30話 変化の効果
「さて行きましょうか」
「ちょっと待ってて」
「鞄持っておこうか?」
「お願いっ」
次の月曜日。武蔵浦春桜とその妹、広小路冬雪は先週の金曜日から登校時間を早めた。理由はフユキが正式に部活動に所属したから。木曜までは幽霊部員で、金曜から復帰した。
その分起きる時間も早くなって、荷物も今までより増える。金曜に一度掴んだ生活リズムが土日で崩れ、落ち着きのない朝だ。
「忘れ物は……まあ、取りに戻れなくもないか」
ダンス部の朝練の時間に合わせて出発し、サクラも付き添う。ただ彼女は帰宅部なので、フユキと違って今まで通りの時間でも構わない。
朝からバタバタするフユキにつられてサクラも不安になる。だが彼女は時間があるため、もしフユキに忘れ物があっても戻って届けることは可能なのでどっしり構えた。
「お待たせっ」
「え、フユキそれ……」
「買ったんだ。似合う?」
部屋へ戻る前は着ていなかったカーディガン。フユキが週末に近所のアウトレットモールで購入した物で、サクラは今初めて見た。
似合うかと聞かれたことにはサクラは同意したが、なぜ着ていくのかは疑問に思う。フユキは普段は夏服という涼しい格好なのと、もうじき五月でこれからどんどん暖かくなるのに重ね着へチェンジしたことに、違和感しかなかった。
「風邪引いた!? 無理に行かなくても」
「平気だよ。むしろ周りは皆こんな格好でしょ?」
サクラはフユキが厚着する理由を体調不良と考えた。寒気を感じ、体調が優れないのに入部したてで休むわけにいかないからと我慢しているのかと捉えた。だが彼女は至って健康。それに時期的に、今までの薄着が異端なくらいだ。
「そうだけど、フユキは」
「とにかく大丈夫だから。歩きながら話そう?」
なぜ今まで薄着だったのかは、編入を急遽決めたので自分の制服がないから余っている夏服を借りたのと、フユキは雪の風を生み出す能力を持っていて寒さに強いからだ。
薄着でも心配要らないことと、その理由は雪の能力があるからということを関連づけて生徒に知ってもらうために、アピールのつもりであえて薄着で過ごすようにしていた。そんな意図があることはサクラも聞いている。
だからサクラはフユキのその格好を自然体と思っていたので、周りの生徒と似たコーディネートになったことにむしろ違和感を覚えるのだ。
フユキもサクラの気持ちは分かるが、事情を話していたら朝練に遅刻してしまう。
「本当に?」
両手に鞄を持ったサクラは、爪先立ちで額をフユキの額にくっつけて熱を測る。相手の方が熱ければ、発熱症状有りと判断できる。
「熱っ! 大丈夫!?」
フユキは叫んだ。雪の能力を持つ彼女は体質上、低体温。そしてサクラが恥ずかしさでヒートアップしたせいで広がった温度差を額で感じたのだ。
「元々冷たいのよね」
「そういうの気軽にやっちゃ駄目だよ?」
逆にサクラが発熱の疑いを向けられたが、額を離して手に触れると熱さは感じないので誤解は解けた。
一方でそんなキュンとくるラブコールのようなスキンシップは安売りしてはいけないとフユキは忠告する。
「今のは両手塞がってて仕方なく」
「あ、私のも持っててくれてたよね。ありがと」
普通なら手で額に触れる。今回は両手に鞄を持っていてそれができなかったからと弁明すると、上着を取りに戻る間に持ってもらっていたことを思い出し、鞄を受け取る。サクラもフユキが健康と分かったので、抵抗せず手を離した。
「じゃあ行こうか。もし忘れ物があったら、私が帰って届けにいくわ」
「ありがとうお姉ちゃん。でも大丈夫っ」
このままでは遅刻してしまうので、話の続きは中学校へ向かいながら。だがそれだと忘れ物に気づいたときに引き返す距離が延びてしまうが、付き添いのサクラなら遅れても問題ないからと説得し、出発する。
「これ買った理由はね、周りに馴染むためなんだ」
「馴染むため? 部員に?」
「ううん、学校に」
サクラはダンス部で流行のデザインなのかと考えたが、それはハズレ。入部のタイミングでのイメチェンなのでそう予想するのは不自然ではないが、入部がイメチェンのきっかけなのも事実。
