41話 私とは違うから
北参道天羽はスマホのアラーム音で目を覚ます。外はまだ暗い。アゲハがこれまで見た地上の朝は、もっと日が昇った後の明るい空。
「まだ夜か」
「アゲハ起きて! 今日から学校よ」
アゲハは自分の知る朝の景色になるまでもう少し寝ようとしたが、一緒に暮らす武蔵浦春桜に起こされた。まだ暗くても、支度を始める時間だ。
「まだ眠い」
「もー、前もこの時間に起きてたでしょ」
アゲハは寝ぼけている。昨日までゴールデンウィークだったものの、その前の生活サイクルに戻すだけ。当たり前のことだとサクラは言いつつも世話を焼く。朝食をよそって席まで手を引き、座らせる。
「前も寝てたよ」
「何言って……それはサボっていたからでしょ!」
しかしアゲハは先月も気分は休日だった。彼女は本来、先月から地上での研修を始めるはずだったが、黙って天界に残っていた。アリバイを作ったら、天界でこっそりだらけた生活を送る毎日。平日も休日と同じ感覚で就寝、起床していた。
しかしついにバレて、五月の始めに地上に降ろされた。それからサクラの家に転がり込み、今日から同じ中学校に通うのだ。
「食べるの面倒……サクラ、前みたいに食べさせて」
「仕方ないわね」
時間がかかるので一人で食べてもらいたいが、食べさせ合うのは嫌ではない。むしろ嬉しそうに、サクラは身を乗り出した。
「起こしてあげる」
「冷たっ」
サクラの妹、広小路冬雪がアゲハに冷たい風を浴びせた。姉に甘える姿に嫉妬した、牽制の挨拶だ。
「おはよう。目、覚めた?」
「フユキもちょっかい出さない。朝練あるんでしょ?」
実を言うと、サクラとアゲハはもっと遅くに起きてもいい。フユキが部活を始めたから一緒に登校するために時間を早めた。なおこの件をサクラはアゲハには伝えていない。言ったらギリギリまで起きないと読めるからだ。
「朝練? え、なら私まだ行かなくていいんじゃ」
しかしサクラが朝練と口走ったばかりに、アゲハは直感した。
「もー、フユキのせいで気づかれちゃったじゃん」
「えっ……」
フユキが嫌がらせで強制的に目を覚まさせたことで頭が回ったか、あるいはその行動が朝練に言及するきっかけを作った。
何にせよ彼女が絡んでこなければ出発まで隠せたはずの予定が崩されたので文句を言う。
「あんたがいなければもっとゆっくりできるのに。ねえサクラ」
「ええっ、私は別に」
今度はアゲハがフユキに文句をぶつける。彼女のせいで早起きさせられたという事実を、いきなり冷やされた仕返しで突きつけた。
同時にサクラにも話を振る。彼女はフユキと違い部活には無所属。アゲハと同じく、もう少し遅くに起きても問題ない。
それは事実といえど、サクラは同意に躊躇った。これは個人の理屈を通す問題ではない。フユキを自由にさせたい気持ちと、一緒に登校したい気持ちの問題なのだ。
だからサクラは先月も、フユキに合わせて起床していた。
「……その通りだよ。私が先行けばいい話だもん」
フユキは自分のわがままにサクラを付き合わせてしまっていると自覚した。今までは甘えていたが、アゲハに指摘されてそれが迷惑だと思い直す。
「お姉ちゃんにも迷惑だし」
「迷惑じゃないわ! フユキと歩くの楽しいもの」
せっかく無所属で朝はゆっくりできるのに、付き合わせてしまうのも、そこにアゲハまで巻き込むのも嫌だ。だからフユキはこれから一緒でなくていいと告げる。
サクラは一緒がいいから早起きは苦じゃないと呼びかけても、フユキの心は揺れなかった。
「お姉ちゃんの楽しいにアゲハも巻き込むから、仲良くなれないんだよ!」
「フユキ……」
サクラの優しさもまたわがまま。今までは彼女だけの問題だったが、アゲハも付き合わせるとなると話は変わる。現に彼女は、早起きと早い登校をさせられることに不満を持っている。その矛先は巻き込んできたサクラではなく、事の発端であるフユキだ。
つまりサクラの優しさが、フユキとアゲハの仲を悪くさせてしまう。そう突きつけて、フユキは先に出発しようと支度を急いだ。
