35話 この私の方がいい
「今、なんて……」
広小路冬雪は耳を疑った。武蔵浦春桜が口走った、自分は本当の姉だという告白に。
「だって、本当のお姉ちゃんは」
「そう。あなたを庇って死んだ。そもそも自分で池に突き飛ばしたせいだけど」
本当の姉はもういない。池で溺れて死んでしまった。美談ではない。フユキを池へ突き飛ばし、慌てて助けた代わりに落ちた。そしてサクラは絶望するフユキの前に現れた姉代わりの赤の他人。
そう振る舞ってきたが、実は同一人物。生まれ変わりの姿だ。
「……本当は助かっていたの?」
「ううん。残念ながら死んでしまった」
実は生きていて、今至るまで素性を隠していた。なんて都合のいい話ではない。ただ、生まれ変われたことも都合のいい話と言える。
結局同一人物で記憶も残っているのなら、前者も後者も変わらない、と見せかけてきっと違う。サクラは思う。死んで生き返れると明かした以上、もう地上には居られないと。だったら前者ということにしておけばごまかせるが、もうサクラは嘘をつきたくない。
「でも願ったら、この姿に変わって出てこられたの」
「そんなことが……」
とんでもない話だが、フユキは言われれば納得する。本当の姉が池に沈んだ後、季節が流れ桜の咲く頃に現れた、姉の面影があるピンク髪の精霊。生まれ変わりと主張されても、嘘だとは思わない。
「どうして、黙っていたの」
「ごめんなさい。理由は二つあったの」
フユキがサクラと出会ったのは、もうだいぶ前だ。彼女が姉を亡くしたことも、ずっと前に打ち明けている。なのにどうして正体を明かしてくれなかったのかと尋ねる。
それが単なる疑問ではなく苛立ちや悲しみを抱えての言葉に聞こえたサクラは、まず謝る。そして素性を隠し赤の他人と偽ってきた理由を明かす。
「最初の一つは……そもそも喧嘩して私がフユキのこと突き飛ばしたのが原因だから……」
死んだときのことははっきり覚えている。物語の創作で方向性の違いで揉めて、風を起こす能力をぶつけ合った。
押し負けたフユキが風に浮かされ池の上へ行き、姉は咄嗟に追いかけて手を掴み、振り回して岸へ投げた。代わりに姉が池に落ちた。間に合わなければ、代わりに妹が死んでいたかもしれない。
「私のこと、忘れたいんじゃないかって」
「そんなことない! 私ずっと探してたんだよ!」
だからフユキからすれば、感情的になった拍子で命を奪ってきた凶暴な姉。そう思われている予感がした。
けれども違う。フユキは姉を助けようと救助を呼びにいったり、見つからなかった次の日以降も池を訪れては水面を見つめ呼びかけていた。
「聞こえていたよ、フユキの声。だから私は出てこられたのかもしれない」
フユキが水面を見つめているとき、サクラもまた見つめていた。体が水に溶けたせいでフユキからは見えずサクラは声を出せないから、気づいてもらえることはなかった。
だが桜が咲いて変化が訪れた。サクラとして姿と形を取り戻し、池の外に出て出会えた。
「……けど、この私の方がいいんじゃないかって思えて」
サクラは外に出たとき、フユキに何と言うか迷った。月日が経っても探してくれる彼女が自分のことを嫌っているとは考えにくかったものの、あの出来事を考えると姉でない別人として接する方が、すなわち関係をやり直す方がうまくいくと考えた。
だからサクラは自分を偽り、フユキの新しい姉になった。
「確かにお姉ちゃんとは喧嘩もしたよ。でも嫌いだなんて」
「だったら今度は、喧嘩もしない姉になりたかったの」
同一人物と明かせば、また同じ過ちを繰り返す。かといって衝突しないよう自分を抑え込むとフユキに無理していると思われてしまう。その点、別人ということにすれば性格が違っても不自然ではない。
もう喧嘩しない。考え方をフユキに寄せて衝突を防ぐ。サクラはそう誓って新しい自分を作ったのだ。けれどもそう簡単にはいかなかった。
「でもまたやったよね。先月」
「ええ、あのときみたいな衝突。つい本性が抑えられなくなって」
先月、創作しながら散歩していたときのこと。再会できるがバッドエンド派のサクラと、再会できないバッドエンド派のフユキは対立した。
「あれはね、どうしても譲れなかったんだ。だって私が帰ってこられたから」
その創作物語は二人に関する話ではなく、既存の物語の続きを独自に想像したもの。けれどもサクラは、たとえ死んでも会いにいける。長く居られないが、再会は果たせる。自分の状況と重ね合わせて、仮に物語でもそういう救いはあるべきだと貫きたかった。
