159 鼻の下のチューブ
「ンドペキ、本当に、ありがとう。助けて、くれて」
「礼はいい。話を聞かせてくれ」
実際はバードと間違って助け出したのだが、今は言う必要はない。
「はい」
レイチェルは応えたものの、なかなか話し出そうとしなかった。
「疲れたか? 寝かせようか?」
「ううん。そうじゃない。上手く、思い出せなくて」
「だろうな。順序はどうでもいい。話したいことだけ話してくれればいい」
頷いたきり、レイチェルは毛布に目を落とした。
レイチェルやバードという女に何が起きたのだろう。
レイチェルは死にかけた。
バードはもしや……。
ンドペキは、レイチェルに悟られないように顔を撫でつけ、硬直した顔に笑みを戻した。
聞いておきたいことはたくさんある。
その前段階の話は、しておかねばならない。
まず自分たちの状況を話しておこうという気になった。
「じゃ、おまえが思い出すのを待つ間、俺達のことを話しておこう」
上官に向かって、おまえ、と呼んでしまっているが、構うことはない。
地下の施設に入ったところから簡単に話し始めた。
レイチェルは黙って見つめ返し、一心に聞いていたが、初めて目をそらしたのは、百五十名の軍が現れたというくだりだ。
視線を宙に泳がせ、唇を引き結んだ。
「続けていいか?」
「……はい」
地上でも軍に襲われたこと、そしてこの洞窟に逃げ延びたことを話した。
ただ、ハクシュウ隊の作戦については伏せてある。
「と、いうことだ」
話し終えると、レイチェルがすかさず口を開いた。
「その軍は、政府の正規軍では、ありません。なぜなら、私が、その軍を、動かすことが、できる、からです」
そう言って、唇を噛んだ。
「ああ、そうなんだろう」
言葉に詰まった。
レイチェルのあずかり知らないところで、軍が行動を起こしている。
彼女にしてみれば、悔しいどころの話ではない。
しかし、あれが街の防衛軍であるとは限らない。
ンドペキはこのことについても、今はまだレイチェルに質すつもりはなかった。
曖昧な沈黙が流れた。
しかし、シルバックがそれを許さなかった。
「じゃ、あの軍をどう説明するつもりなんです?」
レイチェルは、そこにシルバックがいたことに初めて気づいたように、ハッとして目をやった。
「シルバック、ちょっと待て。話はゆっくりしよう。レイチェルはまだ意識が朦朧としているんだ」
「わかっています。でも、私達も追い込まれている。この人のせいで。ゆっくりなんて、していられません」
シルバックが、レイチェルのせいで、と断じた。
長官、すなわち総司令官のせいで、と。
その言い方に引っかかったが、今は指摘する場面ではない。
「気持ちは分かるが、黙っていてくれ」
シルバックはブスリとしたが、一応は分かりました、とそっぽを向いた。
一応は、とはどういう意味だ、とンドペキは憮然としたが、それも顔には出さなかった。
しかし。
「あなた、私のせいで、と言ったわね」
「そうです」
せっかくシルバックを黙らせたのに、レイチェルが反応してしまった。
「なるほどね……」
レイチェルは鼻の下のチューブに指をやって、考え込んだ。
「少しずつ思い出してきた……」
「長官、少し休みましょうか」
医務隊員が気遣った。
「興奮するのは良くないです」
レイチェルは、鼻の下に指をあてがったまま、視線を天井に向けている。
「ありがとうございます。でも、興奮はしていません。それに、意識も朦朧としていません」
たしかに、レイチェルは急速に回復しているようだ。
長官、と呼ばれて気が引き締まったのか、声がしっかりしてきた。
たどたどしかった言葉も滑らかになってきた。
ンドペキは、
「俺達も腰掛けよう」と、ベッドの端に腰掛けた。
シルバックは部屋ごとに設えられた椅子に座り、医務隊員はテーブルにもたれかかる。
部屋の中の緊張がごくわずか、緩んだ。
「ハクシュウはここにはいない。俺達は切迫している。ここでの指揮権は俺にある。安心して話して欲しい」
レイチェルは、微妙に目元を和ませ、また「よかった」と言った。
「じゃ、そろそろ、おまえの話を聞こうか。何があったんだ」




