112 巨大な殺人マシン
「なぜ、パリサイドと戦争しようとしているのか、全くわかりません。勝てない相手だと、思うのですが」
軍を動かすことができるのは、一義的には総司令官を務める街の長官。
レイチェルめ。
何を考えている。
だが、レイチェルが戦争やむなしと考えているとは限らない。
色々な可能性はあるだろう。
イコマは憶測を並べ立てようとは思わなかった。
「わからないことがもうひとつあります。なぜ、このような紛糾したタイミングでバードさんが拘束されたのか。あの会談のあった日。長官はそんな時になぜ、彼女の拘束にサインしたのか」
強制死亡処置であれ強制再生にも、長官のサインが必要。
ましてや、それ以上の罪は、かなり厳密な手続きが踏まれるという。
「サインがあれば、普通は直ちに実行されます。夜を跨ぐなどということはありません」
「刑の執行は、だれが?」
「専用の組織があります。世界で唯一の組織で、すべての街の政府から独立しているといわれています」
「それをアンドロが?」
「それ以上のことは知りません」
そんな組織の存在は聞いたことがない。
それにしても、レイチェルめ。
「ただ、前にもお話ししましたように、その組織が管理する牢獄は、この街にあります」
「詳しく聞かせてくれ」
「新しく入手できた情報は些細なことだけです。相当な巨大施設らしいということだけで」
ハワードが悲しい目をした。
その目の中に揺らぎが現れた。
「面白おかしく言われただけかもしれませんので、言葉通りに受け取らないでください」
「ん……」
「帰還した者はいない。巨大な殺人マシン……」
アヤが消えてから、すでに一日半が経過している。
イコマは歯を食いしばって、泣き叫びたい衝動を抑えた。
「どうもわかりません」
ハワードがまた、ぽつりと言った。
「同僚に頼んで、彼女の現在位置を探してもらいました。ですが、見つかりません。この街を中心にかなりの範囲をカバーしているのに。ただ、他の街や、海洋の真ん中、地下深部などは、手が出せません」
他の街に行った可能性……。
自分の意思ではないにしろ。
何らかの強制的な力によって……。
ハワードがその可能性を吟味していく。
「少なくとも、普通の交通手段、つまり飛空挺の乗船記録にはありませんでした」
それに彼女はこの街の政府機関の職員です。他の街に行くには、この街と向こうの街の双方の承認が必要です。
この街の個人コードシステムは脆弱ではありません。別人になりすますことはできません。
結局、ハワードはバードが他の街にいることはないと断言した。
「これからもうひとり、同僚と会います。エネルギー省に勤めている中堅幹部です。私が情報を得られるアンドロはその男が最後です。最後の望みです」
イコマは、もう望みはないのか、と思いそうになる自分を戒めた。
まだ時間はあるはず。
そして自分の覚醒可能な余裕時間を調べた。
今回の覚醒可能最大時間は二十八時間五十六分。
すでに、十二時間五十五分が過ぎている。
後十六時間は起きていられる。
それが過ぎれば強制的にシャットダウンされ、夢も見ない七時間の「睡眠」が待っている。
イコマは、ひとつの思考体をフライングアイに乗せた。
世界中の街の様子を見て回れば、各街で十数分ずつは見て回れる、と思いついてすぐに実行に移した。
そんなわずかな時間で何がわかるものか、とは思うが、藁にもすがる思いとはこのことである。
「差し出がましいとは思ったのですが」
ハワードがサリの情報を調べたと言う。
チョットマとの会話に頻繁に出てきたので、と。
不愉快ではあるが、聞いて損はない。
サリの名は、強制死亡処置リストを遡ってみても、見あたらないと言った。
「攻撃隊の構成者リストにはあるし、ハイスクールの卒業者名簿にもあります。しかし、ベーシックデータベースには見当たらないのです」
それが何を意味するのか、イコマにはわからなかった。
「基本のデータがないのです。私が見ているデータは全世界のすべての人物の公式データベースです。五百年以上にわたって遡ることができます。ここにないということは、存在しない人物ということになるのです……」
そうか。
こいつはそんな大それたデータベースにアクセスできるのか。
むらむらと、また不愉快な気分になる。
自分に落ち着けと言い聞かせ、ゆっくり息を吐きだした。
ふう……。
アヤ……。
レイチェルよ、何をしようとしている……。
アヤを早く返してくれ……。