「……ごめんアゲハ。私たちはゆっくり行きましょう。今日は」
フユキを追いかけたいが、編入初日である今日だけはアゲハを一人にするわけにいかない。かといって急いで支度し揃って登校するのは、今の空気では良くない選択と感じる。
けれども一緒に行くことを諦めてはいなかった。
「ほら、あーん」
「あー」
サクラはアゲハの朝食を手伝う。天界で暮らしていた頃は食べさせ合う校則だったので、動きを体が覚えている。地上に来てからは今まで通り一人で食べているので、こうするのは一ヶ月ぶりだ。
「学校では一人で食べるのよ。地上では食べさせっこは恥ずかしいんだよ」
「えー、いいじゃん。隠れてやれば」
「できないわよ。皆と教室で食べるし」
地上で食べさせ合うのは恋人か夫婦、一方的なら幼子相手くらいだ。同級生の女子同士で人前でやるのは目立つ。
だったら一目につかないようにすればいいと意見するアゲハに対し、それができるのは高校に進学してからだとサクラは教える。
「給食っていって、各教室に配られるの。お盆を持って並んで、当番さんによそってもらって……」
「えっ、楽じゃん」
隠れて食べるにはお盆ごと持って教室を出なくてはならない。そんな手間のかかることをするのは放送委員の数名だけだ。
そしてアゲハは、席で待っているだけで食事が届くと解釈し、快適なルールに感じた。
「楽? ちゃんと配るのよ。当番さんの分も」
「一人くらい休んでも平気でしょ」
「その一人になれるとでも?」
よそうか届けるかどちらかの役割を持つのがルールだと忠告するサクラに対し、三十人のうちの一人がサボっても成り立つと言い張るアゲハは席で待つ気でいる。そんな接待をされるほどの地位が得られるものなら是非挑戦してほしいものだとサクラは突き返した。
「あ、でもそれはうちの学校のルールで……アイリの学校はカフェテリアあるから、前の学校に近いかも」
私立は給食に補助金制度はないので、給食実施率が低い。以前アゲハを、高校は私立に来ないかと誘ってきた美南哀月が通う学校には、代わりに購買や弁当を注文でき、それを食べるスペースが教室以外にある。
逆にいえば教室を出て隠れて食べていても怪しくないわけで、食べさせてもらいたいならそういった制度がある学校に行くのも手だ。
「へー、そうなの」
「貰ったパンフレットに載ってたから」
その話をサクラが知っているのは、彼女も誘われたことがあり、断ったがアイリたちの学校生活を知りたくて資料は受け取っておいたため。後日アゲハも貰っていたが、まったく読んでいなかったのだ。
「じゃあ流行らせちゃえば?」
「流行らせ……天界の食べ方を?」
「そう」
アゲハは発想を変えて、食べさせ合いが恥ずかしくない世界に変えれば平気だと提案した。地上の価値観を天界に寄せるということを意味するので、サクラにもイメージは伝わった。
「確かに良い考え方だとは思うわ。」
施しを与えることが天使の役目。それを人間も心得たら、きっと愛に溢れた世界になる。
「でも人は忙しいから、そんな余裕ないの」
「土日休みじゃん」
「その分平日頑張るの!」
天界に夜は訪れない。それが地上との最大の違い。休む時間が決まっているから、食べさせ合いには否定的な意見が出てくるだろう。
そんな現実的な観点をぶつけるサクラとは対極的に、アゲハの提案の根幹は感情的なものだった。
「そうすれば、サクラの居心地も良くなるかなって……」
一度死んだサクラは、本来天界にいるべき存在。だが自力で生まれ変わったことから、こうして地上で人と同じように暮らしている。けれども正体を広めてはならないために、時々窮屈な思いをする。
思想が地上と天界で近づけば、サクラみたいな立場も受け入れられるようになり、隠さず気楽に過ごせるようになれればいい。それがアゲハの願いだ。
「……ありがとうアゲハ。その気持ちで十分よ」
サクラとしては、フユキに正体を隠していた頃が一番窮屈だった。けれども正体を明かせて、その後も今まで通り一緒にいられるから、それで幸せだ。
「……良かったね、お姉ちゃん」
