それでブルーノはどうだったの?
属性による得意不得手が存在する魔法の世界において、満点という成績はまさに前代未聞の偉業であり、アルケミアの長い歴史においても初めての快挙として刻まれた。
その瞬間、会場は割れんばかりの大歓声に包まれた。
勝利の歓声が降り注ぐ中、舞台から戻ってきたディアナをブルーノは満面の笑みで迎えた。彼の口からは、冗談交じりの労いの言葉が漏れる。
「さすがディアナ。最後はちゃんと空気を読んだじゃないか」
ディアナは、ブルーノの言葉に少しむっとしたように言い返す。
「圧勝しろって言ったのはそっち」
ディアナの反論に、ブルーノは少し照れたように口を尖らせた。
「いや、確かに言ったのは俺だけど、正直ここまで圧倒するとは誰も思わねぇよ」
ディアナもまた、驚きを隠せない様子で答えた。
「あたしも思ってなかった。ここ数日で新しい魔力にだいぶ馴染んだかも」
そう言いながら、ディアナは自分の手を握ったり開いたりして、身体の感覚を確かめるようにしていた。その表情には、新たな力への若干の戸惑いと、それ以上の喜びが入り混じっていた。
ブルーノは、ディアナの様子を見て安心したように頷いた。
「それはよかった。だけど元は増えすぎた魔力を圧縮しようとしてただろ? 途中で失敗したけど……。そこからよく持ち直したよな。最終的に、誰も思いつかなかった魔力濃縮なんて方法で魔力圧縮の代わりを見付けるなんて、やっぱりお前はすげえ奴だな」
ブルーノの素直な賞賛に、ディアナは首を傾げた。
「何? 何か変なものでも食べた?」
突然のディアナの問いに、ブルーノは慌てたように距離をとった。
「な、何言ってんだ?」
彼の顔がほんのりと赤く染まっているように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
ディアナは不思議そうな顔でブルーノを覗き込む。
「だって、ブルーノがあたしのこと褒めるなんて、気持ち悪い」
ディアナの容赦ない言葉に、ブルーノは苦笑いを浮かべた。
「お前なぁ。確かに最初は色々あったけど、今は俺だってこう見えてお前のことは認めてるんだぜ」
彼はがっかりしたようにプイと横を向いた。
ブルーノの態度に、ディアナの頭には「?」が浮かんだが、直後に他のチームメンバーにもみくちゃにされてしまい、結局その意味は分からないままとなった。
取り残されたブルーノは、ディアナの頭を遠慮なく叩いて祝福するチームメイト達の姿を、複雑な表情で眺めていた。彼の口元には笑顔が浮かんでいたものの、その瞳の奥には、どこか寂しげな光が宿っていた。
「優勝おめでとう!」
「よくやった!」
「アインホルン寮が個人競技で勝ったのは十年ぶりだそうだぞ!」
「これで俺たちはしばらく他の寮に馬鹿にされないですむ」
「ちょっとお前、それは卑屈すぎるだろう?」
「だって去年まで、フォルカーくらいしか準決勝までいかなかったんだぜ。それが今年はブルーノも準決まで進んだんだ。おまけにディアナは圧勝だぜ!」
「ま、気持ちは分からんでもないがな」
メンバーが口々にディアナを賞賛し、その後、自虐的な発言で微妙な空気が漂う中、最後に近づいてきたキャプテンのルーカスが、ディアナの体調を気遣った。
「ディアナ、優勝おめでとう。あんな強力な魔法を使って、身体は何ともないのかい?」
ディアナの放った魔法は、並の魔法士が全魔力を使い果たして放つ一撃に匹敵するほどの威力を秘めていた。それを何度も立て続けに放ちながらも、ディアナが魔力枯渇の兆候すら見せずに平然としている姿は驚異の一言だ。一体どうなっているのか、その謎がメンバーたちの脳裏を駆け巡っていたのである。
しかし、メンバーたちの困惑を他所に、ディアナは彼らが何を言っているのか理解できないといった様子で、小首を傾げた。そして、周囲の度肝を抜くような言葉をあっけらかんと口にしたのだった。
「ん? 平気。半分も魔力使ってないから」
その言葉は、まるで爆弾が炸裂したかのようにメンバーたちに衝撃を与えた。
「マジか!?」
「嘘だろっ!?」
彼らは文字通り、顎が外れるかと思うほど口を大きく口を開け、驚愕の表情を浮かべた。しかし、その中でブルーノだけは、どこか呆れたような、それでいて納得したような表情で「ま、それがディアナだし」と呟き、深く頷いていた。
「ま、まぁあれだ。とりあえず今日の競技は終わりだ。まだ明日の模擬戦と最終日のレヴィアカンプフェもあるんだ。明日以降の競技に出る者は、ゆっくり休んでまた明日頑張ってくれ!」
動揺から何とか立ち直ったルーカスは、未だ硬直したままのチームメイトを、手を叩いて彼らを現実に引き戻した。「今日は解散だ」と告げると、皆を引き上げさせた。
「そうだな、俺たちもディアナに負けてられねぇ。今年は優勝は無理でも、せめて一勝するぞ!」
「締まらねぇな。そこは優勝するでいいじゃねぇか」
そんな軽口を叩きながら、チームメンバーは笑顔を浮かべて引き上げていく。今日のディアナの圧倒的な優勝は、彼らにとって少なからず良い刺激になったようだ。皆、これから寮に戻ってすぐにでも練習をおこなうのだと、瞳を輝かせ張り切っていた。
「ボクは休めと言ったんだぞ!」
ルーカスの声が虚しく響く。
「まぁまぁルーカス。あんな凄いの見せられたら興奮してゆっくり休んでられないよ」