フユキは学校で目立たないように、周りに合わせた服装に変えた。部活中は、制服を着ないのと、練習着は学校の体操服ですでに皆と同じなので現状でいい。
「お姉ちゃんが言ったんだよ?」
だが一番のきっかけはサクラの言葉だ。
「学校で能力は禁止だって。無能力のフリをする。だから、雪使いって認識を広めるための格好は止めたの」
校則では禁止されていない。
これは最初に入部したときにうまく接することができなかったフユキへのアドバイス。雪使いである前提から飛び出した意見は周りに理解されなかった。周りは能力が目覚めていない人ばかりだから、自分もその立場のつもりで関わることから始める。
そして分かり合えるようになり、フユキは幽霊部員を脱却した。
それで一件落着とせず、フユキは継続する。周りに寒そうと思われないような服装に変えたのも、その実践の一端なのだ。
「それで厚着を……」
「冬服がないからね」
衣替えまでは、多くの生徒が冬服を着ている。借りることができないから、代わりに上着を買ったのだ。
「もうじき届くけどね」
「あ……」
しかしあと一週間待てば、春休みに注文した制服が手に入る。フユキはそのことを失念していた。もちろん届いたらその制服を着るつもりでいる。
「あ、でもフユキは夏服しか頼まなかったのよね」
「そうじゃん! 年中それで過ごすつもりで」
しかしサクラも勘違いをしていた。夏冬一式注文したのは彼女だけ。フユキは寒さに強くて、そうでないとしても卒業まで半年しか着ないので、必要な分しか注文しなかったのだ。当時そう判断したこともはっきり覚えている。
「今から間に合わないかな!?」
「着く頃にはもう衣替えよ」
今から注文して一ヶ月後に届くとして、その数週間後には衣替えを行う時期を迎える。ようやく届いた冬服は、十回程度着てその次の衣替えの十月まで放置される。
「なら買って正解だったね。その服」
「あー! 冬服も頼めばよかった!」
夏服と一緒に買うのが正解だったとフユキは後悔した。だが叫んでも過去には戻れない。
「私も何かイメチェンしようかな」
「お姉ちゃんが?」
サクラもこの学校に編入して、変わった所を持ちたいと思った。フユキの重ね着は周りに合わせる心境の変化の表れ。それと同等の変化を、形にしたいと考えた。
会話に挙がったからには何か返事をしたいフユキは、道の並木が目について、一つ思いついた。
「桜散ったし葉桜になれば?」
「意味知ってる?」
文字通り花が散って若葉が出始めた桜の木を表すが、そこから転じて年増の女性を指す。具体的には三十代半ばから四十歳前後だ。
だがフユキはそうと知らず、悪気なく言い放った。
「髪の色を緑にするとか」
「髪ねえ……」
「でも年中その色か」
サクラの髪は桜の花のようなピンク色。季節の変化に伴って染めてみてはどうかの意味で、フユキは提案した。
だがフユキはサクラと一年付き合って、そんな変化は自然に起こらないと知っている。元からこの色だ。
「桜じゃなくてスイレンになろうかしら」
「違うピンクの花かー」
サクラが能力で起こせるのは桜の風だけだが、髪飾りを買って着ければ他の花らしく変われる。能力とは無関係だが、そもそも能力者であることを大っぴらにしないためのイメチェンをフユキがしたのだから、むしろ無関係でいい。
桜が散って次の季節に咲くピンクの花。それが終わったらまた次。なんてプランを考えた。
「でも、私は今のお姉ちゃんのままでいてほしいな」
「今の?」
外見が変化しても中身は変わらない。それはフユキも分かっているが、彼女は中身を変えるために外見を変えたのであって、それをサクラに望んでいるわけではない。
「私と会ったときから、今も変わらないままで……それが私は好きだなって思うんだ」
「フユキ……」
一年前、実の姉を失ったところに現れたときの姿のままでいてほしい。そんな思いがあった。
そう聞いてサクラは複雑な気持ちになった。確かにフユキの言う通り、出会ってからずっとこの外見と中身だ。生まれ変わって、出会ってからは。
「フユキは今の私がいい?」
「うん!」
サクラはフユキの亡き姉の生まれ変わり。髪はピンクに染まり、性格はかつての自分を抑えるように意識しているので彼女には気づかれていない。
