ディアナ参戦
記念すべき100話記念、ディアナの無双回?
――リンリン、リンリン……
ナハトゲレートに設置された呼び出しベルの音が、展示場内に大きく響き渡っていた。
今は客もまばらな時間帯だったため、その音は普段よりも一層大きく感じられた。
「……」
一番近い場所にいたディアナは、赤い格子状の扉を静かに開け、中へと足を踏み入れた。受話器を手に取ったその瞬間、耳元に飛び込んできたのは、ブルーノの切羽詰まった怒鳴り声だった。
『ディアナはいるか!?』
通話の相手が誰かも分からない状況で、これほどまでに焦っているとは、一体何が起こったのだろう。もし受話器を取ったのがクラリッサだったら、彼は一体どんな反応をしただろうか。
そんなどうでもいいことをぼんやりと考えながら、ディアナは送話器に向かって短く口を開いた。
「あたし」
ディアナが口にした瞬間、受話器の向こうからホッとした安堵の気配が伝わってきた。
『よかった。ディアナ、すまないがすぐに競技場に来てくれ!』
「何、どうかした?」
ディアナが尋ねると、ブルーノは重い口を開いた。
『フォルカーが魔力枯渇で倒れた』
「えっ!?」
その言葉に、ディアナは受話器を耳に当てたまま、まるで凍り付いたかのように固まってしまった。
フォルカーはアインホルン寮の三年生で、アングリフの代表メンバーの一人だ。
彼は準決勝でグライフ寮の優勝候補と白熱した戦いを繰り広げていた。試合は決着がつかず、延長戦に突入したという。そこでフォルカーは勝負に出て、見事その優勝候補を打ち破るという快挙を成し遂げた。しかし、その代償は大きく、勝利と引き換えに魔力枯渇で倒れてしまったのだというのだ。
『あと三十分で決勝だ。決勝はお前が出るんだ!』
代表者が勝ち上がっていた場合、魔力枯渇などの理由によるメンバー交代は、ルール上許されていた。
確かにディアナはアングリフの補欠メンバーに入っているため、ルール上は問題はない。とはいえ、いきなり決勝に出るというのは、さすがに気が引ける。
「あたしはしばらく練習してない。補欠ならフランツもローラントもいる」
ディアナは魔力が変質してから、アングリフの練習には一切参加していなかった。そんな自分が出るよりも、日々の練習に欠かさず参加していたフランツやローラントの方が、代表として相応しいはずだ。
『すまん。フランツはすでに交代で出場したため出られない。ローラントはいきなり決勝戦だからな。怖じ気づいちまってダメなんだ』
「いきなり決勝なんて、あたしも嫌」
ローラントの気持ちは、ディアナにも痛いほどよく分かった。
これまで出場を目指していたとはいえ、いざ出られるとなった舞台が決勝では、誰だって気後れしてしまうだろう。
『大丈夫だ。ディアナなら勝てる!』
ブルーノは何を根拠に、ディアナなら勝てると考えているのだろうか。
ディアナ自身も、新しい魔力濃縮の成果を試してみたい気持ちがないわけではない。だがトーナメントの序盤ではなく、いきなり決勝では荷が重過ぎると感じていた。もし勝てたとしても、それは「タナボタ」と言われるのが目に見えている。
しかし、ブルーノの考えは違うようだった。
『本音を言えば、俺はディアナがどれだけできるのか見てみたいんだ。お前なら周りを黙らせるほどの圧倒的な力で優勝できると信じてる。だから頼む。……来てくれ』
最後は懇願するようなブルーノの声が、受話器の向こうから聞こえてきた。
ディアナがナハトゲレートから出ると、クラリッサやエミーリア達アインホルン寮の学生が、心配そうな顔で彼女を取り囲んでいた。その外側にはビンデバルト夫妻もまた、憂慮に満ちた表情を浮かべて立っていた。
皆、通話中のディアナの様子から、何か深刻な事態が起こったことを薄々感じ取っていたようだ。
「誰からの通話でしたの?」
