179 では、ハクシュウを呼びなさい
その頃、ンドペキは洞窟大広間中央のテーブルに陣取っていた。
宵が深まるこの時刻、誰からも連絡はない。
ハクシュウ隊が街に向かってから、かれこれ六時間になる。
普通に考えると、もう街には入っている。
首尾よくホトキンを見つけられても、行程を考えると、まだ帰り着くことは無理だ。
エーエージーエスに直接向かったとしても、まだ着かないはずだ。
スジーウォンの方はどうだろう。
夜の荒野で、チューブの入り口を探し回っているだろうか。
別の入り口が見つかったのなら、伝令を寄越してくれるだろうが、見つかっていないなら一旦ここに戻ってくるかもしれない。
あるいは効率を考えて、野営するつもりかもしれない。
チューブで襲ってきた軍。
荒地軍。
ンドペキはその意味も考えていた。
ここも、今にも軍が押し寄せてくるかもしれない……。
もうひとつ。
洞窟の奥、もうひとつの出入り口の有無。
それを確認するタイミングはいつ。
ンドペキは、早晩、それを確かめるべく、瞑想の間を抜けていく覚悟をしていた。
コリネルスからは、地下水系の始まりと終わりは発見できないという報告が来ていた。
いずれにしろ、自分たちは水に潜って移動することはできない。
水系は移動路、避難路にはなりえない。
「レイチェルが会いたいと言っています」
ンドペキは思考を中断し、レイチェルの部屋に向かった。
嫌な予感がした。
「どうだ。具合は」
「ンドペキ! 明日、私、帰れるかな」
予感は的中した。
「だめだ」
ンドペキは言下に否定した。
隊員が運べば帰れないことはないだろう。
が、ここでレイチェルを解放するわけにはいかない。
「そう……、じゃ、ンドペキ、あなたが私の名代になってくれる?」
「ん? なんのことだ」
「だって、パリサイドとの会談が」
失念していたわけではない。
しかし、どうでもいいことのように思えていた。
あの連中がどこにコロニーを作ろうが、あるいは作らせまいが、自分達にはさほど影響はない。
ここでレイチェルが足止めを食らっていたとしても、それなりの代役はいるはずだ。
「誰かがやるだろ。あんたの部下の誰かが」
「ダメ」
レイチェルが強く首を振った。
「私の考えと、今、政府を握っている人たちとは、考えが違います」
アンドロのグループ。
彼らは、自分達の政府を作ろうとしている。
レイチェルはそう言う。
「そうなんだろうな。君をあそこに放り込んだんだから」
「ええ」
「しかし、その一派、世界政府から独立するってことか?」
「そんなこと、できるはずがありません。それでは街は維持できないから」
「じゃ、どうする」
「私のクローンを作るんだと思います」
「クローン?」
「私の分身を。私とそっくりな」
「ばれないのか? 君には両親がいるんだろ」
レイチェルが首を振った。
「両親は、もう。兄がいるけど、疎遠です。本物の私か偽者か、見分けはつかないでしょう。めったに会うわけじゃないし」
「そんなもんか」
「すでに、私の分身は完成しているのかもしれません。だから私をあそこに放り込んだ。そうなのかもしれません」
なるほど。
レイチェルの言わんとすることは理解できる。
「そのアンドロ連中は、パリサイドの提案を蹴るというんだな」
「その通りです」
それでもいいではないか。
だが、レイチェルが違う意見を持っている以上、自分が意見を言う立場にはない。
レイチェルは街の長官であり、軍の総司令官。
言葉遣いは逆転しているが、それは今が作戦会議ではないから。
「今日の会議で、他の街の対応が、どう決まったのか、知りません。ですが、私は彼らと共にこの地球で暮らしたいと思っています」
なぜ、そう思うのだろう。
聞いてみたいと思った。
しかし、それは今ではない。
「君を街へ戻すことはおろか、シリー川まで連れて行くこともできない」
「ンドペキ。では、あなたに頼みたいのです。私の代行を」
「それはできない。俺はここを離れられない。仲間が今、厳しい作戦を遂行している。俺がここを離れられるのは、ハクシュウが帰ってきたときだ」
レイチェルが急に厳しい声を発した。
「では、ハクシュウを呼びなさい。私から話をします」
しまった。
ハクシュウのことは伏せておくつもりだったのに。
ンドペキは迷った。
ハクシュウの作戦を伝えるべきか、ごまかすか。
「ハクシュウは今、ここにいない。街に向かっている」
ンドペキは、上官と部下の会話にならないよう、あくまで目下に言うような言葉を使った。
おまえ、はさすがにはばかられるので、君、に格上げだが。
「なぜ」
「君のバードを救い出すため」
「……」