218 愛……
アヤは今なお、エーエージーエスの中で虫の息。
イコマは、元々はレイチェルがアヤをあの牢獄に放り込んだものと考えていた。
そしてレイチェルを憎んだ。
しかし、今、その憎しみはほぼ消えている。
ンドペキによれば、レイチェルはアヤを親友と言ったという。
そして、救い出してくれと。
レイチェルがアヤをあの牢獄に放り込んだわけではないし、道連れにしたのでもない。
その言葉を信じれば。
では、なぜ、アヤは。
なぜ、こんなことに。
もう、そのストーリーは見えている。
しかし、レイチェルの口からその詳細は聞いておかねばならない、
「お疲れでしょうが、まだお聞きしたいことがあります」
「いえ、疲れてなどいません。私は皆さんのお役に立ちたいと思っています。あそこから、命を賭けて救い出してくださったのですし、今もバードを救い出すべく、奮闘してくださっているのですから」
レイチェルはアヤをバードと呼んだ。
「そのバードのことです。彼女はなぜ、あそこに監禁されたのでしょうか」
そう言ってしまってから、これはレイチェルに対してかなり失礼な質問だと思った。
「そもそも、なぜあなたはあそこに放り込まれたのですか?」
まずは、レイチェルのことを先に聞くべきだった。
想定通りの答えが返ってきた。
「アンドロ一派がしたことです。そう確信しています。ついに彼らは動き出したのです」
ハワードがしてくれた話とほぼ一致していた。
「アンドロはこの街を実質的に支配しています。この街だけではありません。世界中の街を、です。彼らの力なしには、私達は食べるものさえ手に入りませんし、どんなエネルギーも生み出せません。街の秩序さえ保てません」
かつて、アンドロは人間のために働くロボットとして作られた。
しかし、その必要度が増すにつれ、そして人間の数が減るにつれ、単なる人造人間としてのアンドロだけではなく、ごく一部には、ある程度の感情を持ったり、思考の深みを持ったアンドロが作られるようになった。
それらの高度なアンドロが、街のありとあらゆる機能や生産の現場、また街の秩序を保つアンドロを管理し統率する役割に就いた。
今や、ホメムやマトやメルキトに比べて、アンドロの数はその数十倍以上に膨れ上がっている。
ロボットとして御しきれる数ではもうない。
「いずれ彼らが蜂起することは、明らかでした」
「彼らは、なにをしようとしているのですか」
「権利欲」
「街を支配する、そういう権力ですか」
「少し違います。彼らが欲しいのは、愛です」
「愛……」
「そんな感情を持つ権利」
よくわからない。
ハワードのことが頭をよぎり、イコマは言葉に詰まった。
フライングアイには表情がない。
会話には不向きだ。
スムースに言葉を紡いでいかなければならない。
何かを言わなければ。
しかし、レイチェルにさらに説明を促すいい言葉が見つからない。
迷いを察したからか、レイチェルが説明を付け加えてくれた。
「彼らにはそのような感情はありません。しかし、彼らの一部が気づきました。自分達に欠けているのは、愛という感情がないことだと」
ハワードも同じようなことを言っていた。
「愛……」
そうなのだろう。
彼らの要求は。
「良い人と巡り合い、恋し、愛する人と結ばれ、子供を生み、育てていくという、人として当たり前の暮らしが無いのだということに」
レイチェルが努めて淡々と話している。
包帯の中の目に、その努力が見える。
「そして自分達には友情さえもないことに。彼らは、それらを手に入れたいと思っているのです。そのための権利を。あるいは権力を」
「与えればよかったのでは?」
「私はそれもいい、と思っています。今となっては。しかし、できません。愛があるなら、憎しみや怒りの感情も生まれます。それは表裏の関係ですから」
「そうですね」
「そして、彼らが自らの意思で繁殖を始めれば、地球はアンドロが完全支配する星になるでしょう。そこには抵抗感があるのです。それに、我々人類は、純血を尊びます」
ほとんどのホメムはそう考えている、とレイチェルは言う。
自分は違う、と言っているようで、イコマはレイチェルのずるさを感じた。
「彼らは私をあそこに幽閉し、私の偽者を作って、ことをスタートさせようとしているのでしょう」
「偽者を……」
「そうです。バードは私のたった一人の親友です。彼女をまず、あそこに閉じ込め、私をおびき出した。私は彼らの謀略にまんまと引っかかりました。たいした護衛もつけないまま、彼らの本拠に乗り込んでしまいました。そして、こんなことになってしまいました」
そういって唇を噛んだ。
そうだったのか!
アヤは、レイチェルをおびき出す餌だったのだ!
もうレイチェルに対して、怒りを感じなかった。
レイチェルの、感情を抑えた話しぶりに、彼女も犠牲者なのだと思う気持ちが生まれていた。
ずるい面もあるが、それはかえって正直さの現われ、とも思えた。