176 絶対に口を開くな
「ギャーッ!」
壁からぬっと手が出てきて、チョットマの腕を掴んだ。
壁と見えたが、同じような色合いの布が垂れ下がっていた。
ぐいっと引かれた。
「うが!」
思わず振りほどき、逃げ腰になるチョットマに、
「シッ。こっち」と、プリブの声。
それでも、足が動かなかった。
「チョットマ」
布がたくし上げられ、浮浪者の顔が覗いた。
ますます暗い階段が下に続いていた。
「ここからは一緒に行こう」
浮浪者がささやいた。
穏やかな声だった。
うめき声や叫び声が引いていく。
人の声はこんなにも温かいのか。
浮浪者はプリブだ。正真正銘の。
チョットマは、その声にすがりつきたい気持ちになった。
パパが声をあげた。
「チョットマ、ごめん。返事ができなくて。プリブに言ってくれ。ホトキンの情報はまだないと」
久しぶりにまともな人の声を聞いて、チョットマは涙が出た。
「もう! 怖かったんだから!」
プリブが、チョットマの髪に手を触れた。
「驚いただろ。こんな場所もあるんだよ」
「もう、ほんとにぃ!」
プリブに髪を撫でられても、チョットマは少しも嫌な気はしなかった。
むしろ、安心感に満たされた。
「それなら、最初にそう言って欲しいよ。こんな恐ろしいところに、連れて来るんなら」
「ごめん。でも、話してるといろいろ情報が漏れるから」
「だって」
また涙が出た。
「亡霊みたいな声がたくさん聞こえるんだよ。こんな場所、異常だよ」
「亡霊?」
涙が次から次へと出てきて、声にならなかった。
プリブは、何度も謝った。
「ごめんよ。そんな声を聞いてるとは思わなかったんだ」
「だって」
チョットマは、駄々をこねている子供のようだと思ったが、なかなか涙は止まらなかった。
「頼むよ。いい加減、泣き止んでくれよ。こんなところで立ち止まってるわけにはいかないんだから」
そういわれて、ようやく涙が止まった。
「もう大丈夫」と、前を向いた。
プリブはほっとしたように息を吐き出すと、
「ここから先、何か聞かれても、絶対に口をきくなよ」と、言う。
「どんなことにも、驚いた素振りを見せちゃいけない」
「えっ」
「完璧な無表情で。動じちゃいけない。何を言われようとも」
「……わ、わ、わかった」
「俺がいいというまで、絶対に声を出すなよ」
しつこく念を押されて、チョットマは覚悟した。
これまで以上に恐ろしいことが待ち受けているのだ。
できるだろうか。
懐に手を入れ、パパ、守って、とささやいた。