「軽く身体を動かすだけだからさ」
チームメイトたちは、悪びれる様子もなく笑いながら答える。彼らの向上心と情熱に、ルーカスも呆れつつも満更ではない表情を浮かべた。
「まったく、しょうがないな。じゃ、一時間だけだぞ」
「さすがキャプテン!」
「こんなときだけキャプテン扱いするな!」
軽口を叩きながら歩く彼らの後ろを、ディアナはゆっくりと進んでいた。ふと、何かを思い出したように、隣を歩くブルーノに問いかけた。
「そういえば、ブルーノのブリッツはどうなったの?」
「……」
ディアナの純粋な問いかけに、ブルーノは突然口を噤んだ。そして、聞こえなかったかのように視線を逸らし、鳴らない口笛を吹いて誤魔化そうとした。
「ブルーノ?」
ディアナは不思議そうに首を傾げ、もう一度ブルーノに呼びかけた。
ブルーノは相変わらず視線を合わせようとせず、ますます口笛に集中しているようだった。
「ディアナ……」
ディアナがさらに問いかけようとした時、ルーカスが静かにそれを制した。ディアナがルーカスを見上げると、彼は「聞いてやるな……」とでも言うように、静かに首を横に振った。
ブルーノは展示会場で、ディアナ達の応援に「任せろ」と意気込んで準決勝に臨んだものの、そこで無念の敗北を喫していたのだった。
ブリッツは、競技場内に並べられた障害物のすき間からランダムに姿を現す的を、制限時間内にいくつ打ち抜くかを競う競技だ。
魔法は威力よりも速さを求められるが、的には対魔法処理が施されているため、ただ当てるだけでは得点にならず、打ち抜く必要がある。そのため、ある程度の威力も不可欠だった。
準決勝でブルーノは、前年のブリッツ優勝者であるグライフ寮の二年生と対峙した。
試合時間は二分間。三回の試技を行い、より多くの的を倒した方が勝利となる。
しかし、対戦は三回で決着がつかず、一分間の延長戦に突入。それでも決着は付かないほどの接戦が繰り広げられた。最後は再延長となり、疲労の色が見え始めたブルーノが的を外してしまい、惜敗となったのだった。
「くっ、来年は絶対にリベンジしてやる!」
ブルーノは悔しそうに唇を噛み、来年の優勝を固く誓った。
「その前に明日の模擬戦」
「そ、そうだな。もちろん忘れていないさ」
来年を見据えて意気込んだブルーノに、ディアナが冷静に指摘すると、彼は恥ずかしそうに手をポンと打って誤魔化した。
「今日の悔しさをぶつけてやる! ディアナ、応援しててくれ!」
意気込むブルーノに、ディアナは素っ気なく告げた。
「応援はするけど、あたしは多分、明日も展示場の手伝い」
その言葉に、ブルーノは見るからに落ち込んだ様子を見せた。
「だから、明日はブルーノがナハトゲレートで優勝した報告を伝えて」
ディアナが優勝の報告を待ってると伝えると、ブルーノは途端にやる気に火がついたように言った。
「分かった、必ず伝える。通信装置の傍で待っててくれ!」
控室を片付けて競技場を出た彼らを、競技場で応援していたアインホルン寮の学生達が出迎えた。その中にはクラリッサと彼女の両親の姿も見える。
「ディアナさん!」
クラリッサはディアナの姿が見つけると、感極まった様子で駆け寄り、彼女に抱きついた。そして、ディアナの肩に顔を埋めるようにして嗚咽を漏らした。
「……クレア」
クラリッサを優しく抱きしめたディアナの目にも、いつの間にか涙が滲んでいた。それは安堵と感謝、そして達成感が混じり合った、複雑な感情の表れだった。
変質した魔力という、自身の存在を根底から揺るがすような事態に直面し、希望を失いかけたディアナを、クラリッサは決して見捨てなかった。ナハトゲレートの最終調整で多忙を極める中、クラリッサはディアナに寄り添い続けた。時には優しく、時には厳しく叱咤し、ディアナを支え続けたのだ。
もしクラリッサがいなければ、ディアナはとうの昔に全てを諦め、学校を辞めていたかも知れない。どん底まで落ち込み、自暴自棄になりかけたディアナを、クラリッサの献身的な支えが、まさにギリギリのところで踏みとどまらせてくれたのだ。
一縷の望みに縋り付くようにして魔力濃縮を試みたあの夜も、クラリッサはディアナの傍を離れることなく、一晩中付き添ってくれた。不安と緊張で押しつぶされそうになるディアナの隣で、静かに支え続けてくれたことが、どれほどディアナに勇気を与えたことか。
そんなクラリッサに、絶望的な状況から立ち直っただけでなく、以前よりもさらに飛躍した姿を見せることができたことができた。そのことが、ディアナにとって何よりも嬉しかった。
「……ありがとう」
ディアナは心の底から湧き上がった、偽りのない感謝の気持ちを、まっすぐにクラリッサに伝えた。その言葉には、感謝だけでなく、深い友情と、共に困難を乗り越えた達成感が込められていた。
するとクラリッサは、ディアナの肩に埋めていた顔をゆっくりと上げ、潤んだ目で小さく首を振った。その表情には、ディアナの成功を心から喜ぶ優しい感情が満ち溢れていた。
「頑張ったのはディアナさんです。わたくしは傍にいただけですわ。……本当におめでとうございます」
真っ赤に腫らした目でそう言うと、クラリッサは再びディアナを強く抱きしめた。
二人の間に言葉はもう必要なかった。
この瞬間、二人の絆は、以前にも増して固く結ばれたのだった。