261 デートというには淫靡すぎる
「不思議な品物なんだな。チョットマは相当怖い思いをしたみたいだし」
ンドペキとイコマは、もう互いに気を遣う相手ではなくなっていた。
アギはパパかママ、という慣習が続いてきたおかげで、年上の者に対する言葉遣いが一般的だが、ここは戦地。
有意義でもない気遣いはやめようという意識が、互いに働いていた。
「でも、どうなんだろう。以前は、鳥の歌や木々の声や岩の呟きなんかが聞こえたんだけどねえ。アヤは亡霊の声みたいなもの、聞いたこと、ある?」
娘は話題に入りたかったらしく、頑張って声を出す。
「あるよ。おじさんには言わなかったけど。怖がるといけないから」
ンドペキは、娘がイコマをおじさんと呼ぶのを、はじめて聞いた。
「怖がらないよ」
「だって、昔」
バードは息が切れたのか、荒い息遣い。
「昔、なにがあった?」
「いやあ。僕はそういう感受性が鋭いって、アヤに言われたことがあって」
他愛もない会話で、娘の気を紛らわしている。
付っきりのレイチェルの気分も。
今度はスゥが話を続けた。
「ねえ、チョットマのパパは、大昔、聞き耳頭巾を被ったことがあるんでしょ」
「えっ、ん、まあ」
「そんときのこと、話してよ」
ある山奥の村で起きた殺人事件で、聞き耳頭巾が大活躍したという話。
「かれこれ六百年以上も前のことよね。いまも、妖怪や怨霊なんて、いるのかな」
スゥが、またイコマに話しかけた。
「そりゃ、いるんだろう。実は、以前より多いかも」
「へえ」
「何せ、人の手が及ぶ範囲はあの頃より格段に狭くなったから」
「そうよね」
「荒地も森林も」
「でも、大きな動物はほとんど絶滅してしまったけど?」
「動物が古びに古びて妖気を持つ存在に変化する、ってこともあるけど、ほとんどは何らかの「気」じゃないかな。それが物質に取り付くから妖怪ってことになる。「気」という意味なら、増えることはあっても少なくなることはないんじゃないかな」
「じゃ、今でも、例えばこのあたりの木の話は聞けるのかな。その布を被ってたら」
「たぶんね」
「貸してくれないかなあ」
スゥが厚かましいことを言い出した。
さすがに、これにイコマは反応しない。
レイチェルもポカンと口を開けている。
「おいおい、それはいくらなんでも」
ンドペキは止めようとしたが、スゥはいうことを聞かない。
「だって、確かめてみたいじゃない。きっと、ライラは使ってみたと思う。私も使ってみたいのよ」
頑固だ。
「バードにとって、大切なものなんだぞ」
「わかってるよ。ね、ちょっとだけ」
「いいよ」
ああ、断ればいいのに。
スゥに助けられたのだ。
断れるものではない。
バードの代わりに、ンドペキは「すぐに返せよ」と念を押した。
ンドペキとスゥは部屋を出た。
「商売柄、使ってみたいんだろうが、いくらなんでも、やりすぎ。あの子が断れないのをいいことに」
スゥが、頬を膨らませた。
「そんなに何度も文句、言わなくてもいいのに」
「しかしだな」
「はいはい。すぐに返しますって」
スゥはそう言いながら、ウキウキした足取り。
ンドペキが自分の部屋に戻ろうとすると、腕を取ってきた。
「ね。デートしない?」
腕を払いのけたくなった。
何を言うかと思えば、デートだと。
「ふざけるなよ」
が、スゥはたちまち真顔になった。
そして、どの部屋からも聞こえないところまで引っ張っていくと、
「まじめな話がある」と、言った。
「あなたと、何日もまともに話し合っていない。今後のことがあるから、ふたりきりで話がしたい」
すでに腕は放していた。
そういえば、スゥとふたりで真剣に話したのは、この洞窟にハクシュウ達を案内したあの時以来なかった。
そもそも、この洞窟もスゥが用意してくれたもの。
なぜそうしてくれたのか。こうなることを予測していたような口ぶりだったが、その後、このことについても詳しく話を聞いていない。
実は、まともに礼も言っていなかったかもしれない。
「わかった」
「よかった。今から、いい?」
「どこへ?」
「森」
「もう真っ暗だぞ」
洞窟内では時刻の観念がなくなりがちだったが、すでに夜の十時を回っている。
「真っ暗どころか、深夜ね。ちょっとデートというには淫靡すぎるかな」
「ややこしい言い方はやめてくれ。誰かが聞いたら誤解する」
「はいはい。でも、明日まで待てない。消去される恐れはない。それは保証する」
ンドペキは、スゥに引っ張られるようにして洞窟を出た。
怪訝そうな見張り役に、洞窟の運営について話し合ってくると言い残して。