でもあった。
「今年の最終戦を見て思ったのは、やっぱり選手である以上、あんな痺れる試合をやりたいってこと!」
ライナーの熱い言葉に、レヴィアカンプフェのメンバーだった者たちから次々と賛同の声が上がった。
「そうだ、そうだ!」
「守ってばかりじゃつまらないぞ!」
彼らの興奮した声に、今年のキャプテンだったルーカスも苦笑いを浮かべるしかなかった。
「だから、まずは他寮からこれ以上差を付けられないように、アインホルン寮も常設チームとして活動をおこなおうと思う。その上で、やはり優秀なコーチを招聘したい。アインホルンにもレヴィアカンプフェの現役選手や引退した選手がいるからね。彼らに声をかけるつもりだ」
ライナーの力強い宣言に、談話室は歓喜の渦に包まれた。
『うぉおおおお……!』
選手達の間からは、地鳴りのような歓声が湧き上がる。特に、今年のレヴィアカンプフェで戦った選手達は、グライフやフェーニックスといった他寮が常設チームとして活動している中で、自分達だけが取り残されていくような状況に、深い危機感を覚えていたのだろう。ライナーの言葉は、そんな彼らの心に希望の光を灯した。彼らは一斉にライナーに賛同の意を示し、拳を突き上げながら、興奮冷めやらぬ様子で声を張り上げた。
「チーム強化のためには、今の一年生からもどんどん抜擢していきたいと思っている。だから二年生はうかうかしてたら、容赦なくメンバー外にするからそのつもりで」
その言葉に、ピクリとディアナが反応する。
正直なところ、彼女はまだ飛行魔法をうまく使いこなせていない。しかし、目の前で繰り広げられたグライフとフェーニックスの白熱した試合を目の当たりにして、ディアナの胸には「自分もあの舞台に立ちたい」という強い気持ちが沸々と湧き上がってきていた。
隣に座るブルーノもまた、同じ気持ちなのだろう。まだ飛行魔法を自在に操れないにもかかわらず、その表情には興奮が隠しきれない。そんなブルーノに、クラリッサが冷静な声で「貴方は魔力制御が先」と突っ込みを入れていた。
熱く未来を語るライナーの様子を、ニコニコと優しい表情で見守っていたガブリエーレが、静かに一歩前に出た。
ガブリエーレは、金髪のショートカットがトレードマークの、健康的な褐色の肌を持つ少女だ。普段の活発な印象とは打って変わり、この時ばかりは少し緊張しているのか、橙色の瞳を揺らしながら、ゆっくりと丁寧な口調で語り始めた。
「ライナーと同じく、新しくハウスリーダーになったガブリエーレです。
これまでわたしは先輩に色々と助けられながら、ここまでやってくることができました。これからは、わたしが皆を助ける番だと思っています。まだまだ頼りないと思うけど、一年間一緒に頑張っていきましょう! どうぞ、よろしくお願いします!」
ガブリエーレの真摯な言葉に、談話室は再び熱気に包まれた。
「頼むぜエラ!」
「ライナーの手綱を握れるのはエラだけだ」
上級生達から、ガブリエーレへ温かい激励の言葉が飛び交った。
熱血漢でグライフ寮の学生を彷彿とさせるリーダーシップを持つライナーと、穏やかで落ち着いた雰囲気のガブリエーレ。一見すると正反対の性格で、協調性に欠けるように思える二人だが、ガブリエーレこそが、猪突猛進しがちなライナーを的確に制御できる、数少ない人物であると皆が理解していた。彼らの新しい門出を祝う拍手が、談話室に響き渡った。
新しいハウスリーダーの紹介が終わり、再びルーカスが口を開いた。彼の表情には、一年間の重責から解放された安堵と、達成感が入り混じっていた。
「この一年、未熟なボク達に付いてきてくれたことに、心から感謝している。正直なところ、あまりの忙しさに、ハウスリーダーなんてなるものじゃないと何度も思ったけれど、今となっては、かけがえのない貴重な経験をさせて貰ったと思う。ボク達は明日、卒業するけれど、アインホルン寮のハウスリーダーをやれたことは一生の誇りだ。どうもありがとう!」
ルーカスの言葉に、寮生から「ありがとうキャプテン!」という感謝と労いの声が上がった。
彼の指揮したレヴィアカンプフェでは散々な結果となってしまったが、個人主義者の集まりと言われるアインホルン寮を一年間見事にまとめ上げてきた彼の統率力は、誰もが認めるところだった。彼とエミーリアが、どれほどの苦労と情熱を注いで寮を一つにしてきたか、その姿はすべての寮生の目に焼き付いていた。
ルーカスは卒業後、故郷の出身校に戻り、講師として新たな道を歩むことになっていた。この一年の経験が、彼の今後の人生において大いに役に立つことだろう。
