299 「愛」や「恋」の練習台
KC36632は大広間に待たせてある。
レイチェルの部屋には、ンドペキただひとり。
「アギの意見はイコマさんに聞くとして。あなたの隊に、メルキトはいない?」
「いるけど、そいつの意見より重要なのは、あんたの意見だろ。早く決めてくれ」
「その人の意見も聞きたいな。私の命令だから連れて来い、って言ってもだめ?」
「頼むよ。悩んでいるわけじゃないんだろ。しばらくの間、再生されなくなるからといって、誰も恨みはしないよ」
「そうかなあ」
レイチェルが真剣な顔つきになった。
「機器が破壊されたら、復旧にはかなりの時間がかかるわ。一年、二年、その間に死んだ人は? それに、最悪の場合、復旧できないかもしれない。死んだらもう二度と、この世で会えなくなるかもしれない」
言われるまでもなく、その可能性は十分理解している。
アンドロとの戦いに速やかに勝利し、政府の各機関を手中に収め、元のようにエネルギーや各種の資材を自由に使えるようになってこそ、復旧が開始できるのだ。
「だからこそ、あんたが決めなくちゃいけないんだよ。ニューキーツの最高責任者なんだから」
レイチェルは、「ハーッ」と息を吐き出し、「仕方ないわね!」と、ペンをとった。
「許可する。ただし、破壊の進捗については遅滞なく報告すること」
書簡のJP01のサインの下にそう書いて、自分のサインとハートマークを書き込んだ。
ンドペキはそれを見届けて、KC36632を呼びにいった。
KC36632が、レイチェルの部屋に入る前に小声で話しかけてきた。
「JP01がお会いしたいそうです。明朝六時に、森で。イコマさんもお連れくださいと。外で私がお待ちしておりますので、案内させていただきます。なお、申すまでもありませんが、内密に、とのことでございます」
KC36632と入れ替わりに、洞窟にもうひとりの訪問者があった。
「ハワードと名乗っています!」
アンドロは、一人用の飛空挺で乗り付けていた。
本当にやってきたのだ。
アヤは会うという。
案内するしかない。
通路を行く間に、チョットマとすれ違った。
「あっ」
チョットマが小さく声をあげた。
「やあ」と、ハワードが笑顔を見せる。
「ん?」と、ンドペキは思ったが、すぐに思い出した。
チョットマが話してくれたことがある。
付け回してくる男がいると。
そしてその男は、サリの部屋も訪ねているようだと。
その男とは、ハワードのことだったのだ!
ンドペキは何食わぬ顔で、アヤの部屋に案内した。
「おおっ、バード! 心配したよ! 無事でよかった!」
ハワードの第一声。
それからふたりは、互いをねぎらう会話を続けた。
当たり障りのない話だった。
その間、五分ほど。
「じゃ、長官のところにも寄って行くよ」
そういって、ハワードが部屋を出た。
恋人同士というような甘い再会ではなかった。
やはり、アヤを愛しているというのは嘘だった。
アンドロの恋とは、そういうものなのかもしれないが。
「レイチェルの部屋は隣だ」
「はい」
と、ハワードは姿勢を正した。
「レイチェルが誰か、知っているのか?」
「むろんです」
ノックする。
「ハイ! ハワード!」
応対に出たレイチェルは上機嫌だった。
「無事だった?」
「はい。このとおりです」
ハワードはアヤのときより、よほどリラックスだ。
言葉遣いは上官に対するものだが。
「長官もご無事でなりよりです!」
「心配掛けたわね! 来てくれてうれしいわ!」
レイチェルに拒否さるれぞ、というのは杞憂だった。
ハワードが正しかったというわけだ。
面白くないが、これでハワードがアヤに近付いた理由がはっきりした。
アヤがいうように、単に「愛」や「恋」の練習台だったわけだ。
それが分かっただけで、十分だ。
チョットマやサリに近付いていたのも、その口だろう。
行動力には驚くが、この男の「愛」や「恋」の中身は薄いもの。
レイチェルとの関係は不明だが、所詮は底の浅いものだろう。
しかし、レイチェルの反応は気になる。
まるで、旧知の間柄のような歓待ぶり。