「ん。ブルーノからだった。フォルカーが魔力枯渇で倒れたって。それで、あたしが代わりに出ることになった」
「ええっ!?」
ディアナの言葉を聞いた学生達は、一様に騒然となった。
エミーリアが心配そうに声を上げる。
「フォルカーは大丈夫なの?」
「ん。ちょっと無理をしたみたいだけど大丈夫。今は控え室で眠ってるって」
「そう、よかったわ。でもフォルカーがそこまで無茶をするなんて」
魔力枯渇に特効薬はなく、基本的には安静にしておくことが最も早い回復に繋がる。
ディアナとクラリッサの二人は、以前に魔力枯渇に陥った経験があるため、その辛さを誰よりもよく知っていた。
一番つらいのは、例え魔力が回復したとしても、一週間から十日ほどの間は魔法を使おうとしても激しい頭痛に襲われ、魔法を行使できないことだ。回復後に初めて魔法を使うときは、誰もがおっかなびっくりしながら魔法を使う。そこで頭痛がでなければ、晴れて全快と診断される。
魔法士にとって「魔力枯渇だけは避けろ」と言われるほど、魔力枯渇は厄介な症状だった。
「決勝進出の代償」
ディアナの簡潔な説明でも、エミーリア達は何となく理解できてしまった。
フォルカーは一年生のとき、いきなり準決勝に進んで一躍注目を浴びた。二年生のときにも準決勝までは進出できたものの、決勝に進むことはできず、悔し涙を飲んでいた。二年続けてベスト四まで進出していたが、そこに毎回立ちはだかっていたのが今回対戦したグライフ寮の学生だった。フォルカーとは同学年だが、彼は一年生で準優勝、二年生のときは優勝を飾っており、今回のアングリフでも優勝候補の一人として名を連ねていた。
そんな中、フォルカーも今年こそはと意気込み、誰よりも練習に取り組んできたことは、アインホルン寮の学生なら誰もが知っていた。
三年続けて同じ相手に負けられないという意地もあったのだろう。相当無理をして勝ちにいった結果、魔力枯渇を起こしたのだった。
「エミーリア、行ってきていい?」
ディアナが真っ直ぐエミーリアを見つめた。
アングリフの補欠とはいえ、今のディアナは研究発表の手伝いをしている身だ。エミーリアの許可なくその場を離れるわけにはいかなかった。
「そうね……」
周りの学生達も、エミーリアの判断に注目しているようだ。
「こちらはいいから行ってきなさい。その代わり、必ず勝ってきて!」
エミーリアの力強い言葉に、ディアナは小さく頷いた。
「ん。ありがと」
ディアナはエミーリアの言葉を聞くや否や、一目散に駆けだした。
行き先はもちろん、競技場だ。
「ヴェットカンプの一競技とはいえ、決勝だもの。それに、今は競技場に人が流れててこっちのお客様が少ないわ。だからクラリッサも行ってあげて」
「よろしいの?」
驚いた顔を浮かべるクラリッサに、エミーリアは悪戯っ子のような笑顔を浮かべた。
「あら、そんなこと言っていいの? 行きたくて溜まらないと顔に書いてあるわよ」
「なっ!」
うずうずしてたのがバレたクラリッサは、真っ赤になりながら恥ずかしそうに自分の顔を覆った。
ディアナが魔力の変質に苦しんでいる間、クラリッサも同じように悩んでいたことを知っているエミーリアは、彼女を快く送り出した。
「ほら、早く行ってあげて。決勝始まっちゃうわよ」
「ありがとう存じます」
クラリッサは深々と頭を下げた。
「それじゃ、わたし達もディアナさんを応援しに行こうか。クレア、案内してくれるかい?」
「もちろんですわ、お父様。少し急ぎますわよ!」
頷きあったビンデバルト夫妻がクラリッサに声をかけると、彼女は嬉しそうに競技場へと向かうのだった。
「はぁはぁ……。お待たせ」
「ディアナ!」
「よかった。来てくれたんだね。助かったよ」
息せき切ったディアナが、アインホルン寮の控室に駆け込むと、部屋の中はホッとした安堵の空気に包まれた。
