161 無謀だった私
実は、私がそういった書類にサインをしなかったのは、これが初めてのことです。
いつも、名前も罪状も、読んでいる振りをするだけで、まともに見てはいなかったのです。
今回は、たまたまその名前が目に留まったのです。
ニューキーツの住民で、政府機関に勤めるマト。
バード。
彼は、パリサイド側に政府の動きに関する情報を漏らした罪だと説明しました。
私は、サインはできないと突っぱねました。
なぜ、バードが。
ご存知だとは思いますが、拘束というのは、強制的に死亡させ、そして再生させるのとは、次元が違う重い罰です。
強制死亡処置なら、都合の悪い部分の記憶を消して再生させることができます。
また、消去という対応もあります。
これは残忍な方法で多くの殺人を犯す、政府の転覆を実行に移すという類の重罪で、まれに行われます。
いくら記憶を消しても、生きておればその被害者は納得しないという場合の罰です。
拘束というのは、思想的な部分に起因する犯罪に対する処置です。
これも記憶を消したからといって、安心できません。
性向は残るからです。
私がサインはできないと突っぱねたにもかかわらず、長官は困った顔をして、立ち去ろうとしません。
悪い予感がして、さらに問い質しました。
この人物は、今どこにいる、と。
長官は答えられませんでした。
答えられないはずがありません。
居場所は確認できているはずです。
でなければ、拘束の許可を得に来るはずがありません。
私の許可を待たずに、すでに拘束しているのだと悟りました。
すぐに、そういう人物を拘束したときに使う施設があるエリアに向かいました。
十分な陣容で向かうべきだったと後悔していますが、そのときはとっさの行動でしたから、身近にいた親衛隊員を数名引き連れただけだったのです。
一緒について来ていたはずの長官も、いつのまにか姿を消していました。
でも、私はそのことにさえ気づきませんでした。
私はその施設を見たこともありません。
どういう場所なのか、という知識もありませんでした。
世界中にこの街にしかないとは知っていましたが、何人くらいが収容されているかも知りません。
収容された人が、どのような待遇を受けているのかも知りません。
全世界から送り込まれてくる思想犯罪者を閉じ込めておく場所、というくらいにしか考えていませんでした。
これまで、私は、その扉を開ける許可のサインをするだけの役目、だと考えていたのです。
その施設の入り口がどこにあるのか知りませんし、実際問題、その扉を開ける方法も知りません。
闇雲にそのエリアに向かったのです。
バードが閉じ込められてしまった。
私がパリサイドのことを話したばかりに。
そう思うと、いても立ってもいられなかったのです。
そのエリアは、私に対抗する派閥の管理下にあります。
そこに乗り込んでしまったのです。
結果として、それは無謀でした。
施設の責任者に会いました。
そして案内されました。施設の入り口だというところに。
彼は、キーを操作し、扉を開けました。
私は無防備でした。
親衛隊員は、その場で殺されてしまいました。
私は突き飛ばされ、施設の中に転げ落ち、あっと思ったときには、扉は閉じられてしまったのです。
私は、斜めになった床に投げ出され、そのまま滑り落ちていきました。
そして、何かにぶつかって止まりました。
完全な闇で、手を近づけても自分の指先さえ見えないところでした。
私が引っかかったもの。
それは人のようでした。
恐る恐る、相手の体に触れました。
そして声をかけました。