「逆に私は、もう会えないってことにしたかった。現実を受け入れるために」
一方でフユキも、物語と自分の状況を重ね合わせていた。死んだ姉とはもう会えない。その考えは曲げたくない。いつまでも見えない希望に縋っているのは駄目だから、あらゆるものにその考えを適応させていた。
結果、二人はかつてのように衝突し、そこは池ではなかったもののサクラは雲の上へ、フユキはこの街へ飛ばされた。
「あの後は私、天界に行ってたんだ。天の世界、天使がいっぱいの」
「天の世界……それって」
「天国よ」
フユキは単語から何となく察したが、その予感は当たってほしくなかった。しかし無情にも、サクラが行った場所は死者の向かう世界。姉が行った世界だ。
「そこで私、言われたの。地上に下りる資格はないって。どうしてか分かる?」
「……ううん。教えて」
「死んでも普通に暮らせたら、真似する人が出てしまうから」
サクラが生まれ変われたことに天界は関与していない。彼女の想いが実現させた。そもそも天界は、死んだ人を生き返らせない。そんなことができると広まれば、現実逃避したい人がワラワラとやってくる。
「フユキも思わなかった? 部活に馴染めなかったとき、居なくなったことにできないかなって」
「……まあ、ちょっとだけ」
嫌な出来事があったとき、消えてなくなりたい。けれども本当に消えると自分が困るから、消えたことにして自由になりたい。サクラが実現させたことは当にこれだ。
そんな逃げ道があると噂になれば、現実に不満がある人が次々と試しに動く。失敗すれば損失、成功すれば人は楽な方へ逃げていく。
「皆が嫌なことから逃げて平和な場所を目指したら、あっという間に資源が尽きて、世界は滅んでしまうんだって。頑張る人がいなくなるんだから、そりゃそうだよね」
規模が大きくなれば、貧しい人が豊かな地域に密集し、資源の減少が加速する。生産者の負担が大きくなり、逃げてしまうと働く人が残らない。
やがて世界は生まれ変わった人しかいない、何もない空間に変わってしまう。
「フユキだって、もし私と同じになれるって言われたら」
「そうしたい。けど……」
死んだことにすれば自由になれる。天国にだって行けるから、フユキはメリットのある行為と考えた。だが首を横に振る。そうなるためにどんな思いをしなくてはならないか、溺れて身を以て知ったのだから。
「溺れるの、怖い」
「そうよね。私も真似してほしくない」
サクラもフユキが自分と同じ存在になることに反対だった。考えが同じだったことにフユキはホッとする。
「だから私が信頼されるまで、天界は出られなかったの」
「それで一ヶ月も……」
フユキはこの島で知り合った能力者の力を借りて、サクラに手紙を送っていた。早く会いたい、帰ってきてと願ったのに、返事すらなくて不安だった。
今月の頭にサクラは突然帰ってきたから、そのとき許可が下りたのだと察する。
「今のがもう一つの理由。で、今喋っちゃったから」
「……え」
サクラが正体を隠していた二つ目の理由。それは正体を知られてはならないから。
そのときフユキは不安になった。理由を聞いてしまったばかりに、サクラに罰が下されるのではないのかと。
「……だから、私は帰らないといけない。お空に」
「待って、嘘でしょ」
フユキはサクラの手を掴む。絶対に離さないと、強く握る。
「だったら言わないでよ! 黙っておけば、一緒にいられたんでしょ!?」
「ごめんね。でも、嘘ついてるの限界で」
フユキの言う通り、正体を隠していれば生まれ変わりの事象が知られることはなかった。それなら今まで通り一緒に地上で暮らしていられた。だからサクラも伏せていた。
だが、いつまで隠せるかと怯えて過ごすのも、隠すために嘘をつくのも、そのせいでフユキに誤解を与え苦しませるのも、堪えられなかった。
だが、サクラは明かしたことを後悔していない。
「私、天界に行った時点でもう駄目だと思ってた。もうフユキに会えないって」
離ればなれになった先月の段階で、サクラはもう地上へ行けないと覚悟していた。だから現状も、その猶予が得られただけだと割り切れる。せめてフユキと最後に話をしたいと思っていたから、叶ってむしろ満足だ。
「私も会えないかもって思った。前みたいにいなくなるかもって。でも! お姉ちゃんなら叶えてくれるって」
