307 ふたりとも、もういいって
辛かった。
洞窟に始めて来たときも、スゥは涙ぐんでいた。
そして、自分の記憶がないことで、スゥを悲しませたと思っていた。
ようやく記憶を取り戻し、スゥが、かつて最も愛した女性だったことを思い出した。
なのに、どうなってもいい、とはどういうことなんだ!
「だって、ユウ本人がここにいるんだよ。クローンではない、本物のユウが!」
すかさず、ユウがスゥの言葉を遮った。
「もう一度言うよ。ふたりとも、もういいって」
それきり、スゥは黙ってしまい、また睫に涙をためた。
ンドペキは、事の成り行きに気がついた。
自分が誰を愛しているのか、ということに。
さっきは、スゥを、そしてユウを愛していると言った。
それは心の赴くままに言ったこと。
では、現実はどうなる……。
目の前に、ユウと同期したスゥがいて、ユウ本人がいる。
自分はスゥを愛している。
それはクローンからマトになったスゥ。
しかし、スゥの存在はユウとしての存在でもある。
しかも、洞窟を用意し、導いてくれたのは、クローンのスゥではなく、ユウの意識だった。
そして、生駒延治としてのンドペキは、心の底から三条優を愛しているのだ。
そんな心が、今自分の中に同居している!
ユウがスゥに声を掛けた。
「私達の意識は、上手く同期しなかったみたいね」
もうスゥは、泣きじゃくっていた。
また、首を激しく振った。
「違う。同期している! 今、ユウが考えていることは、私自身の考え。私自身、何の違和感もない。でも、でも!」
「だから、上手くいかなかったのよ。スゥ、あなたは、あなたであり続けようとしている」
「違う! 私は三条優! でも……」
「苦しいよね……」
「ううん。だから私は、もう……」
ユウが大きく溜息をついた。
「あなたはわかっているのよ。自分が三条優じゃないことが。だから苦しんでいるのね。ユウであることが受け入れられないのよ」
「そうじゃない……」
「私は、感じていた。あなたの苦しみを。だって、あなたは私だもの。ね、シリー川の会談のとき」
「あれは……」
「でしょ。あなたは私にンドペキを取られてしまうことに我慢ができなかった。ノブと交わした約束、最初にキスしようねという約束。あのステージの上で、あなたはそうなることに我慢がならなかった。だから、発砲した」
「ああああっ! そういう……」
なんとあれは!
ンドペキは、心に鉄の楔を打ちつけられたような気がした。
「あなたは私自身。その気持ちはひしひしと伝わってきていたのよ。私自身の気持ちとしてね」
ユウは穏やかに言うが、その目にも涙があった。
「あのことがあって、私はあなたとの同期が完全ではないと気付いた。スゥはスゥの意識に従って行動しているということに」
「そうじゃない……」
「ううん。無理しなくていいのよ」
ユウはあくまで優しくスゥに語り掛けていた。
「ねえ、スゥ。ノブとンドペキはどうなっていくと思う?」
「…わからない」
「でしょう。私とあなたが完全に同期できていれば、わからないなんて言い方はしないはず」
「……」
「ノブとンドペキの同期は、きっと上手くいくと思う。今はまだ、ンドペキとノブの意識は、共存しているだけ。ひとつにはなっていない。でも、半年か一年も経てば、ンドペキだノブだっていう、パラレルの関係はなくなるでしょう。両方の知恵と経験と記憶を兼ね備えた意識を持つようになる。そこに違和感はないし、葛藤もなくなるのよ」
ユウが向き直った。
「ンドペキ、それは寂しいこと?」
わからない。
確かに、今はまだンドペキの意識だとか、イコマの意識だという判別ができる。
それが融合することに寂しい思いをするだろうか。
「わからない……」
そう言いながら、すでに寂しいという気持ちがないことに気付いていた。
むしろ、喜びがあることに気付いていた。
ただ、戸惑いはある。
「ユウ、俺たちはいったい、どうなるんだ? おまえがしたかったこと、なんなんだ?」
俺はパリサイドであるユウと、クローンからマトになったスゥを、同じ人間として愛し続けることになるのだろうか。
それとも、ユウとスゥを別の人として愛することになるのだろうか。
本来、それは自分の問題のはず。
ユウを愛していることを形にして表してこなかったことが、ここに来て、こんな形で罰を受けることになってしまったのかもしれない。
ンドペキは、イコマは、そう思った。
「私がクローンだってことは、ずっと知っていた」
スゥが声を絞り出した。
「六百年前。それを知った。マトになる申請は通らない。クローンだから」
スゥが声を震わせた。
「私は政府のとある権力者に近づいて愛人になった。マトになるために」
「そうだったの……」
スゥの身の上話。
「私が誰のクローンなのか、知らなかった。ううん、知らないはずはないよね。私は三条優だから。でも、他人のような気がした。そしていつしか憎んでいた。お門違いよね……」