「フォルカーは?」
ディアナが尋ねると、ブルーノが控室の隅を指差した。
「そこだ」
そこには、濡れタオルを額に乗せられたフォルカーが、安らかな寝息を立てて眠っていた。
彼は勝利を宣言された瞬間、満足げな表情で意識を失ったという。特に怪我はなく、典型的な魔力枯渇の症状で、競技が終わるのを待って病院へと運ばれるそうだ。
「準備不足で申し訳ないが、出てくれて助かるよ」
チームキャプテンのルーカスが、申し訳なさそうにディアナに頭を下げた。
補欠に入れていたとはいえ、彼はディアナをこの決勝という大舞台に出すつもりはなかった。しかし、ローラントが予想以上に気後れしてしまい、ディアナを投入せざるを得ない状況になってしまったのだ。
「ん。問題ない」
ディアナの返事は簡潔だった。
彼女の不調がどこまで回復しているのか、ルーカスには計り知れない。魔力の変質に適応しようとして失敗し、魔法を使うこと自体に苦悩していた時期があった。回復したと聞いているものの、今現在、新たな魔力の形に適応しようと試みている最中なのか、それとも以前のように淀みなく魔法を行使できるようになったのか、彼には判断がつかなかった。その不確実性が、ルーカスの胸に一抹の不安をよぎらせた。
対戦相手はフェーニックス寮の三年生だ。
彼は一昨年、一年生の時にこの競技で優勝している実力者だ。去年はグライフの学生に惜敗し準優勝に甘んじたものの、今年も優勝候補の一角と目されていた。彼の実力は誰もが認めるところであり、ディアナにとって決して楽な相手ではない。
もしディアナが万全の状態であれば、互角以上に渡り合うことができたとルーカスは信じていた。しかし、今の彼女の状態では、果たしてどれほどのパフォーマンスを発揮できるのか、正直なところ予測できなかった。
「気負わなくていいからな。難しいとは思うが楽しんできてくれ」
ルーカスはディアナの肩にそっと手を置き、努めて気楽な調子で語りかけた。
「お待たせいたしました! 本日最後の競技となります、アングリフの決勝をおこないます!」
進行役のグライフ寮の学生が、拡声の魔法具を手に高らかに宣言した。それまでざざわめきで満ちていた観客席は、一瞬の静寂の後、爆発的な歓声に包まれた。
「何とか間に合いましたわね」
息を切らしながらも、クラリッサは安堵の表情を浮かべた。
両親とともに駆けつけた彼女は、ようやく見つけた空席に揃って腰を下ろす。
「右手側より登場するのは、アングリフ一昨年のチャンピオン! フェーニックス寮三年生、ランベルト選手!」
司会の紹介に、一際大きな地鳴りのような歓声が沸き起こる。
――わぁぁぁぁ……
「ランベルト、頑張ってぇ!」
赤いローブを身につけたフェーニックス寮の生徒たちが陣取る一角からは、熱狂的な叫び声が飛び交い、一般の観客席からは、若い女性たちの黄色い声援がスタジアムに響き渡った。ランベルトは、その声援に応えるように軽く手を挙げ、自信に満ちた表情で入場してきた。
「左手、勝ち上がりましたアインホルン寮のフォルカー選手は魔力枯渇のため、残念ながら選手が交代いたします。代わって入るのはアインホルン寮期待の一年生、ディアナ選手!」
今度は、白いローブのアインホルン寮が占が占める一角から、驚きと期待が入り混じった歓声が上がった。しかし、ディアナを知らない観客からは、「えっ、子供?」「嘘っ、エルフじゃん」という戸惑いの声が聞こえてくる。
ざわめきが広がり、一部の観客は困惑した表情で互いを見つめ合っていた。小柄な体躯と、特徴的な尖った耳は、遠目からでもはっきりと見て取れた。
「ふふっ、ディアナさんを知らない方は皆、そういう反応をいたしますわ」
