303 プロポーズもしてもらえなかったけど
「いやはや、なんともいえない気分だ!」
フライングアイが何度も感嘆詞をつけて言う。
「僕はあのとき、死んだのか! ユウに! おまえに! おまえに抱かれて!」
「そう。私は、ノブが死んでしまうとわかった。だから、あることをした」
「そうか!」
「うん。私はね、あなたの体のサンプルと、あなたの脳に蓄えられた記憶をすべて記録した」
「クローン!」
「そう。二体」
「えっ、二体!」
ユウは穏やかに話している。
六百年前に起きた不思議。
イコマにとって、小さくはなれど、決して消えることのない金沢での不思議。
それが解説されようとしていた。
「ひとりは大阪に届け、ひとりはマトになる申し込み所に連れて行った。私が付き添って」
「えええっ!」
「怒ってる?」
「怒るわけがない! 僕にとって、本当に女神だったんだ!」
「女神じゃない。私はあなたを心の底から愛していた。ただそれだけ」
ンドペキはクローンだった。
イコマもまた、生駒のクローンだった。
「当時はだれも、クローンだなんて思いもしない。アギにだって、マトにだって、なることはできたのよ」
一体は、マトに。
もう一体は、アギに。
「あなたがアギになることはわかっていた。ノブの性格からすると、マトになるとは考えられなかった。だからもうひとりのクローンはマトになって欲しかった」
「そう。僕はアギになる以外、考えもしなかった。すべての思い出を……」
「でしょう。ノブは肉体を求める人じゃない。心を求める人。思い出を捨てて、身体を欲しがる人じゃない。自分の記憶を、生きた証を、意思や思いを、そして私の思い出を大切にする、そういう人」
「あのころ、僕にとって、おまえとの思い出だけが生きていく支えだった」
「わかってたよ。曲がりなりにもノブの恋人だから。プロポーズもしてもらえなかったけど」
「つっ、それは」
「わかってるって。恨んじゃいないよ。それがノブの優しさであり、もっとも悲しいところだったから」
ンドペキは、イコマは、心からユウに申し訳ないことをしたと思う。
ユウが今、あえて口にした、プロポーズもしてもらえなかったという言葉に、胸がえぐられるような思いがした。
やはり、そのことがユウを苦しめていたのだ。
自分の独り合点や思い込みが、最愛の人を苦しめていたのだ。
六百年経ってなお、ユウの心に鉄球のような錘を落とし込んだままなのだ。
「しかし、よくクローンが……」
「できたのよ。たった、一日でね。でも、それは明らかに違法だったし、光の柱の守人が直接手を下すにふさわしいことではなかった。私は、それが元で、その座を奪われた」
「それなら、帰って来ればよかったのに!」
「そうしたかった。でも、できなかった。私はすでにあまりに多くの秘密を知っていた。光の柱の仕組みも、それが将来どう使われることになるかも。そしてアギの秘密もマトの秘密も。世界人口の本当の予測も。各国の思惑も」
「くそう! なんだって、ユウが!」
「それは言っちゃだめ」
そう。
ユウは聞き耳頭巾の使い手であるアヤの身代わりになったのだ。
特殊な霊能力者を、光の柱の守人となるべき者を、日本政府は探していた。
若い女性で、健やかで、知的で意志の強い者を。
政府が目をつけたのがアヤ。
政府の外郭団体の職員が部屋を訪ねてきたとき、アヤはいなかった。
応対に出たユウは、アヤの身に及ぶ理不尽な要求に気がつき、とっさに自分がアヤであると名乗ったのである。
そして、ユウはアヤとして、黙って部屋を出ていき、光の柱の守人となったのだった。
「私はいわば島流しに。神の国巡礼教団に。スパイとして」
「僕のせいで……」
「ううん。違うわ。私は、光の柱の守人になった時点で、もう元の暮らしに戻ることはできないとわかっていた」
「くそう!」
「もう、済んだこと。怒っても、仕返しする相手もいないよ。怒るだけ損っていうのは、こういうことを言うのね」
「しかし」
「光の柱と英知の壷。あれは結局、人類にとって画期的な試みだった。あれによって、太陽から送られてくる莫大なエネルギーを手に入れることができたし、人類が生きていくための様々な物資の供給拠点にもなった。そして初期にはアギの記憶データベースにもなった。しかも、六百年経った今でもそれなりに機能を果たしている。役にはたったのよ」
その通りだ。
物資の主要な生産拠点はアンドロの住む別次元に移っているが、地上の電力の一部は、今も英知の壷から得ている。
「そういう意味では、私も少しは人の役に立ったかなって」
ンドペキは、スゥの近くに移動した。
自分でもあるイコマと、ユウの昔話はンドペキの心に大きな衝撃を与えていた。
しかし一方で、悄然と座っているスゥが気になって仕方がなかった。
スゥは硬い表情で目を瞑っている。
時々目を開けるが、何かに堪えているかのように、地面を見つめて微動だにしない。
ンドペキはスゥの肩を抱いた。
そして髪を、頬を撫でた。
「ごめん、スゥ」




