142 水中の影
「弱ったな」
結局、誰も手を挙げる者はいなかった。
「この洞窟を死守する大切な役目だ。担う者がいなくちゃ。しかたない。後からでもいい。申し出てくれ」
と、ハクシュウの目が、水辺に座った隊員達に向かった。
見ると、こそこそ話している。
パキトポークの隊員。
スジーウォンのギクリとするほど厳しい声が飛んだ。
「あんた達! どうする?」
「えっ」
全員に見据えられて、その数名がたじろいだ。
「遠慮はいらんぞ!」
ハクシュウがスジーウォンをなだめるように手を挙げて、優しく声を掛けた。
「ここで抜けても、誰も咎めはしない」
ひとりが立ち上がった。
「失礼なことを言わないで欲しいな」
獰猛そのもの、猿人の顔を持つ男だ。
「俺はあんたと行動を共にする。たとえ反逆罪に問われようともな」
ハクシュウは黙っていたが、スジーウォンがまた噛み付いた。
「じゃ、無駄話はやめて!」
「スジー。勘違いしないでくれ。今、ここで妙なものを見たから、確認しあってたんだ」
隊員が水辺を指差した。
「なに!」
スジーウォンがその場に突進した。
「もういない」
「なんだったんだ!」
「わからない。黒い影が見えた。体長二メートルほどの大きな生き物だった」
大広間がざわついた。
「人間か?」と、スジーウォンがくってかかる。
「いや、どういうんだろ。魚じゃない。もっと動物的な」
「イルカみたいな?」
「あっ、それそれ」
人魚姫でも想像してんじゃないか、というクスクス声が聞こえた。
「違う! 俺だけじゃない。ここにいる三人が見たんだ!」
猿人顔がむきになって言う。
ハクシュウが静かな声を出した。
「なるほど。いい観察だったな。言われてみればこの淵も外に繋がっているかもしれない。監視対象にしなくちゃいけないな。この淵の地上部の入り口と出口はどこだ? やれやれ、やるべきことがどんどん増えるな」
その一言で、大広間の空気が和んだ。
「よし。次の話に移るぞ。気を引き締めて聞いてくれ」
ハクシュウが作戦の解説に移った。
まず、地下のチューブに向かったパキトポークとスゥの救出。
「スジーウォン。おまえが行け。おまえの隊員とパキトポークの隊員から数名を選べ」
「わかった!」
「無理はするな。声のそぶりがちょっとでもおかしいと感じたら、たとえ扉が開いても中に入るな」
「うーん」
スジーウォンは承服しない。
「それじゃ、パキトポークを助けに行けない」
「別の入り口を探せ。あるはずだ。軍があの入り口から入ったのなら、地上のコリネルスが気づかないはずがない」
「そうね」
「しかし、その入り口もあの男の声が支配しているなら、そのときは良く考えて行動してくれ」
「了解」
次に、残してきた機材の回収任務。
「今すぐ回収しなくてもいいとは思うが、あそこに置いておくと、荒地軍が地下施設の入り口に気づいてしまう。そうなれば、パキトポークが首尾よく出て来れなくなる恐れがある。この作戦は、コリネルス、おまえだ」
「了解!」
「おまえの隊と、スジーウォンの選抜に漏れた者を使え」
「わかった」
「洞窟周辺の警戒も頼む。なるべく広い範囲をカバーしろ。この洞窟はなんとしても知られたくない」
「ああ」
「それから、この淵。水源の位置と、水の出口の調査もだ」
「了解だ」
次に、街に向かう隊。
ンドペキは、自分を指名しろと願った。
「街に戻り、俺達の置かれた状況を確かめる。そして、ホトキンという男を見つけ出し、地下施設に連れて行くという任務」
ハクシュウが作戦のあらましを解説している。
かなり難しい作戦である。
街に入れるかどうかも分からない。
しかも、見ず知らずの男を探し出し、説得し、あるいは脅迫し、力づくでもあの施設に連れて行かなければならない。
街に入るどころか、その手前で消滅させられるかもしれないのに。
「この作戦、俺が行く」
ンドペキは思わず叫んだ。
「行かせてくれ!」
ハクシュウが怒鳴った。
「黙れ!」
大広間が静まり返った。
「おまえは消されるかもしれない身だぞ!」
「しかし、もうそれは、レイチェルがこちらにいる以上……」
「黙れ! あの女がレイチェルだと言い切れるのか! 政府にとって、おまえの価値はまだあるかもしれないんだぞ!」
「それならそれでいい!」
「ふざけるな! そんなやつにこんな役が任せられるか! おまえは、自分の思いだけで、パキトポークらを見殺しにできるのか!」