50話 喧嘩するから連れていく
武蔵浦春桜は空を飛んで逃げる。追っ手は福俵天使。天使の翼で空を飛べる。捕まれば天界へ強制送還。妹とは一緒にいられなくなる。
友達に借りた制服を返しにいったら、うっかり自分が天使と縁のある存在、すなわちこの世の存在ではないことがバレそうになり、記憶を消そうと頭突きしてしまったことが逃避行の始まりとなった。
ここはその友達の暮らす街で、サクラはよく知らない。どこなら安全かと探していると、別の友達を見かけた。
「コトリ助けて!」
名前を叫び急降下し、靴を履いて着地する。偶然会えた大船切裏。アツカの同級生で、サクラともAランクの仲。
「アツカに追われてるの!」
藁にも縋る思いでピンチから救ってほしいと告げる。するとコトリは事情を察し、包帯を取り出した。
「ケアじゃなくてヘルプ!」
アツカに捕まるのを前提で手を貸そうとするコトリに、そこを諦めないでほしいのだとサクラは訴えかける。手当てはありがたいがそれでは手遅れなのだ。
「ならこっち来て!」
「うんっ、ありがとう」
地元民のコトリに隠れ家へ案内してもらえる。そう期待したサクラは、走ってついていった。
「ここ入るよ」
「ええっ!?」
コトリの提案でサクラは二人でゴミ捨て場に入った。防鳥ネットに潜っただけで、保護色にもならず外からは丸見え、現に空がよく見える。
「バレるし逃げられないわ」
「大丈夫。しっかり閉めておけば入ってこられないから」
コトリは見つかっても捕まらなければいいと考え、ネットのバリケードを利用した。押さえておけばアツカは中に入ってこられない。
「千切れない?」
「ハサミでも無理。それが私の能力よ」
素手、あるいは用意周到に刃物をアツカが用意していても、このネットを破ることはできない。それがコトリの特殊能力だ。
「普通は四メートルの高さからスカイダイビングすれば破れるけど、私がいれば切れなくなる。どんなに高く、速くてもね」
「なるほど……でも」
アツカに補足され、すでに急降下の準備に入っている。コトリの言う事が本当なら、どれだけ勢いをつけても貫通されることはない。
具体的な数値を把握しているあたり、実体験に基づく知識なのだと薄々感じた。
だが問題はそこではない。この方法には致命的な欠陥がある。
「弛んでぶつかるよね?」
このネットは金網ほど頑丈ではない。むしろ網が伸びて威力を逃がすから切れないのであって、軽く手で押せば網越しに触れられる。そしてアツカの頭突きに対し、薄い網ではクッションにもならない。
そして中に侵入されないのは力を入れて押さえるという前提で成り立つのであって、力が抜けたら簡単に潜られてしまう。
要するに本末転倒ではないかとサクラは疑問を持つ。
だがまだ策はあるにちがいないと期待の眼差しを向けた先にお出しされたのは包帯で、コトリはニコリと達観して微笑む。
「……痛みを分かち合おう」
「ごめんコトリ!」
「ちょ、この裏切り者っ」
やむを得ず、サクラはコトリの背後に隠れ、盾にして身を守った。アツカに激突され、気絶した。
身代わりを利用して難を逃れたサクラは、一人で再び飛んで逃げる。硬直時間が解けたアツカは、ターゲットに逃げられたことに気づき翼を広げて飛び上がろうとしたとき、足がネットに絡まって転倒し道路に頭をぶつけた。
アツカは足を引っ張っても抜け出せず、ネットを切る勢いで飛ぼうとしてもびくともしない。この隙にサクラは飛んで逃げ、大きな駅に降りて駆け込んだ。
改札を通り、振り返って追っ手を確認する。アツカも他の天使もいない。サクラは当面大丈夫だと自分に言い聞かせた。仮に見つかっても、ここまで来るにはICカードか切符が必要。前者なら他の天使は持っていないだろうし、後者は券売機で購入するもの。何より地上に降りてきたばかりの天使は乗り方が分からない。
だから大丈夫だと自分を納得させるように呟いて、ただ念押しにカモフラージュを図って行き先と違うプラットフォームへ続く階段を降り、別の階段を上がって自分の家に向かう路線に乗った。
