302 あなたは、死んだのよ
翌朝、森には朝霧が立ち込めていた。
鳥が鳴き始めている。
夜露に濡れた草の葉先が垂れている。
ンドペキは膝下を濡らしながら、KC36632の後をついて行った。
後ろからはフライングアイ。
ここは。
以前、スゥと聞き耳頭巾の布を使った場所。
まさしくその木の下に、JP01とスゥが待っていた。
KC36632は、軽く会釈すると、もと来た道を戻っていった。
「再生と消去のシステムの破壊は完了したわ。それをレイチェルに伝えに行ったのよ」
JP01はユウの姿で、太い木の根に馬乗りに跨っている。
スゥは、少し離れて、苔むした岩に腰掛けていた。
まるでホトキンの間の再現のように、ユウとスゥの間にはバリアが張られたような緊張があった。
「話の続きをしたいと思って」
ユウが、呼び出した理由を言う。
「あのままじゃ、みんな納得いかないでしょ」
その通り。
あなたは実はイコマなのよ、と言われても、はいそうですか、とはいかない。
実際、イコマの思考が自分のものになってはいるが、まだ違和感は大きい。
自分がイコマ本人だと思うときもあるが、やはり別人の思考を覗き込んでいる感触も併せ持つ。
ユウに促され、手近な岩に腰を降ろした。
意図したわけではないが、ユウとスゥの中間あたり。
あの時と同じように、ヘッダーを外し、マスクも外した。
そういうものに守られて、ユウやスゥと話すべきではない。
フライングアイは、ホトキンの間でそうしたように、ユウのすぐ近くの木の枝にとまった。
「ノブ、ここからが本当に聞いて欲しい話。いい?」
ユウが真剣な目をした。
「手短に話すよ。ンドペキはますます忙しいだろうし」
「ああ、そうしたい」
再生と消去のシステムが破壊されたのなら、街の奪還に全力を注ぎたい。
レイチェルとも話さなければならないし、ロクモンやコリネルスらにも図りたい。
やっと本気の作戦が立てられるのだ。
ここで、思い出交じりの話を聞いている時間はない。
ンドペキの心にはそんな思いが強いが、他方、イコマの心として、JP01の、ユウの話を聞きたいという気持ちも抑え切れなかった。
「きっと、仰天するようなことを言うんだろうな」
イコマが言う。
ンドペキにとって、こういう瞬間が気持ちが悪くなる。
自分でも、今のように応えただろう。
しかし、自分ならそうは言わなかった。
そんな冗談めかした言い方はしないはず。
今、ユウはフライングアイであるイコマに話しかけている。
こんな場面では、ンドペキはイコマの思考を他人ごとのように思うことができた。
「フフ、そう。ね、考えてみて。ンドペキをクローンとして作った。でも、どうやってノブのその時点での記憶を、そのクローンに入れることができたと思う?」
「さあ。僕が、アギになってからのことだな?」
「アギになったノブの記憶。私にはそのデータにアクセスすることさえできなかった。もしアクセスできるなら、私は、宇宙に行く前にあなたにそのことを伝えたかった」
「端的に言ってくれ。僕は驚かないぞ」
「うん。金沢に来てくれたときのこと、覚えてるよね」
「もちろん」
「ノブは、あそこで死んだのよ」
「えええええっ!」
「ほら、驚いているやん」
「いや、そりゃ!」
「でも、大阪に戻った」
「そう。あれは不思議中の不思議だった!」
「本当に無謀だったね。ノブ、死ぬ気だったんでしょ」
「死ぬ気もクソも! おまえに会いたい、それだけだった! そうか! 僕はあそこで死んだのか! そうだったのか!」
「かなりのご高齢だったしね!」
「そう……。死んでもいいと思っていた。おまえにひと目会えるなら」
「うん。あの時、それがよくわかった」
「おまえに会えて、あの時、僕は死んだのか……。おまえに抱かれて」
「そう。ノブは私の腕の中で息を引き取ったの」
「それをユウは助けてくれたのか!」
ンドペキはイコマとして、あのときのことを思い出していた。
いや、もうイコマではない。
生駒として。
生駒延治として。
白い光の中で、ユウが近づいてきた。
ノブ、馬鹿だなあ、と言いながら。
私を信じてって、書いておいたのに。
こんなところまで来て、と光の女神となったユウは言った。
手が触れた。
また、会える日があるんだから、こんなところまで来なくてもよかったのに、とユウはささやいた。
女神の腕に抱かれて、声を聞いた。
二度と来ちゃだめよ。送っていくね、と。
そして、自分は死んだのだ。
真っ白な光の中で。