192 この子は竜神に触れたぞ
あっ。
小さく叫んだ。
息がかかりそうなほど近くに、白い蛇が。
こちらを見ている。
目が合うと、蛇はするりと身をくねらせ、いずこかに消えた。
チョットマはゆっくりと息を吐き出した。
意識が戻ってくる。
体が震えだした。
恐怖からではない。
助かった……。
そんな感触が全身に流れていた。
刺された胸に手をやった。
服に穴が開いているが、傷はたいしたことはないようだ。
一筋の血が流れているのみ……。
よろよろと立ち上がった。
刺された胸が痛む。
しかし、打った背中の痛みほどではない。
もしや。
もう一度、胸に手をやった。
ああっ。
短剣を受け止めたのは、ハクシュウからもらった鋼の板だった。
みると、中央の穴の縁に大きな切り傷がある。
短剣はちょうどこの穴に切っ先を。
いや、そうではない。
この鋼の板が、瞬時に動いて、短剣の切っ先を受け止めてくれたのでは……。
首からぶら下げていたのは、もう少し下のはず……。
「チョットマ、ここを離れたほうがいい」
パパに促され、チョットマは迷った。
どうする?
どこに向かう?
ホールに向かって、足早に歩いた。
恐怖でがちがちになった脚は、やたらと足音を響かせた。
ちっ!
ホールに、先ほどはいなかった兵士が警戒に当たっていた。
こちらを見ている。
ここで引き返すのはまずい。
とはいえ、廊下に並んだ部屋に飛び込むこともできない。
チョットマは、できるだけ不自然に見えないように、歩み寄っていった。
「フードを取れ!」
兵士が怒鳴った。
チョットマは言われたとおりにし、そのまま兵士の前を通り過ぎ、出口に向かった。
振り返らずに。
そこにも兵士が立っていたが、見咎められることはなかった。
ひとり、目を剥いたものがいたが、若草色の長い髪に目を留めただけだろう。
うずくまる人影はあるが、廊下はしんと静まりかえり、動くものはない。
チョットマはフードを被りなおした。
また、眩暈が……。
どうすればいい!
プリブがやられた!
どこからともなく声が聞こえてきた。
「ハクシュウの隊員がやられた」
「変装していたのに」
「見破られたのだ」
また、声がした。
「物好きな将軍、ひとつ目を愛す」
「非常事態。これはもう、忘れられた言葉」
「パリサイドに勝てやしない」
小さな声がさざなみのように、押し寄せては消えていく。
「アンドロを葬り去れ」
「地下深くに潜り込め」
「臭くて湿った街は解放だ」
「この子は竜神に触れたぞ」
「狂気の男はまたしくじった」
「吉と出るか凶と出るか」
無事に建物を出た。
街を歩き回ったが、どう歩いたか、覚えていない。
プリブ……、
あなたは……。
相手は明らかに私に向かって発砲した。
その瞬間、プリブが回りこんでくれたのだ。
そのせいでプリブは!
私の盾に!
敵はエネルギーの充填が間に合わないと判断したのだ。
だから、短剣で襲ってきた。
ものすごいスピードで。
恐ろしい。
こんな恐怖を感じるのは初めてのことだった。
すれ違う人が恐ろしい。
何の変哲もない物陰が恐ろしい。
自分の住む街なのに。
プリブ!
どうして!
それに、あいつは誰!
なぜ、私を!
以前も襲われたことがある。
きっと同じやつだ!
恐ろしい。
でも、絶対に許さない!
あの蛇は。
あいつは蛇に怯んだのだろうか。
それとも、鋼の板が私を護ってくれたから?
二太刀目を浴びせるのは不利だと判断したから?
私は装備もなく、応戦する手立ては何もないのに?
深夜の街を徘徊しながら、チョットマは何も考えられないでいた。
遠くの空に閃光が光った。
発砲だろうか。
我に返った。
どうする。
今から、どうすればいい。