44 巡礼の旅立ち
しかし、地球人類は救われた。
教団は地球の覇権を望んではいなかったのである。
あくまで、宇宙のいずこかにある神の国を目指すことに、すべての心を、すべての力と富を注いでいたのだ。
公式にはそのように伝えられている。
そして現実に、ピース会談から十数年後、教団は大船団をなして宇宙に旅立っていったのである。
宇宙の中心、あるいは聖地、神の住む星を目指して。
彼らの行き先は教皇のみが知るとされていた。
教団内部では、特に宇宙巡航船に乗り込んだ者たちの中に、それがあてどもない旅だと考えていた者はほぼ皆無であろう。
ワールド政府は、その無謀ともいえる巡礼の旅を止めようとはしなかった。
地球社会の秩序を保つ上で、これほど効き目のある薬はなかったからである。
非信者にとっては、膿が自ら出て行ってくれるのだから。
実は、船団には信者だけでなく、大量の犯罪者も紛れ込んでいたと言われている。
ワールド政府が、手に負えない犯罪者及び異端とされる科学者や野望が大きすぎる実業家などを、教団に押し付けたのだと言われるようになるのは、巡礼の旅立ち後、十年以上が経ってからのことである。
ピース会談で何が話し合われたのか、すべてを知る者は既にない。
大統領は、その本当の目的と成果を明らかにすることなく、帰らぬ人となった。
彼は、人の子として生まれ、年老いて死んでいく人、つまりホメムだった。
いずれにしろ、地球上に残る人類の多くは、彼らが一団となって地球を捨て、宇宙に飛び出していくことを、歓迎の面持ちで見送ったのである。
信者でない者にとって、巡礼の旅は死を意味したが、彼らにとっては、晴れがましい旅の始まり。
ただ、神の国巡礼教団の入信者すべてが旅立ったわけではない。
選ばれた者は約六万人。
選考基準は明らかにされていないが、信仰心が厚く、訓練に耐え、体力知力ともに優れた者の中から選ばれたことは想像に難くない。
金の力も、という向きもあったが、ワールドの人々にとって、そんなことはどうでもよいことだった。
その後、多くの中心的人物が宇宙の闇に消え、資金も枯渇し、もぬけの殻となった教団の組織は、ものの五年も経たずに崩壊した。
残された元信者は、処刑された数百名を除いて、あるものは照れ笑いを浮かべ、あるものは人目を避けるように、あるものは呆けたような顔をして、元の人類社会、つまりワールドに紛れ込んでいったのである。
そして宇宙の巨大な粗大ゴミと化した「神の意思」は、地球人のための生産農場やエネルギー基地として生まれ変わった。
船団は、太陽系の辺境、カイバーベルトの端部に達するまでに約1年間を要したが、太陽の引力から解放されるにしたがって、みるみるスピードを上げた。
やがて交信は途絶えた。
それでも半年ほどは、太陽系各地に浮かぶ衛星から船団を観測できていたが、あるときを境に、その姿はふっつりと消えた。
宇宙船の欠片ひとつも残さず消え失せ、彼らの肉体も精神も、宇宙線が飛び交う極寒の闇に吸い込まれていった。
そしてささやかれた様々な噂。
「仲介者となった女性は教皇の愛人である」
「いや、大統領側のスパイである」
「ワールド政府はスパイを船団に乗り込ませている」
「時限爆弾を仕掛けてある」
「地球人全体が移住できる星を探す密約もある」
そんな話は、様々に姿を変えながら、その後百年もの間、語り継がれることになる。
船団が辿ったかもしれない運命を題材にした数々の物語も生まれた。
それらの物語では、巡礼団が生き延びていることにはなっていたが、それは完全なフィクションとして物語られた。
そしてさらに長い年月が流れた。
神の国巡礼教団の行方を想像する者さえいなくなった。
船団が出立した夜の華々しさも記憶から失われ、その記録の存在さえも忘れ去られた。
イコマが思い出したのは、そんな物語のひとつである。
ただ、それをチョットマに話そうとは思わない。
「どんなシーン?」
「んー、あれ、宇宙空間で、えっと」
チョットマはじれたように、ふうっと溜息をつくと、バックパックからドリンクを取り出した。
「もう! 知恵の人も、データが多すぎて整理できてないのね」
「ハハ、まあね。最近、過去と現在が、ときとして混在してしまう」
イコマは、自分が思い出したことをチョットマに話して、それが噂として広まってしまうことを恐れたのだった。
明後日、あの川原で会談がもたれることになれば、おのずと明らかになるだろう。
それを前に、あらぬ噂を広げて人々に予断を与える必要はない。




