52話 おかえりお姉ちゃん
「ただいま」
「おかえりお姉ちゃん! 平気だった?」
武蔵浦春桜は広小路冬雪に出迎えられて家に上がる。うっかり靴のまま。
「お姉ちゃん、靴!」
「ああ、ごめんごめん」
サクラは天界で暮らしていたときの癖が出てしまった。地上に戻ってきてもう二ヶ月経っているが、連行されそうになったばかりに意識してしまった。天界での生活を再会する心の準備が、もうしなくていいというのに行動に出てしまったのだ。
「……何かあった? アツカたちに会ってきたんだよね」
「頭ぶつけた」
フユキは今のサクラの行動を不可解に感じ、原因を探る。だがサクラに思い当たる節はない。地上に残るためなら強硬手段に及ぶ、という攻撃意識の改善を認められ、これからも地上にいていいことになった。問題は解決した。
ただ強いて言えば、福俵天使は最後に気になる発言を残した。
経緯はサクラは彼女に、自分が気絶している間フユキは何か言っていたかと尋ねたとき。お姉ちゃんは渡さない。そう叫んでいた。
それだけかとサクラは反応したら、だけとは何だとアツカに怒られ、頭に頭突きを食らった。
その痛みが判断力を鈍らせて、靴を履いたまま家に上がろうとしたとも考えられた。
だが考え過ぎだとサクラは撤回する。頭が痛んだのは事実だが、もう痛みは引いている。単なるうっかりということにしようとしたとき、額が冷えた。
フユキが特殊能力を使ってアイシングしてくれていた。雪を手に乗せてサクラの額を押さえている。
「ありがとう。でも大丈夫よ」
サクラはフユキの手を掴み、額からもう離していいと伝える。
「もう……あれで終わったと思ったのに攻撃してくるなんて」
「駄目よ、仕返しにいくなんて」
いくらサクラが平気そうとはいえ、フユキはアツカを許せない。サクラを天界に送還するために襲撃してきて、許して撤退したはずなのに、また彼女に攻撃していた。今度会ったら敵討ちをしてやろうと燃えているが、サクラは止めるよう呼びかける。
自分が死んだ姉の生まれ変わりであることは不用意に他言してはならないが、かといって気づかれそうになった際に暴力に走って記憶を消しにかかるのも良くない。
「攻撃的な考えを抑えないと。私もだけど」
仕返しの件とは無関係ではない。日頃から感情の沸点が低いと、いざというときに自分を抑えられない。思えばあの頭突きも、反撃してこないかの試験に見えてきた。
だがサクラは気になる。アツカがイラッとした理由、フユキの啖呵をそれだけと言っただけで攻撃してきた理由は何なのかが。
「ところでフユキ……ありがとね」
「? 何が?」
気になるからフユキに探りを入れた。姉を渡さないと言い張った彼女から、何かしらのヒントを得られると考えて。
「お姉ちゃんは渡さない。そう言ってくれたそうね」
「ああ、うん……それが決め手で追い返したわけじゃないけど」
フユキとしては最後の足掻きのつもりだったが、アツカはサクラの態度を決定打に天界への連行を中止にした。言わなくても同じ結果だったと思っているから、お礼を言われても複雑な気持ちだった。
「ああでもっ、打算的に言ったんじゃないよ! あれは本心」
抵抗を叫べば見逃してくれると思って言ったわけではない。サクラとお別れは本当に嫌だったから、咄嗟に叫んだ。
「……ねえフユキ。私がお姉ちゃんでよかった?」
本来は天界にいるべき存在が、未練がましく地上で一緒に過ごしている。正体は先月に明かしていたものの、今回の騒動でフユキはいっそう実感したはずだ。サクラという存在の異質さを。
「もちろんだよ!」
そしてフユキの答えでサクラは理解した。自分が地上にいられるのは、自分の強い願いで生き返ったからでも、正体を隠す振る舞いが得意だからでもなかった。
フユキが今の自分をかつての姉と同じように受け入れてくれるからだ。姉でいられるから、その存在を保っていられる。
姉というフユキの言霊のおかげだった。繋がりを失いたくない思いが、アツカの撤収を後押ししたのだと解釈した。
