174 魔界
幻覚?
呻き声が聞こえる。
唸り声や叫び声が聞こえる。
名を呼ぶ声が聞こえる。
壁から聞こえるのか、床から聞こえて来るのか、天井からの声か。
さまざまな声が。
嘆きや恨み、怒りを帯びた声。
チョットマは恐ろしくなってきた。
すぐ近くで聞こえることもあれば、遠吠えのように聞こえることもある。
プリブを追って、建物の奥深く、地下深くに進むにつれて、その声は耳を覆わんばかりになっていった。
廊下にうずくまっている者は、その数を増し、時折、脚を掴まれそうになる。
手を差し伸べて物乞いする者もいる。
フラフラと歩きながら、奇声を発している者がいるかと思えば、腹這いで進んでいる者がいた。
天井からぶら下がった大きな袋から手が伸びて、顔を叩かれそうになった。
男か女も分からないそれらは、誰もが痩せこけていて、強烈な臭いがした。
まずいところに来た。
チョットマは始めて見る光景に恐れおののいた。
もうプリブと距離をとってはいられない。
いつでもプリブに触れられるほど、数メートル後ろを歩くようにした。
時折、普通の身なりの人間ともすれ違う。
そういう人に出会うたびに、プリブは軽く会釈する。
しかし、言葉を交わすことはない。
彼らは、男であれ女であれ、健康そうで颯爽と歩んでいく。
服装は様々で、兵士姿の者もいた。
普段は気にすることもないが、そんな普通の人を見かけると、心強く感じた。
ここは魔界でもなんでもない。
ニューキーツの街だと実感できて、混乱しかけた頭に新鮮な風が吹くような気がした。
突き当たりに狭い階段が見えた。
プリブはそれを数段降りると、踊り場にある小さな扉を開けた。
「どこまでいくの?」
「シッ」
そう言ったきり、プリブは扉の中に入っていく。
ますます細く、いよいよ暗い階段。
しかも曲がりくねっていて、横道がたくさんある。
先ほどまでは、まだビルの地下だという気がしたが、もうそんな場所ではない。
壁にべったりと血がついている。
かと思うと、不思議な文様がおぼろな光を放っている。
天井から緑色の粘液がしたたり落ちていたりした。
そしていよいよ暗い。
これが魔界かと思えるような光景が続いていた。
心細くなってきた。
一瞬でもプリブの背から目を離すと、たちまち見失いそうな気がしてきた。
こんなところで、はぐれてしまっては、それこそ怖い。
通路はもう直線ではなく、右に折れ左に折れ、階段を数段登ったかと思うと下り、どんどん奥深く、地下深くへ入っていく。
スロープを下ったかと思うと、滑りやすい床に汚れきった水溜りがあり、吐き気をもよおす臭気が立ち上っている。
水溜りの底には、見たこともない白い生き物が細い足をうごめかし、あるものはくねくねと不規則に体を反り返らせていた。
もう、目をつぶって駆け抜けていくしかなかった。
チョットマは飛び上がりそうになった。
「出 て 行 け!」
耳元で怒鳴りつけられた。
地獄の底から聞こえてくるような、くぐもった声。
声を聞くだけで、まつげが一瞬にして真っ白になってしまう、そんな毒を含んだ声。
また、もう少し進むと、ヒャヒャヒャ!と笑い声が天井から降り注いだかと思うと、グエーッという声にならない叫び声がこだました。
その叫びに、殺してやる! という声が被さった。