293 なにしろレイチェル研究家
これまでのことを話した。
それでもアヤの反応は、あいまいなものだった。
「私、彼のこと、あまり好きじゃないから」
微妙に安心した。
アヤとハワードの仲の良さを歓迎はしなかったが、かといって嫌悪するつもりもない。
ただ、アンドロが相手だからという不安があることは事実。
「そうか。ハワードはアヤちゃんにご執心だったけどな」
「そうだと思う。でも、彼は私じゃなくても、マトなら誰でもいいかも」
「どういう意味?」
「彼は、今時のアンドロ。んーと、つまり、人間に興味がある」
「愛情とか、友情とか、その口?」
「そう。人としての基本的な感情に興味があるの。私は、まあ、その実験台ってことかな」
実験台。
なんとも味気ない関係だ。
「彼はそれを知りたいのよ。人として生きたいと思ってるのね」
だからといって、その実験になにもアヤを選ばなくてもいいではないか。
「職場に他のマトはいないのか?」
「たくさんいるよ」
「じゃ、なぜ、アヤちゃんなんだ?」
「たぶん、私がレイチェルと仲良しだから」
「ん?」
ハワードが最も興味があるのはホメムなのだという。
「レイチェルとふたりで立ち話をしてるところを、何度か見たことがあるよ」
ホメムのレイチェルと近づくために自分に交際を申し込んだのではないか、とアヤは言うのだった。
「彼は、なんとなく怖いよ」
「どういうところが?」
「んー、なんていうのかな。恐れを知らないというか、思ったことは絶対に実行に移すというか」
「それはわかる」
「思い込みも激しいし。そもそも、アギのおじさんに近づいてくること自体が、常軌を逸しているでしょ」
アヤの言うことが正しいのだろう。
ハワードは、本当はアヤを好きでもなんでもないのだ。
実験台、なのだ。
愛情とか友情といった感情を理解するために、アヤに近づいたのだ。
「念のため、聞いていい?」
「うん」
「ハワードがアヤちゃんを実験台にしたことで、結局は本当の愛情をアヤちゃんに抱くってことはない?」
「それはあるかもしれないよ。だから、私は嫌なの。彼が生まれて初めて好きという感情を持つ相手が私だとしたら、それはそれで光栄ってことかもしれないけど。なにか粘っこいじゃない。ちょっと遠慮したいなって感じ」
「うっとおしいってこと?」
「まあね」
つまり、アヤはハワードに対し特別な感情はなく、もし言い寄ってくるのならシャットアウトするというのだ。
思えば、アンドロはかわいそうな存在である。
しかし、かわいそうだからといって、気に入らない相手と付き合う必要はない。
「わかった。今度ハワードが来たときは、注意して相手しなくちゃいけないな」
「彼の研究ターゲットのレイチェルがいなくなったことで、躍起になってるかもしれないし」
「ところでさ、レイチェルは友達といえる人が少ないそうだね。友達どころか、親しく話をできる人自体がほとんどいないって」
「そう。彼女は孤独」
「ホメムだから?」
「うん。そういうことになるかな。彼女には人類を絶やさないっていう、重い重い責任があるから」
「そうだね」
「私にも、家族はとか、子供はとか、よく聞くよ」
「ふうん。僕もアヤちゃんの夫とか子供のことは気になったけど、もうそれは過去のこと。どうしても聞きたいという気はないけどな」
「それが普通の感覚。でも、レイチェルは違う。彼女は、今まさにその問題に直面してるから」
「ん? ん? ということは、好きな人がいてる?」
「わからないけど……。多分、いてると思う……」
「へえ! 誰?」
「さあ」
「なんだ。聞いてみたことないの? 親友なのに」
「親友かあ。そうなんだろうけど、さすがにね」
親友と呼べる友がいても、ホメムであり、長官であるレイチェルに聞くことではないのだ。
寂しいことである。
「アヤちゃんの他に、サリという兵士とも仲がいいんだって。知ってた?」
「サリ?」
「東部方面攻撃隊の」
「あ、そか。ごめん。私、何も調べられなかったね」
「ううん。いいんだよ。もう」
「どうやって知り合ったんだろ。不思議ね」
「ダンスのレッスンに街に出てるくらいだから、機会はあったんじゃないかな」
「まあねえ。でも、おじさんはなぜそれを知ってるの?」
「ロクモンから聞いたんだ」
アヤがフッと笑った。
「もしかすると、ハワードは知ってるかも。なにしろレイチェル研究家だから。今度は、私からサリに乗り換えるかもしれないわね」
「街の兵士に?」
「彼なら、そんなことはものともせずにアプローチするわよ」
ハワードの、アヤを愛している、とはこの程度のこと。
だから最近、顔を見せないのだ。
もし今度来ることがあれば、これまで以上に冷たく追い返してやろう。
が。
ニューキーツのコンフェッションボックスから、そのハワードが訪ねてきた。
残念ながら、居留守は使えない仕様だ。