「……フユキのおかげだったんだね」
「え、どうしたのお姉ちゃんっ。泣かないで」
姉と呼ばれる度に、サクラは心に響いて感情が溢れる。当たり前のような言葉に救われていたと知ると、感謝の気持ちが高まってより感情をコントロールしにくくなる。
サクラは地上にいられるための課題は、フユキだけに課されたものではないと知る。自分はいっそう姉らしくある。彼女の信頼を裏切らないことだと知った。
「大丈夫よフユキ。ここにいていいんだって思ったら、嬉しくて」
「……嫌なことあったんじゃないんだね? よかった……」
サクラはこの気づきを胸の内に秘めておいた。フユキには自然体でいてほしい。姉でいられるうちは地上に残れると考えていたことは内緒にし、ただ嬉し泣きとは明かして一段落した。
後日、北参道天羽の制服が出来上がった。これでもう、サクラは制服を貸さなくてよくなる。
「アゲハ、着心地どう?」
「前のサクラの方がいい」
「そんなはずないでしょ」
採寸した頃から急成長したわけでもない。サクラに合わせて作った制服の方が体に合うと感じるのは、半月着て馴染んだためだ。
「しばらく着たらこっちにも慣れるから。返してもらうわよ」
「はーい」
そろそろ暑くなってきたので、サクラも夏服を着たい。アゲハには返してもらわないと困るので、代わりに新しい自分のを着るよう頼んだ。
翌朝、アゲハは普段より一時間早く起きてきた。
「おはよう」
「嘘もうそんな時間!?」
フユキはアゲハが早起きしたとは思わず、むしろ自分の出発が遅いのではないかと思えて焦った。
「大丈夫よフユキ、いつも通り。珍しいわねこんな時間に」
サクラは証拠にスマホで現在時刻を見せてフユキを落ち着かせると、混乱を招いたアゲハに事情を聞く。
「まさか勘違いで起きて二度寝するなんて」
「……今日から私も早く行く」
アゲハはサクラの憶測を名案だと思ったが、それは駄目だと自分で気づき、フユキと一緒に行くための早起きだと答えた。
「ああ、サクラはいつも通りでいい。私フユキと行くから」
「私と?」
部活動に入っているフユキが先に、しばらくしてサクラとアゲハが出発する。たまにサクラがフユキと一緒に行く。これが普段の朝の流れだ。
けれどもアゲハはフユキと登校したいから、その分起床時間を早めたというわけだ。
「分かった。先に行ってて」
サクラは驚いたが感心した。アゲハもフユキと仲良くなろうと心を入れ替えたのだと思えて、応援した。自分抜きの関係を築きたいのだろうから、割って入る真似はしない。
「ついでに鞄よろしく」
「えー」
アゲハはサクラに鞄を押しつけられ唖然とした。
共用していて、普段はサクラが持ち運びしている。部活のないアゲハは早く登校しても時間をもて余すから、宿題なり予習なりしたいときに鞄があると便利だ。善意に基づいた提案だが、まさかそうなると思わなかったアゲハは渋々承諾した。
「一緒に行くのはいいけど何するの? うちの部見学する?」
「あっちに出す報告書を書かないと」
「へー」
登校中の会話。フユキが朝練をしている間、アゲハは教室で過ごす。地上に来てそろそろ一ヶ月経つから、天界に提出する資料を進める。
一緒に暮らしていてそんな課題があることを一切知らなかったフユキは、どんなものか興味が湧いた。
「どんな内容? 文化の違いとか?」
「ううん、それは先月やった。今回のは、私はサクラを通じてどれだけの出会いがあったかって話」
もちろん天界と地上で習慣は違う。その話はアゲハが地上に行かず天界の家でサボっていた頃、サクラが来ていたときに聞いた話をさも地上に行って知ったことのように書いて提出した。
そして今月のテーマは地上での経験。その中でサクラを起点に生まれたものに絞った。
「もちろんフユキのことも書く」
「私!? どんな」
フユキとの出会いもサクラを経て生まれたもの。一緒に暮らしていてネタには困らないから、字数稼ぎ狙いでみっちり書く予定でいる。
