251 預かり賃、払って
ホトキンの間を通り過ぎ、エリアREFの居住区に差し掛かっている。
これまでのところ、拠点となりうる場所はない。
「ここが、プリブの部屋」
もちろん、チョットマは部屋を開けてみる気はない。
衣装類が残されているだろう。
作ってくれたシャワーブースも。
それを目の当たりにすれば、心が塞ぐ。
「開けられるのか?」
ところが、ネールが聞いてきた。
「番号が変わってなければ」
そう答えたものの、気乗りはしない。
「もう荒らされてるわよ」
アヤの部屋がそうであったように。
しかし、ネールは開けろという。
「拠点とはいかないまでも、なにかの役には立つかもしれない」
チョットマはプリブが教えてくれた通りにドアノブを回した。
「よっ」
開いた。
一見したところ、部屋の中はあのときのまま。
「アンドロの手は、ここまでは回って来ていない、ということだな」
チョットマは、プリブの前で裸になったときのことを思い出して、ひとり赤面した。
あのとき、私は興奮の極みだった。
聞き耳頭巾の布を被っていたおかげで、いろいろな恐ろしい声を聞き続けた。
挙句、どうにでもなれ!という気持ちだった……。
この先にはごみ焼却場。
プリブの背におぶわれた、あの鉄の橋。
そして彼が言ったこと……。
恋の照り焼きは、君がかじったリンゴのような味……。
告白ともつかない、他愛ない一言だったが、私はそれにまともに取り合わなかった。
あんなふうに私を庇ってくれるのなら、そして死んでしまうのなら、もう少し、楽しい反応をしてあげればよかった……。
橋の足下には、あの時と同じように傲然と炎が上がっていた。
「この先よ」
かつて防衛軍を追われた兵士が、立ち並んでいた場所。
「武器を持っていたら、通してくれないって、プリブが言ってた」
「でも、スキャナーは通路の向こう側にあるんだろ?」
「うん。あの時は向こうから来たから、そう教えてくれただけかもしれない」
「そうか。じゃ、ここでイコマさんの出番ですね」
パパが飛んでいった。
「ネール、お金、持ってる?」
「ああ。ピラミッドが買えるほどの金を持ってるぞ」
「ピラミッドって、なに?」
「自分で考えろ」
「フン、私がバカだと思ってるんでしょ」
パパが戻ってきた。
人っ子ひとりいないという。
「なんだ。肩透かしね」
スキャナーの電源も落ちているという。
「では堂々、無賃通過といこうか」
アンドロが街を支配して、あのかわいそうな兵士達の仕事はなくなってしまったのだろう。
長い階段を駆け上りカーテンを開けると、あの小さな部屋。
強烈な臭気が襲ってくる。
男が、あの時と同じようにうずくまっていた。
チョットマは、声を掛けた。
あの時、あれほど恐ろしかったことが、今は平気。
それどころか、慣れた気持ちまでするから不思議だ。
「あの、私の装備、帰りに取りに来ますから、まだ預かっておいてください」
男が、汚れきったコウモリのような手を出してきた。
「ネール、預かり賃。払って」
「いくらだ?」
「わからない。この人が満足するくらい」
「だから、それはいくらなんだ」
「自分で考えろ」
そう言いあっている間に、男が手招きをした。
「え、私?」
男が頷いた。
「はい……」
チョットマは、男の前に跪いた。
男が、顔を寄せてきた。
やばいかも。
背に悪寒が走ったが、ここは我慢。
危険はないはず。
プリブが、この男は信用できると言ったような記憶が……。
それにライラの知り合いだもの。
「チョットマだね」
囁いた男の声は、思いのほかしっとりとしていて張りがあり、しかも穏やかだった。
「はい……」
「君を襲ってきた奴を、こちらで始末しようとしたんだが、取り逃がしてしまった。ここから先は気をつけて行くように」
「はい!」
男の顔はローブに隠されて見えない。
しかし、この場所の強烈な臭いはこの門番から発せられているわけではなかった。
男からは、芳しいとは言わないまでも、かすかに香の匂いまでした。
「あの、そいつ、誰なんでしょう?」
「ん?」
知らなかったのか、と男は言った。
「クシというやつだ」
クシ……。
やはり、あいつか……。
名を聞いただけで、チョットマは恐怖を感じた。
その名に呪いがかかっているかのように。
しかし、なぜ私を付け狙う。
それが分からないことが、恐怖を増幅させた。