出発の支度を済ませたフユキが、会話の最後の方だけを耳にして覗き込んでいた。そこから感じる冷気にサクラはビクッとした。
「ごめんねフユキ。今日は先行って」
別々に登校するのは明日以降にも渡る話ではないとフユキにも念押しし、見送りにいく。
「その……今日はアゲハの初めての日だし、明日からは」
「行ってきます」
もし明日もフユキとアゲハが対立して二人の時間がバラバラになったら、日によってはサクラはフユキと一緒に行くと約束したかった。しかしフユキは話の途中で行ってしまった。部活があるのに引き留めるのも悪いと思い、サクラは身を引いた。
一方フユキは追いかけてくると期待し、しばらく外で待っていた。
「何か言ってた?」
「行ってきますって」
アゲハはフユキが自分の居ないところでサクラに愚痴を溢していたのではないかと勘繰り、本人が出た後にサクラに尋ねる。
彼女は挨拶しか返してくれなかったと告げるも、アゲハの聞きたい何かはそういう言葉ではなく、実質何も言ってなかったと解釈した。
フユキが出発してしばらく経った後、支度を終えたサクラとアゲハも出発する。新しい制服で、気持ちフレッシュ。
「……何か違和感。視線を感じる」
歩いている最中、アゲハは落ち着かなかった。登校は今日が初めてだが、地上に来てもう何日も経っている。
「制服を着てる自分に慣れないからじゃないかな」
アゲハは自分の制服がない。これは届いたばかりのサクラの冬用の制服で、代わりに彼女は夏服を着ている。注文して届くまでの辛抱だ。
「私もこれ、新しい服だし」
一方でサクラは、連休前までは知り合いに制服を借りていた。アゲハが来るとは想像していなかったので、制服は一着ずつしかない。寒くはないが、半袖になって違いを実感する。
「そんな格好で平気?」
「確かにまだ周りは冬服が多いけど……」
アゲハは自分が来たせいでサクラに冬服を着せられなかったことを気にしている。だが彼女は自分が夏服でいいと当初から言っていた。
「フユキと同じだから、これはこれで嬉しいわ」
制服が届いて、ようやくフユキと同じ服装になれたことがサクラは嬉しかった。その気持ちを味わうためなら、肌寒さも周りとの違いも気にならない。
「……私とは違うから不安なのかも」
「んー、それはどうしようも……」
その意見でアゲハは理解した。この違和感の正体は、一緒の学校に行くサクラと違う格好をしていることだと。ただそれを解消する術はない。今は。
「だったら、明日からフユキと一緒にジャージで」
「やだ早起き」
ダンス部のフユキは朝練で着替えるので学校指定ジャージで登校した。彼女についていけば一緒にジャージで登校していても違和感がなく、皆で同じ服装なので不安もない。
早起きする良い動機だと自画自賛するサクラだが、やはりアゲハのズボラな意思は揺らがなかった。
フユキは朝練を終え、制服に着替えて教室に向かう。そのときふと気になったのは、アゲハがどのクラスに編入するのかだ
さすがに自分と同じになることはないと思い安心しつつも、まさかサクラと同じでないかと心配になり、彼女の教室を覗いたら居た。
「フユキ、お疲れ様」
「戻りなよ、自分の教室」
サクラのねぎらいをそっちのけに、アゲハに出ていくよう言いつける。ここが居場所ではないと断言できないが、居場所であってほしくはない思いで、そう言い放った。
なお真実を知っているサクラは静かに目を逸らす。
「はーい」
アゲハは潔く出ていった。フユキは安堵し、サクラに挨拶して自分の教室に戻る。
それからホームルームの時間、隣の教室から拍手が聞こえる。これは先月も先々月にもフユキは身に覚えがある。彼女は嫌な予感がし、途中で抜け出し真実を確かめた。
そこで目にしたのは、アゲハがサクラの教室に戻ってきて自己紹介をしている光景だった。自分の教室に戻ると言って出ていったのはフェイク。彼女の編入先はサクラと同じクラスだったのだ。
フユキは嫉妬で狂いそうになりながら、クラスメイトに連れ戻されていった。