フユキはサクラに会いにいけなかった。けれどもサクラは会いにきてくれた。自分で無理と思ったことでも、サクラならできると信じられる。
「もうお姉ちゃんがいなくても平気でしょ。フユキはこの一ヶ月でとても成長したもの」
けれどもサクラはもう自分の支えは必要ないと判断した。自分抜きでコミュニティを築けているフユキは、もう心配要らない。
「ほら、もうすぐお迎えが」
インターホンが鳴った。サクラの想像は外が眩しく光って天使の群れが翼を授けにくるというシチュエーションだったので、ズッコケそうになる。
「あらアツカいらっしゃい」
「ハロー」
来訪者は福俵天使だった。以前雲の上にいるサクラに会いにいってくれた人で、天使の翼を生やせる。
フユキにとって今の彼女はサクラを連れ戻しにきた悪魔に見えて、追い払う構えをとる。
「お帰り!」
「ちょっとフユキ!」
フユキは雪の風を起こし、アツカを家へ上がらせない。サクラは止めに入り、用件を尋ねた。
「私に用?」
「うん」
アツカの家も中学校もこの近辺ではなく、それに約束もしていない。フユキに正体を明かしたタイミングで来られたのかが不思議だが、それはサクラの言霊が招いたことと考えられる。
「正体バレても連れ戻さないって」
「……え?」
サクラは虚を突かれた。天界へ呼ばれるのかと思いきや真逆で、彼女の懸念を潰すものだった。
「だって、噂になったらまずいんじゃ」
「それを分かっているなら大丈夫だろうって」
またしても人柄で許された。サクラは安堵しつつも、このタイミングでアツカが来た理由が気になる。
「じゃあ、バラした直後に来たのは」
「あ、そうだったの。ちょうど良かった」
単なる偶然だった。アツカはサクラの心配事を解決するために立ち寄って、それが告白の直後だったのだ。
「だったら連絡ちょうだいよ」
「驚かせたくて」
屈託なく答えるその態度はまさしく天然の悪魔に映った。
「それに、家の場所知っておきたかったし」
「家の? どうして」
「内緒。またね」
意味有りげなことを呟いて、アツカは去っていった。これにて一件落着だ。
「とにかく、これからも一緒……だよね」
「ええ、もちろん!」
サクラは心の重荷が外れるのを実感し、もう離ればなれにならない予感がした。だからはっきり断言する。その言葉はフユキも信じられた。
「良かった……良かった!」
「心配かけてごめんね」
フユキは抱きつき、サクラは抱き返し頭を撫でる。
「それで……名前はどうするの?」
「どうって、今までもお姉ちゃんでしょ」
サクラの正体が姉と分かったら、名前の問題が浮上する。フユキにとっては変わらないが、これまで通りサクラでいるか、それとも正体を明かすか。
「ややこしいからサクラのままでいくわ」
「じゃあ私たちだけの秘密だね。そうだっっ」
フユキはスマホを取り出して、チャットの友達一覧からサクラを選んだ。デフォルトでは友達自身が設定した名前だが、自分から見える名前だけ変えることができる。これで変えても相手や他の友達には反映されないから、自分だけの名前をつけられる。だから今もお姉ちゃんで登録しているが、名前をフルネームに変える。
「じゃーん」
「ふふっ、いいんじゃない?」
姉の本名、広小路彩映へと。
サクラは今まで通りサクラとして過ごす。けれども今日、フユキとの関係が変わった。
「ねえフユキ。サクラが私で良かった?」
「もちろん! また会えて嬉しいよっ」
過去への決着をつけて、今度こそ正面から向き合える。
「じゃあ私とサクラ、どっちがいい?」
「お姉ちゃん」
「……そう。良かった」
その答えで決心した。もうサクラを演じず、素で接すると。桜はすっかり散ってしまったが、姉妹で向き合い方が変わるこれからの新しい日々に胸が高まった。
「そうだ。私立のこと、疑ってごめんね」
「いいのいいの。隠してた私も怪しまれて仕方ないし」
「……そうだよね」
フユキは閃いた。サクラはまだ秘密を隠しているのではないかと。そして能力で洗い出す方法はある。
「だから全部見せろー! 部屋の中暴いてやる」
「あ、こらフユキ」
フユキはサクラの部屋に飛び込み、雪の風を強く吹かせて散らかす。あのパンフレットのように、秘蔵の物を引っ張り出すために。
サクラも止めに入って風を吹かせ合い、その日は過去一番に部屋が荒れ、夜中まで協力して片付けることになった。怪しい物は見つからなかったがスッキリしたので無駄な勝負だとは思わなかった。