正体を明かせば今の関係は崩壊する。だから今が良いと笑顔で答えるフユキを前に、サクラはいっそう覚悟が揺らぐ。
「じゃあ行ってくるねっ」
「頑張って」
特に忘れ物は無く、フユキは朝練に向かう。サクラは見送り、教室へと進む。結局正体は明かせなかった。
部活を始めたことでフユキの環境は変化した。今の時期にサクラは自分の正体が彼女の姉の生まれ変わりと明かしたら、それが彼女のメンタルに響いて新しい環境に馴染めなくなる可能性がある。
部活を続けていれば、気の合う仲間ができるだろう。そうすればもし真相を伝えても、その人に相談できるかもしれない。サクラはそう前向きかつ他力本願な想像に走り、またしても問題を先送りにした。
フユキは部員に挨拶をしたとき、服装が分かったことは突っ込まれたが理由を話すとそれで済んだ。ダンスはチームで行うもの。そこで見た目から統一感を意識する。たったそれだけだ。
とはいえ練習は体操服で行う。全員、夏と同じ半袖短パン。フユキのイメチェンは制服で過ごす際のものなので、練習において変化は無い。
平日の練習は今日で二日目。フユキは着替えたとき、前回と感覚の違いを感じた。今までは半袖のシャツから体操服に着替えたから、肌面積の変化が少なかった。
だが今日は違う。肌に空気が触れる感覚が、着替えたことでより鮮明になった。
そんな感想を話したら、部員から共感を得た。皆も当初は同じ感覚を味わったことがあると言っていた。こうして気持ちを分かり合えるのも、変化の効果が出たと実感した。
サクラは校舎の前で空を見上げる。フユキが変わったように自分も変わらないと、いつまでも思いを伝えられない。そこで最近の変わった出来事で、雲の上に飛ばされたときのことを考えていた。
フユキと一緒に風に乗って散歩していて、話で盛り上がっていたら見解の違いで揉めて、風をぶつけ合ってお互い飛ばされた。そしてフユキはこの街へ、サクラは雲の上に行った。
死んで生まれ変わったサクラは、その存在を地上に知られてはいけない。雲の上に行ったとき、最初にそう告げられた。それから一ヶ月経って地上に、この街に下りられたのは、天界での振る舞いで減点されなかったことと、もう一度会いたい思いを貫き通せたこと。
そこでサクラは気づいた。正体を明かすことを躊躇ってしまうのは、明かした暁には天界に帰らないといけなくなる予感がするからだと。
下りることを許されたのは、今まで通り素性を隠すことができると認められたから。だとすれば、それを破れば罰が下り、もうここには居られなくなる。
そうなることが怖いから、現状維持を選んでしまっていると自覚した。同時に、その判断が正解と自分に言い聞かせ、むしろ今まで隠してきた自分を褒めた。
サクラは今の自分を、かぐや姫のようだと感じた。フユキと揉めて離ればなれになったのは、その物語の創作が原因だった。
月と天界で行き先は異なるが、地上を去らないといけない立場という点と、けれども帰りたくない心情がサクラと似ていると感じた。
彼女は考えた。もしもかぐや姫が帰らないといけないことをずっと隠していたら、地上でずっと幸せに暮らせたのだろうかと。
図書室に行き、その本を取って席で読む。そしてあらすじを読み返し、その想像通りにはいかないと考えた。空から迎えに来て、羽衣を着せて月に帰った。
つまり事前に明かそうと伏せていようと、別れの日になれば来訪者によって発覚してしまう。
その点はサクラと違う。正体を黙っている分には、連れ戻されることはない。
逆になぜ明かしたいと考えたのかというと、突如天界に飛ばされて、そのままもう会えないと思ったからだ。だったらせめて一瞬だけ会いに戻り、地上にいてはいけないと伝えてから別れたかった。
けれども無事に帰ってこられて、地上にいていいと許可を得た。だったら明かす意味はない。そう気づくと、肩が一気に軽くなった。
そして誓った。明かす気がなくても、正体がフユキにバレたら恐らく連れ戻されてしまう。そうならないようボロを出さないように、いっそうかつての自分を封じ、サクラを演じきると決意した。