これからどうするかサクラは考えた。この先で何が起こるか読めず、無事にこのまま乗り切れるか分からない。
天界へ強制送還という最悪の場合に備えて、せめて妹に事情を伝えるか伝えないか。ただ伝えたところで素直に受け入れられるとは思えない。以前のように、姉を守ろうと戦う意思を示すことだろう。事態をややこしくされるよりは、巻き込まず黙って去る方がいいように思えた。
そのときサクラは気づいた。妹が守ろうとしたのは、自分の正体を明かした直後にアツカが家にやってきたときの出来事。すでに彼女に家が特定されていると気づき、逃げ回っても無駄と考えた。それに妹に事態が伝わる。
サクラは行き先を家に決定し、アツカや天使が先回りしてこないよう願い、最寄り駅に着くのを待った。同時に、連れていかれるときに備えてするべき演技と行動を考えた。一方アツカは丁寧にネットの絡まりを解き、飛んでサクラの家へ向かっていた。
「ただいま!」
「お姉ちゃん?」
サクラは飛び込むように家に入り、その慌てように広小路冬雪は驚き様子を見に行く。すると彼女は急いで部屋を片付けていて、何事かと困惑した。
「えっと、泊まりにくるの?」
「フユキ、さよなら」
日頃から整理していると見栄を張りたがるような相手を急遽自室に呼ぶことになったのかと思い、その相手に嫉妬するフユキをよそに、これは退居の準備と告げる。
何も聞いていないフユキは、サクラの言葉の意味を理解できず、一瞬固まった。片付けの音で我に返り、どういうことかと尋ねる。
「さよならって、出ていくの?」
「そう」
「どうして!?」
これはサクラの演技だ。天界に行く理由をでっち上げる。死者の生まれ変わりと気づかれる前にショックを与えて記憶を消した罰ではなく、自分の意思で決めたことにする。
そうすればフユキの怒りの矛先は天界ではなくサクラに向けられて、騒ぎになることはない。後はアツカが来る前に、急いで済ませるだけ。フユキを納得させる必要はないから、放ったらかしで構わない。
「答えてよ!」
「あっちの方が居心地いいの」
フユキが納得するような理由を考える時間はなかったから、天界で過ごした一ヶ月と地上に戻ってきての二ヶ月を比べて前者が良いということにした。
ただフユキはそれが本音には聞こえなかった。別にあって、それは突きつけにくいものだと考えると、一つ心当たりがある。
「……私がアゲハと仲良くできなかったから?」
サクラを追って天界から来た北参道天羽も一緒に暮らすことになり、始める前にフユキとアゲハは宣言した。サクラと一緒にいたいから、相手と仲良くすると。
二人揃って仲良くできないと答えたら争いの種であるサクラが代わりに出ていく。そういう約束だったから、唐突に片付けを始めたのはそういう理由に思えたのだ。
「……そうよ。二人のせいで私は出ていかないと」
なおサクラにそんなつもりはなかった。その約束も、二人が頻繁に揉めているのも事実。だがそれを理由に出ていこうと思ったことはなく、仲良くできないなら出ていくと脅すための約束でもない。
仲良くすると宣言すれば叶うと信じて取り付けただけのことだ。
だが、今回の発端は二人の仲になる。サクラがアツカやアゲハといった天界の住民との繋がりがあると勘づかれたのは、二人に仲良くなってほしいと友達に相談したことがきっかけ。
つまり二人が仲良くしていれば、会話が生まれることもなく、天界を敵に回すこともなかった。だからサクラは二人のせいだと言い放った。
「ごめんなさい! これからは仲良くするから……」
フユキはサクラの言い分を信じ込み、自分のせいだと嘆き引き留めようとする。それを聞いてサクラは、人を騙す気持ちを実感した。事実を捻じ曲げて、言ったことが真実になる。自分はそれを体現してしまったと気づき、これが目指している自分だと感じた。
生まれ変わりゆえに地上にいてはならない存在と自覚していながらその正体を隠すということは、今のような気分に浸り続けることなのだと。
「どんなに後悔しても、もう手遅れなのよ」
