101 忘却がどれほど大きな罪か
やはりそうだったのか。
ンドペキは、自分の記憶の浅はかさを呪った。
「……」
また、涙の粒。
「……、すまない」
恋人だった人だろうか。
あるいは妻だった人だろうか。
言葉遣いからすると、娘ではなかったようだ。
まさか、母、いや、それはない。
あるいはかつて所属していた部隊の仲間……。
それなら涙を見せることはないだろうし、素肌を見せることもないだろう。
答の見つからないまま、ンドペキは女の手に触れようとした。
しかし女は、すっと手を引っ込めてしまう。
それはそうだろう。
いとしい人だったであろう者の名前も顔も忘れて、手をとったところで、どんな言葉を掛ければよいのか。
「私の肌に触れたからといって、思い出しそうもないからね」
女が顔を上げた。
赤い目にもう涙は溜まっていなかったが、切ない色を帯びていた。
「それに、叱られちゃうから」
そして立ち上がった。
「そろそろあなたは帰らなくちゃ。明日は大事なお仕事」
「ああ。で、誰に叱られるって?」
「自分で確かめてね」
女は、自分の部屋に残ると言ってきかなかった。
何者かの存在を感じると説明しても、そんなことはないと取り合おうとしなかった。
「今晩のことは、誰にも言わないで。そのときが来るまで」
椅子から立ち上がろうとさえしなかった。
表情から笑みは消え、苦悩だけが貼りついていた。
「気をつけろよ。何かが我々を見ている」
そう言い残し、後ろ髪を引かれる思いで大広間を後にした。
ああ、情けない記憶力。
傷つけることしかできない自分に、ここに居続ける資格はない。
「私のこと、もう忘れないでよ」
振り向くと、女が小さく手を振ったのだった。
忘却がどれほど大きな罪か。
そんなことを考えてしまう自分のセンチメンタルに嫌気がさしながら、洞窟を出た。
月が出ていた。
周りの景色が目に入った。
深い山の中。うっそうと茂る木々。
黒々とした苔むした巨岩の群れ。
入り口の岩の隙間は、そうと言われなければ、それだとは思えないほど、小さい。
頼り気なく、灌木の緑に埋没して覆い隠されていた。
「しまった。約束とは」
今更、聞くべきことを思い出した。
しかし、相手を思い出しもしないのだから、交わした約束など、何の意味があろう。