続いて、エミーリアが口を開いた。彼女の言葉には、ルーカスとはまた異なる、一年間の思い出が凝縮されていた。
「わたしが言いたかったことは、ルーカスが全部言ってしまったから、改めて言うこともないけれど、本当にこの一年間、どうもありがとう。明日の卒業式が終われば、わたし達三年生は寮を出て行きます。休み中には新入生が入ってくるから、長期休暇に入る前には、新しい部屋に移動することを忘れないでね。
それから、ライナーとエラ。あなた達二人なら、きっと立派にやり遂げられると信じているわ。大変なことも多いと思うけど、ハウスリーダー頑張ってね。
そして、皆も新しいリーダーを盛り立てて、協力してあげてね。ほんっとにハウスリーダーって大変なんだから」
エミーリアがしみじみと一年間の苦労を語ると、寮生達から「お疲れ様」「ありがとう」という感謝の言葉が温かく響いた。
彼女は卒業後、王都に新設されるナハトゲレート協会へ勤めることが決まっていた。
まだ準備室の段階であり、正式に協会として立ち上がるまでには数年を要する見込みだという。当面は、ヴィンデルシュタットとアルブレヒトブルクのビンデバルト辺境伯の屋敷、そして協会本部にナハトゲレートが設置され、通信テストなどの実証実験を進めていくことになっていた。
エミーリアは、これまで研究してきたナハトゲレートの普及を目指し、今後も長くその発展に関わっていくことになったのだ。
「皆、本当にありがとう!」
最後に、卒業する三年生全員が整列し、深々と頭を下げて挨拶を行った。その瞬間、談話室中に下級生からの惜しみない拍手がいつまでも鳴り響き、彼らの門出を祝福していた。
終業式から二日後、ディアナ達はビンデバルト家の迎えの馬車にそれぞれの荷物を積み込んでいた。
門扉の前の車寄せには、帰省する学生の迎えの馬車がいくつも停まっていて、学生本人や使用人達が大きな荷物を積み込む光景があちらこちらで見られた。中には馬車に乗り込む前に、名残惜しそうに友人と別れを惜しむ学生たちの姿もある。
「これで荷物は全部だな?」
ブルーノの確認の言葉に、ディアナとクラリッサは同時に頷いた。二人はそのまま振り返り、一年間を過ごした重厚感のある石造りの巨大な校舎を見上げた。
「もう一年経ったのですね?」
「ん。あっという間だった」
初めての王都、初めてのボーディングスクールでの共同生活。
最初はうまくやっていけるか、不安が勝っていた。特に、自分の口数の少なさや素っ気ない態度のせいで、クラリッサ以外に親しく話せる相手はできないのではないかと思っていたほどで、正直ここまで馴染めるとはディアナ自身も思っていなかった。けれど、同じアインホルン寮の仲間同士で同じ目標に向かって課題に取り組むのは、大変だったけれど意外と楽しかった。寮対抗戦の研究発表で協力し合ったり、模擬戦の練習に付き合ったりする中で、だんだんと皆との距離が縮まっていくのを感じた。
最初はぎこちなかった会話も、いつの間にか自然なものになっていた。寮の仲間たちの個性豊かな面々に触れ、ディアナの世界は少しずつ広がっていった。
何より、アングリフで優勝して最優秀賞を獲ったときに、寮の皆が心の底から喜んでくれた顔が忘れられない。あの時の歓声と、仲間たちの笑顔を見た時、「この寮に来てよかった」と強く思った。
それは、ディアナにとって初めて味わう、心からの達成感と連帯感だった。
クラリッサのお節介には辟易することもあるけれど、困ったときにはいつも助けてくれるし傍にいてくれた。お姉ちゃんがいたらこんな感じなのかも知れないと思った。明るく社交的なクラリッサは、ディアナが寮に馴染む上でかけがえのない存在だった。
最初は衝突していたブルーノとは、アルケミアに来てから仲良くなった。魔力制御はまだまだ甘いけれど、魔法の発動速度は今でも敵わないくらい早く、本当に才能の塊だと思う。
ルーカスやエミーリアをはじめ、先輩からたくさんのことを教えてもらった。勉強面だけでなく、寮生活のノウハウや人間関係の築き方など、多岐にわたるアドバイスはディアナにとって貴重なものだった。
他の寮の学生とは、アルバイト先で知り合ったウルスラくらいしか仲良くできなかったけれど、アインホルン寮での一年間は、想像以上に充実していた。ここでなら、もっと色々と成長できるかもしれない。
「さあ、ヴィンデルシュタットに帰りましょう!」
クラリッサに促され、三人は馬車へと乗り込んだ。
馬車はゆっくりと動き出し、校舎の姿が徐々に小さくなっていく。
ディアナは窓からその姿を見つめながら、来年への期待に胸を膨らませていた。
第四部、完結です。




