292 何もしてやれない
イコマはアヤの部屋にいた。
アヤは眠っている。
命は確実に助かったが、まだ容態は一進一退。
眠っていることも多い。
寝顔を見つめながら、イコマは後ろめたさを感じていた。
ユウと再会できたいきさつをまだ話していない。
隠し事をしているようで、心の中でアヤに謝り続けなくてはいけなかった。
ユウと再開した日、ユウは、自分のことをもっときちんと話せるようになってから、と言った。
まだ波乱があるのだろうと思ったが、まさにそのとおりになった。
ンドペキが自分のクローンだったとは。
ユウのいう、自分のことというのがそのことであるなら、もうアヤに話してもよいということになる。
ただ、話すときはユウと、そしてンドペキが一緒のときに話すべきなのだろう。
それに、ンドペキと自分が思考をひとつにした存在、というにはまだ実感が乏しかった。
それが確固なものになるまでは、アヤとしてもンドペキとどう対処していいか、戸惑うことになる。
今、確かにンドペキの思考は自分のものとなりつつある。
もともとアギは三つの思考体を持っている。
それらは、例えば他の場所にいて人と話をし、全く違うことを考えていたとしても、すべて自分の考えていることとして何の違和感もなかった。
共存しているというのではなく、融合しているというのでもない。
すべては自分。
しかし、ンドペキはどうか。
自分がンドペキであるという意識には、まだ乖離がある。
行動や思考は手に取るようにわかるが、それはあくまでンドペキであって、自分ではない。
とはいえ、別人格の思考や感情を覗いているというのでもない。
自分の思考であり、感情であることもわかっている。
ただ、その間に、まだ薄い膜のような隔たりがあるということなのだ。
ただイコマは、その膜がいずれなくなるだろうとも感じている。
なぜなら、ンドペキは今どうしているのだろうと、意識するまでもなく、自分の思考として感じ始めていたからである。
フライングアイに乗せた自分の思考と同じように。
アヤがうっすらと目を開けた。
かと思うと、またまどろみの中に戻っていく。
もう、アヤのそばに隊員が付いてはいない。
扉は開け放たれてあり、隊員達が入れ替わり立ち代り、覗いていく。
それとなくアヤを見てくれているのだ。
心優しき隊員達。
もちろん、レイチェルも一日のうち、多くをアヤの部屋で過ごす。
みんなに見守られて、うれしいよな、とイコマは声に出さすに言った。
自分やユウのことをまだ話せないなら、ハワードの事を聞いてみようか、という気にもなる。
ハワードの言葉。
あれは本心だったのだろうか。
このところ、ハワードは姿を見せない。
サリのことをさらに詳しく調べてみると言ったきりだ。
冷たくあしらい過ぎたのかもしれないが、イコマは疑心暗鬼になっていた。
彼は、何らかの意図で情報を収集しているだけではないか。
あるいは、逆にすでに捕えられてしまったのかもしれない。
アヤはどんな反応をするだろう。
アヤが目を開けた。
こういうとき、イコマは歯がゆい思いをする。
目を覚ましたアヤの髪も額も、撫でてやれない。
言葉を掛けてやるしかないのだが、気の効いた言葉をそれほど多くは持ち合わせていない。
「一段と顔色がよくなってきたね」
などというほかない。
「夢、見てた」
本当はアヤの顔色はよくなかった。
額に汗までかいている。
きっと、よくない夢でも見ていたのだろう。
しかしイコマは朗らかに聞いた。
「へえ、どんな夢?」
「仕事している夢。いやだよね。職場の夢、見るなんて」
「復帰したい?」
アヤは少し考えて、
「どうかなあ。わからない」と、目を伏せた。
「職場といえば」
ハワードとは誰か、と聞いた。
同僚だと応えるアヤ。
その返事の仕方が想像以上に短かったことで、イコマはさらに聞いてみようという気になった。
「どうして僕がハワードを知っているのか、聞かないんだね」
「だって」