すでに追っ手が来ている。謝って済むことではない。それはサクラ自身が招いたことながらフユキとアゲハの積み重ねと錯覚させている現状に、心が軽くなった。
これは自分一人のせいじゃない。ゆくゆくは迎える運命だった。そう考えることで、後悔を消し去ろうと保身に走る。
「それは違うよ」
部屋の外から声がした。振り向くとアツカが覗いている。隣にはアゲハもいて、彼女が家に招き入れていた。
「あなた、今度こそお姉ちゃんを」
「そう。だけどフユキ、アゲハ。これは二人のせいじゃないから」
アツカは微笑み、二人の無実を告げる。そしてその笑顔のままサクラを見据える。悪いのはすべて彼女だと分かっているから。
「自分の正体がバレるのは嫌だ。その気持ちは分かるけど、だからって攻撃して記憶を消そうとするのは……駄目だよ」
「えっ……何の話?」
「そもそも二人が喧嘩するから連れていくってのが嘘だから」
事情を知らないフユキの誤解を解くべく、前提から間違っていることを明かす。サクラが天界に戻る原因と、三人の約束は無関係。関係ありと嘘をついた、サクラのでっち上げだと暴露する。
「制服を返しにいったときに……口封じに出たサクラ。あなたを天獄に送ります」
「ひぃっ……」
サクラは震えた。イントネーションから、送還先は天界の監獄だと察する。普段の明るくて性悪なアツカが嘘のように、冷徹な宣告を受けた。
「それをちゃんと話しておけば私も説得に協力したのに……帰りたいなんて嘘ついた挙げ句、二人に責任転嫁して。どうしようもないクズが」
サクラは何も言い返せず心が痛んだ。妹たちに擦りつけようとしたのは事実。こうなるくらいなら最初に追われた段階で降伏しておけばよかったと唇を噛みしめる。
「何の話か知らないけど、お姉ちゃんはそんな悪いこと」
「しない、とは言い切れない」
アツカはサクラの性格で判断したうえで、手遅れになる犠牲が出る前に連れていく気でいる。そうしないとどんな事件が起きるか一番よく知っているフユキに目配せする。
「今回は気絶で済んだけど、いずれ殺害に走るでしょうね。前にフユキがやられたように」
そもそもサクラが死んだのはフユキとの口論がきっかけ。衝動的に特殊能力で風を起こして吹き飛ばし、池に落ちそうになったところを助け、代わりに沈み命を落とした。
そんな前科があるからこそ、今後正体バレが迫ったら地上に居られなくなるのを恐れ、隠滅に及ぶかもしれない。
「何かあってからだと遅いから……分かるわね」
悲劇が起こる前に隔離し、意識の矯正を試みる。そのためにアツカはサクラを連れていく。サクラは観念し、力が抜けて膝を着いた。
「待ってよ」
サクラを連れて家の外へ出たアツカを、フユキが追いかける。彼女の目的に、一つ腑に落ちない点がある。
「前に言ってたよね。アツカは一人なら雲の上に行けるけど、人を抱えていくのは無理だって」
天界でサクラが行方不明だった頃、雲の上という情報しか知らなかったフユキは自力で行こうとした。けれどもスピードが足りず、空気の薄さを堪えきれる時間に収まらないので諦めた。同じ理由でアツカはフユキを連れていけないと言っていた。
だからサクラを連れていくのは不可能なはずなので、どうするつもりか問い詰める。
「……確かに」
何も考えていなかった。アツカはサクラを捕獲次第、天界へ連れていくつもりだったが、フユキの言う通り共倒れになってしまう。
フユキは彼女の考えの浅さに呆れながらも、サクラがさよならの話はおじゃんになると希望を抱いた。サクラの行為に危うさがあるのは解決していないが、天界へ行く手段がないのなら仕方ないで済む。
「そうだ、再現してよ」
「再現? ……それって」
「そう。前にサクラが行ったときと同じ……姉妹喧嘩」
だがアツカは気づいた。以前サクラが天界に行ったときと同じ手口なら可能だと。それはサクラもフユキもはっきり覚えている。飛んで散歩している最中、言い合いがヒートアップしてお互いに風をぶつけ合ったというものだ。
それをここでやるように、フユキ自身の手でサクラを送り届けるよう提案した。