書かれると聞いてフユキは変なことを載せられないか心配だった。
「一緒に作った枕のおかげでよく眠れるってこと」
「意外とまとも……ならいいわ」
目的があったとはいえ早起きを実現できたのは、フユキに作り方を教えてもらいながら作った枕で安眠できたからだとアゲハは考える。そんなやりとりがあったことはフユキも覚えており、その話なら書かれても構わないと答えた。
アゲハのことだから、おちょくり甲斐のある同居人がいるなどと書かれないか心配だった。
「お姉ちゃんがいなかったら出会うことなかったかもね、私たち」
「そうね。そもそも行かなかっただろうし」
サクラが天界に行ってアゲハと出会い、フユキの元へ帰ってきたサクラを追ってきたアゲハ。それが二人の出会いだったと振り返る。
元を辿ればサクラが死んでしまったことがきっかけなので喜べるものではないが、その出来事がなければ出会うこともなかったにちがいない。
「でも同じBランクだし、別のきっかけさえあれば出会いはあったかも」
「確かに。何があるか分からないからね」
とも言い切れない。フユキアゲハも、この島にさえ来ていれば各々の特殊能力をBランクと評価され、出会いは生まれていた。フユキは偶然辿り着いたこの島に興味を持って移住し、アゲハにはアツカという先にこの島に来ている天界の知り合いがいる。
仮にサクラを介さなくても、出会う可能性はある。もしそうなったら、サクラを巡って争うこともなかったわけで、今と違う関係を築いていたと考えられる。
「そしたら私がお姉ちゃんだったかもね。ほら、声真似できるし」
「誰がアゲハなんかを。お姉ちゃんはお姉ちゃんしかいないの」
アゲハの特殊能力は声色を自由に変えられるもの。だからサクラの声のトーンや口調さえ分かれば、演じることも可能だ。
けれどもフユキはアゲハを姉とは認めないと言い張る。その思いは確かか、アゲハは試してやろうと企んだ。
『フユキ、待って』
「お姉ちゃん!?」
振り向くもサクラの姿はない。代わりにいるのはアゲハ蝶。アゲハが特殊能力で出した、声色を変えて発する蝶だ。
「引っかかった」
「うるさい! あんなのお姉ちゃんじゃない!」
フユキはサクラが追いかけてきたと勘違いしたが、アゲハのイタズラと分かると起こった。期待通りの反応に、彼女は嘲笑う。
「声こそがアイデンティティなのよ」
「うるさい! 偽物の気持ちには靡かないから!」
サクラかそうじゃないかは声で判断する。そう考えるアゲハをフユキは頭ごなしに否定する。するとアゲハは追い討ちをかけた。
「どうかしら? サクラだってあんたの本当の姉とは見た目違うんでしょ?」
フユキはサクラのことを長らく赤の他人と思っていた。本当の姉は池に落ちて行方不明になっており、その後現れたサクラは素性を書くして接していた。
それを踏まえてアゲハは、容姿が別人でも声が同じなら姉のように思ってもらえるはずだと主張する。
「姿かたちは違っても声は同じ。なら、私もサクラと同じじゃない? ほらお姉ちゃんよ」
「性格も態度も全然違う」
けれども中身はまるで違う。フユキがサクラを死んだ姉の代わりと受け入れたのは、生まれ変わっても中身が同じだったから。それがアゲハとの決定的な違いであり、彼女は姉になれないと言い張る最大の根拠だ。
アゲハが自分を姉と呼ぶよう誘ってきても応じる気は一切起こらない。むしろ腹が立つ。
「じゃあ何割で引っかかるかテストしてあげる」
「嫌。覚悟しなさい」
フユキは特殊能力を使い、雪を降らせて手を冷やした。これでアゲハに触れて、冷たくして仕返ししてやるつもりで。
「ちょっ、サクラの鞄よ」
「うるさい! 待てーっ」
アゲハは逃げつつサクラの鞄を盾にする。卑怯な防御をされていっそう許せなくなったフユキは、構わず追いかけて冷気を浴びせる。じゃれつく二人の賑やかな登校を、サクラは空から見守っていた。




