51 喜びに満ちた日々が始まる
イコマはンドペキの姿が消えるのを待って、チョットマに声をかけた。
「ボーイフレンドに紹介、してくれなかったね」
「だって……」
乙女心というやつだろう。
それに、襲われた後だ。
そんな気分ではない。
「ハクシュウのときと同じように、ンドペキにも声を掛けておくよ」
「うん」
チョットマには、何の前情報もなくハクシュウに声を掛けたかのように話したが、実は予備知識は得ていた。
アヤから聞いている。
「ハクシュウっていう人なんだけどね」
アヤの情報によれば、生誕年は間違っていなかったようだ。
元は日本人であるという想像も正解。
「再生されるたびに新しい街に行くみたい」
アヤは街の名前を挙げてくれた。
イコマにとって、懐かしい街の名もあったし、ほとんど行くこともない地名もあった。
「でも、そんなにころころ住む街を変えたら、友達がいなかったりして」
と、アヤは笑っていた。
「それに、職業はいつも兵士みたい」
兵士としては優秀なようで、リーダーとしても素質があるようだ。
多くの街で、それなりの階級に登っている。
イコマの思考体は、最大で三つに分割することができる。
本体つまりメインブレインとは別に、ふたつの思考体をフライングアイに載せて動かすことができる。
当然、データベースは共通。
つまり、同じ記憶を持ち、常に同期している。
そして思考体は、単独で思考することもできるし、メインと連動して思考することも可能。
今日のように、チョットマとピクニック中であれば、それに集中してもよいのだが、どうしてもアヤのことを想ってしまう。
チョットマは、今朝の待ち合わせ場所に使った裏路地に入っていき、建物と建物の間に身を潜り込ませた。
今日のピクニックは終了だ。
「今、いいよ」
フライングアイを引き連れた兵士なんて、他人に見られたらどう思われるか知れたものではない。
ましてや、街のカメラに捉えられては、面倒が起こらないとも限らない。
「じゃ、また明日」
チョットマの合図と共に、イコマはチョットマの体から離れた。
アギのメインブレインは思考体が見聞きしたことを、リアルタイムに、そしてまるで自分が体験しているかのように把握する。
メインブレインは常にアヤのことを考えていた。
アヤと再会してからというもの、これまでの数百年間を忘れ去ってしまうほどの、喜びに満ちた日々が始まった。
アヤは、あれ以来、毎日やってくる。
彼女との会話の数々は、まだ鮮明なままの記憶として、いつでも再生することができる。
英知の壷で見ていたような誇張された感覚を伴うものではなく、生の記憶として。
結婚はしていないという。
いろいろな職業を経て、様々な街で暮らし、今はニューキーツ政府内の某機関で働いている。暮らし向きはまずまずらしい。
前回の肉体再生時に、どういうわけか、大阪で暮らした日々の記憶をかすかに伴って生き返ったのだという。
ただその記憶は断片的過ぎて、自分が何者か、というところにまでは到達しなかったらしい。
しかし、イコマとチョットマの会話を見て、唐突にすべてを思い出したのだという。
そんなことってあるんだ~と闊達に笑ったが、その声とは裏腹に、目からはまた涙がこぼれそうになっていた。
またユウお姉さんの捜索をしたいとアヤは言うが、イコマはそれを頼むことをためらっていた。
今のアヤを大切にしなければ。
過去を引きずるだけの生では、意味がない。
少なくとも今、実体を伴って目の前で生きているのはアヤ。
「でも、パパ。私、パパの手足になるためにマトになったのよ」
と、言うのだったが、
「いよいよ必要となればね」と、かわしている。
パパ。
アヤから、パパはもちろん、お父さんと呼ばれたことはほとんどない。
今は、コンフェッションボックスの中。政府のコンピュータ監視下での会話。
パパと呼ぶのが最も安全。
そんな理由でも、なんとなく、イコマはうれしかった。
市民の情報を扱う部所にアヤはいるらしい。
それ以上は語らなかったが、外部に漏らせぬ事柄を扱っているのだろうと推測している。
そういう部所にいればこそ手に入る情報もあるだろうが、それは現在の市民の情報。
過去の、しかも六百年も昔に特殊な任務に就いていたユウの情報ともなれば、それを探ることに危険を伴うこともあるだろう。
万一、アヤの身に何かあれば、今度こそ自分は立ち上がれない。
そう思うのだった。