296 お嬢ちゃん。挨拶は終わり
予想通り、ライラは満面の笑みで扉を開けた。
そしてやはり、前置きなしに、例のタブレットの作り方を教えろと迫った。
「まさか、魔法じゃないだろ。製造方法があるんだろ」
しかしスゥは、ライラの要求をばっさり切り捨てる。
「盗み聞きするとは、サキュバスの庭の女帝も落ちぶれたものね!」
「なにを言う! あそこで夫を偲んでいて何が悪い!」
「やはりね。どこに隠れてたの?」
「ふん! 夫はあれでも技術者。あれだけの装置があるんだ。通気口を作り忘れるほど、ボンクラじゃないよ」
「ふうん。じゃ、今から、あなたの記憶を消す。言い残すことは?」
「なに!」
「記憶を元通りにするのが簡単なことなら、消すのも簡単なこと」
ライラも百戦錬磨。
これしきの脅しには、ひるむ様子もない。
美しい髪のセットに手をやって、
「そうか。それならその方法も教えてもらおうか」と、のたまう。
「バカも休み休み言ったほうがいいと思うよ。なぜ、私があんたに教えなくちゃいけないんだ?」
ライラはフライングアイをチラリと見て、
「イコマかい? それともンドペキかい?」
と、唇の端をゆがめた。
「たとえ、東部方面隊の隊長でも、その姿じゃ、あたしにかすり傷ひとつ負わせられないだろうね」
憎々しい目を向けて、椅子に座った。
「さあ、お嬢ちゃん。挨拶は終わり。お食べ」
テーブルの上に、マンゴーがカットされて盛られてあった。
「珍しいだろ。こんなに色が濃くてみずみずしいのは。毒入りマンゴーじゃないし、魔法のマンゴーでもないよ。正真正銘、さっき市場で買ってきたばかりのマンゴー」
スゥも手近な椅子に座ると、オレンジの果実にフォークをブスリと突き刺した。
「あたしゃ、あのタブレットをみんなに配りたい」
「で、たんまり儲ける」
「うんにゃ。マトやメルキトが記憶を取り戻せばいいと思う。どうせ、もうすぐ死ぬ。いい思い出を枕に死なせてやりたいと思わんか」
ライラもマンゴーにかぶりついた。
「命はアンドロに握られている。彼らの指先ひとつで消去させられる。逃げ場なんてない」
「ここがあるじゃない。それに洞窟も」
「フン。いつまでも持つわけじゃない。第一、街に人っ子一人いなくなったんじゃ、この地下であろうが、洞窟であろうが、半年も持つまいて」
「アンドロ軍に負けると思ってるのね」
「ふん。勝てるものか。何しろ連中の本拠は別次元」
「そこで相談なんだけど」
スゥがふたつ目のマンゴーにフォークを伸ばした。
「これ、おいしいね」
「オーエンと旦那様に、協力を頼みたいのよ。彼らが次元の入り口を作ったんでしょ。それなら閉じることもできるんじゃないかと思って」
ライラがぎろりと睨んだ。
「次元の入り口を維持するのに、莫大なエネルギーが使われている。それを止めればいい。オーエンやうちのやつに協力させる必要もないさ」
「でも、そのエネルギー自体がアンドロに支配されてるんだから」
「ハハ。その通り」
「それにね、ライラ。あのエーエージーエスを通れば、政府機関の中枢に攻め込むことができる。アンドロを一掃すると同時に、次元の入り口を閉じてしまえば、こちらにも勝機があるんじゃないかな」
「さあ、どうかな」
「少なくともニューキーツでは、勝てるかもしれない」
「他の街はどうする」
「他の様子はどう?」
「正式な発表なんてどこにもない。あくまで噂レベル。アンドロ軍によって陥落した街もあるそうだ」
「え、そうなの。それじゃ、やはり次元の入り口を閉じるしか手がないじゃない」
「さあてと」
ライラが気のない返事をする。
「もしかして、ライラ」
「ん?」
「人類が滅びてもいいと思ってる?」
「いいや」
「パリサイドを押さえ込めるのは、アンドロしかいないと思ってるとか?」
「うんにゃ」
「じゃ、どうしてオーエンと旦那様に協力してもらおうと思わない?」
ライラがそのあたりに唾を吐き散らすかのような顔をした。