クラリッサは、その反応を見て楽しそうに微笑んだ。彼女の言葉には、ディアナに対する確かな信頼が込められているようだった。
「気持ちは分かるな。わたしも最初彼女に会ったときに、クレアと同級生だとは思えなかったからね」
愉快そうに微笑んだクラリッサの言葉に、ベルンハルトが同意しながら苦笑を浮かべた。
彼の脳裏には、ディアナと初めて出会った日のことが鮮明に蘇っていた。それは、クレアが魔力枯渇で入院した病院でのことだった。
クラリッサと同じ病室だと聞いていたため、ディアナのことはすぐにわかったが、娘に魔法を教えていたのが、まだ小さな女の子だと知って内心ではパニックだったと笑う。平静を装っていたものの、内心では動揺を抑えるのに必死だったらしい。
「それよりも相手の男の子、すごく女性からの人気が高いね」
「ええ、学校では本性がバレているのでそれほどではありませんけれど、校外ではまだモテてるようですわね」
クラリッサが少し呆れたように答えた。
ランベルトは校内では女好きとして有名だった。
入寮した頃に要注意人物として、ハウスリーダーから真っ先に名を挙げられたのが彼だ。ランベルトはアングリフに加えて、レヴィアカンプフェのフェーニックス寮の代表選手として登録されているほどの実力の持ち主だったが、整った容姿と爽やかな笑顔で女性からの人気は高かった。しかし、性格は軽薄で手当たり次第に女性に声をかけることで有名だった。その悪癖はたちまち校内に広まり、各寮では要注意人物として新入生に通達するようになっていたため、次第に校内では彼を相手する女生徒はいなくなっていた。
そのため休日になると、彼は王都の繁華街に出向いては、手当たり次第にナンパをおこなっているという噂がまことしやかに囁かれていたが、観客席から彼に送られる黄色い声援を聞く限り、どうやら本当のことのようである。
「そ、そう言えばディアナさんが実際に魔法を使ったところって、わたくし見たことありませんわね」
イリーナが空気を変えるように話題をディアナに戻す。
彼女自身、ディアナの実力は噂に聞いていたものの、実際に目の前で見たことはない。
「うんそうだね。だからわたしも今日は楽しみなんだよ」
イリーナの言葉にベルンハルトも、期待するような目を浮かべて、観客席からディアナを見つめていた。
「いきなり出場させてすまん」
「別にいい」
競技場の舞台の端で、今回ディアナのセコンドを務めることになったブルーノが、深々と頭を下げていた。その表情には、ディアナに対する申し訳なさと、彼女への強い信頼が入り混じっていた。
アインホルン寮としては、今回の決勝戦にローラントを出場させることで、ほぼ意見が一致していた。しかし、目の前でフォルカーが倒れるという衝撃的な出来事が起こり、さらにいきなりの決勝の舞台という途方もない重圧に、ローラントは怖じ気づいてしまった。
そこでブルーノは、窮地を打開すべくルーカスにディアナの出場を強く主張した。ルーカスは最初、その提案に渋い顔を見せた。しかし、ブルーノの並々ならぬ熱意と、ディアナへの揺るぎない信頼が込められた迫力に押され、最後はディアナの出場を了承するに至ったのだった。
「さっきもナハトゲレートで言ったが、俺はお前なら圧倒できると信じてる。こんな急な形で、しかもいきなり決勝という大舞台で、とんでもない重圧を背負わせて申し訳ないが、アインホルン寮のために勝ってくれ!」
彼の真剣な眼差しを受け止めたディアナは、にっこりと屈託のない笑顔を浮かべた。その笑顔には、緊張や不安の影は微塵もなく、ただ純粋な高揚感と自信が満ち溢れているかのようだった。
「任せて!」
ディアナはそう言うと、まるで近所の公園にでも散歩に行くかのような、あまりにも気軽な様子で、堂々と舞台へ進み出ていった。
すみません。展開が追いつかず、無双は次回に持ち越しです。




