55 オルゴールが呼び覚ますもの
驚いた。
コンフェッションボックスに入るなり、
「うわ! ここ! ここよ! 私の家!」と、アヤは叫んだのだった。
いの一番に、子供の頃いつもそうしていたように、見慣れた椅子に座った。
背を股に入れて。
「すごい! なぜ、こんなこと、覚えてるんだろ! 私、いつもここに座ってた!」
おじさんが笑った。
「そう、そこで君はいつも宿題をしていた。狭いマンションだったから、中学生だったのに自分の部屋をあげられなくて、いつも気にしていた」
「ううん、そんなこと!」
「よかった、喜んでくれて」
アヤは、心底、うれしかった。
涙ぐみそうになるのを堪えて、おじさんの、イコマのオフィス兼住まいの狭いリビングを歩き始めた。
かつて私達が住んだ部屋……。
「うわ! 凝ってるね。これ!」
サイドボードに飾られたフォトフレーム。
家族三人で行った、北アルプスの白馬雪渓の写真。
「これも!」
アヤがユウの誕生日に買ってきた、ピアノの形をしたオルゴール。
「まさか」
ゼンマイを回すと、「いい日旅立ち」の曲が流れ出した。
それに合わせて、アヤは口ずさんだ。
「すごい……。私の記憶、どんどん生まれてくる感じ!」
そんなこともあるのかもしれない。
マトの記憶がどのように削除されていくのか、そのシステムは公にはされていない。
むしろ、再生時に注入されない記憶があるというのが、正しい表現だろう。
不要と思われるものから、ランダムにお蔵入りだ。
ただ、完全に消去されるわけではないようだ。
どこかに保存されている。
現に、完全に忘れてしまったはずのことを急に思い出した、というマトは多い。
今、まさにその状態だった。
溜息をついて覗き込んだもの。
カウンターの上の水槽。
「金魚、飼ってたこともあるねえ。金魚すくいでもらったやつ。一匹しか掬えなかったんだけど、店のおじさんがおまけしてくれたんだった……」
もう泣き笑いの顔になっていた。
「バーチャルだけどちゃんと生きてるよ」
「ああー」
成人式の日、フォトスタジオで撮った家族三人の記念写真。
おじさんとユウお姉さんは満面の笑み。
でも私は、きれいな振袖なのに、ぎごちない笑い。
「うわ!」
アヤちゃんの思い出と刺繍された分厚いアルバム。
「うっ」
パカリとめくると、中学の入学から始まる思い出の数々が詰め込まれていた。
「げ! こんなものまで!」
結納のとき、相手の親が持ってきたオキナとオウナの木彫りの像。
離婚して、どこかにしまい込んだもの。
「懐かしいものがいっぱい……。他の部屋も覗いてもいい?」
今日は、おじさんに涙を見られたくない。
会えば泣いてばかり。
悪いのは私。
もっとしっかりしなくちゃ。
「もちろん。君の家だろ」
アヤは、キッチンを覗き、お風呂を覗き、トイレまで覗いた。
そして最後に、寝室に入った。
わずか六畳の和室。
「わたし、中学生だったのに、いつも三人で川の字になって寝てたんだ……」
畳の真ん中で、座り込んでしまった。
そしてとうとう、涙がこぼれ落ちてきた。
「今日は泣かないでおこうと……」
おじさんは静かに笑って、見ていてくれる。
その手が髪に触れて、アヤは気持ちを奮い立たせた。
「ちょっとまずいかも。二回連続でイレギュラーな会話で終っちゃ……」
と、無理に笑顔を作った。
たちまち、おじさんが心配顔になる。
「なにかまずい兆候でも?」
「ううん」
監視システムに、変化はない。
おじさんのIDに付与されたコメントは、何もない。
ただそれは、自分が知らないだけかもしれない。
安全策を意識した。