2話 止めてその風
「あなたは降りる資格がありません」
風に飛ばされて天界に来てしまった武蔵浦春桜に告げられた無常な言葉。どうすれば地上に降りられるか、妹に会えるか知りたいのに、なぜか許されなかった。
「名前は?」
「サクラですっ。武蔵浦春桜」
主はノートを開いてサクラの素性を確認する。
「……髪色も名前も違うけど、あなたは一年前に亡くなっているでしょう」
「そ、それは……」
サクラは焦った。相手は天界の主。事情はお見通しなのだろう。ここまで案内してくれた北参道天羽は驚いていたが、サクラが突如天界に侵入してきたのはそのためだったのかと察した。
「ああ、それで飛ばされてきたんだ」
「違う、風が乱れたせいで……」
サクラがここへ打ち上げられたのは強制ではない。妹共々風を起こす力を持っており、口論で風が衝突し、旋風が発生した。
「だとしても、亡くなった人を降ろすわけにはいかない」
「そんな……」
原因が何かは関係なかった。どのみちサクラは帰ることを認めてもらえない。自分は普通の人ではないことは、自分が一番分かっている。
「……ちょっとだけ、すぐ戻ってくるのは駄目ですか?」
「駄目です。そもそもあなたのことは人に話してはなりません」
せめて妹に謝り、ちゃんとお別れを言いたい。だから少しだけ降ろしてもらえないかと頼むも、接触自体がNGと言われた。
「亡くなった後も自由に動ける。そんな話が広まると、地上は滅んでしまいます」
「滅んでって、どうして……」
「アゲハもよく聞きなさい」
天界の授業で教えたことだがアゲハは忘れていると見抜いた主は、二人に説明した。
「いいですか。もしも死んでも自由でいられたら……人は嫌な環境から逃げて恵まれた地域に集まって、資源が尽きてしまいます」
「そんな、言い触らしません!」
悪用されるのを恐れているが、そんな真似はしないと誓う。しかし主は険しい顔のまま。
「そもそもあなたはどうして亡くなっても生きていたのですか?」
「それは……」
むしろタブーなのにサクラが一年も地上にいられたことが不思議だ。天界が与えた力ではない。主は彼女がどうやって転生したのか尋ねる。
「池に落ちて、溺れて……」
サクラは死んだ日のことをはっきり覚えている。妹の広小路冬雪と出掛けていたときのことだ。
けれどもその日以降のことはよく覚えていない。気づいたら生きていて、フユキとお揃いだった水色の髪がピンクに染まっていた。
「頑張ったらこうなっていました」
「不思議ね……言霊の力かしら」
何が起きてこの姿になったのか、サクラ自身も不明なまま。主は彼女が天界の関与なしに転生するだけの力と思いがあるのを感じた。
「あ、でも事情を伝えないと騒ぎに……私、行方不明ってことですよね?」
話は戻って、地上に行けないことによって発生する問題があるとサクラは訴えかける。
「それは大丈夫です。……夢から覚めるときです。あなたはもういないのだと」
「……はい」
姉が死んで、その後に現れたサクラが消えたら、それは姉の幻だったとフユキは受け入れる。行方不明だと騒ぎになることはない。
そう言われたサクラは、返す言葉がなかった。もう帰る口実は残っていない。
「ここに、残ります」
「とはいえ急なものだから……アゲハ、しばらくお願いします」
「何を?」
「泊めてあげてください」
アゲハは露骨に面倒臭がったが、主に見つめられると拒否できなかった。
主の元を去り階段を降りる二人。サクラは天界で暮らすことを受け入れたが、分からないことばかりだ。
「アゲハっていうのね、あなた」
「そう。アンタはサクラって言ったっけ」
「……そう、サクラ」
サクラが本名でないことを主に言及されたことはアゲハは忘れている。彼女としてはその方が好都合なので、サクラで通すことにした。
「何? 今の間」
「あ、苗字は武蔵浦だけど、名前でいいってこと。長いし」
「ああ……」
サクラは考えていたことを咄嗟にごまかした。それでアゲハは納得し、自分も苗字を名乗った。
「私の苗字は北参道」
「私より長い!?」
まさかの六文字。サクラは驚きつつも、しっかり覚えた。
「ここが私の家」
玄関の扉を開け、土足のまま中に入るアゲハ。サクラは戸惑い、敷居の前で立ち止まる。このとき彼女は、そもそも天使が裸足でないことに驚いた。
「そのまま上がって」
「靴……そうだっ」
しかしサクラは靴を脱ぐ習慣があり、そのまま踏み入るのを躊躇った。そこで自分の特殊能力、桜の風で宙に舞えば、床を汚すことはない。
その風が、扉の表札や棚の花瓶を吹き飛ばした。想定外の事態にサクラは硬直、アゲハは呆然とする。
結局風を止め、靴も脱いだ。散らかした玄関も片付けた。
それからサクラは部屋へと案内された。白い壁とカーテンに、青い額縁。ベッドにソファーにクッションに、見るからにふわふわした空間だ。
「素敵……」
「好きに使っていいわ。地上に合ったカスタマイズして。と言っても……」
アゲハはサクラをジッと見た。彼女は財布とスマホしか持っていない。
「頑張って慣れて」
「いや、そこは買い物に連れてって!」
生活用品を揃えに出かける流れと思いきや丸投げされ、サクラは強く押した。
「服は私の貸すから」
今のサクラの格好は目立つ。そこでアゲハは出かける前に着替えを渡した。
「ちょっとキツいかも。胸あたりとか」
「悪かったわね」
サイズが合わない都合、服も買いにいくことになった。
「まあ見失わなくていいかもね」
「そうだね」
お互い会ったばかり。服装が目立つのは却って目印になると肯定的に捉え、出発した。
一方、地上ではフユキも出かけていた。風に飛ばされて降りた街で出会った久里浜華燐に、この街、この島を案内してと頼んで。
「ねえ、あなたがフユキ?」
「そうだけど、あれ、言ったっけ?」
そういえば名乗った記憶がなく、フユキもカリンの名前を知らない。
「やっぱり。ねえ、この子と知り合い?」
カリンはスマホの通知がきっかけで気づいた。島の中学二年生で、特殊能力"ノーツ"持ち全員のグループチャットからの通知。
彼女はフユキの依頼でこのグループに、サクラの居場所を教えてほしいと投稿した。サクラの名前を出したところ、その名前に覚えがある人がいたのだ。
「えっ、クルリ? ここに引っ越してたんだ!」
保土ケ谷風。フユキと同じ風の街出身の旧友だ。先月引っ越してしまったが、編入先はこの島だったのだ。
クルリはカリンが投稿したサクラの名前を見た。そして彼女はこの島に来たのか、フユキもいるのかとそのチャットで聞いてきた。それがカリンがフユキの名前を知ったきっかけ。フユキは早く返信したいとうずうずする。
「私もいるよ! そうだ、一緒に撮ろうっ」
「えっ、ちょっと」
フユキは自撮りを持ちかけた。半ば強引にスマホを取ってカリンと映り、投稿した。
「なんで私まで……」
送信取り消しするほど嫌なわけではないが、カリンは溜め息をつく。自撮りなんて載せたことがなく、先月グループに入ったばだから馴染みのない人もいる。
だが、こうしてアピールするのは交流を深めるうえで大事だと自分に言い聞かせ、深呼吸した。
「ID教えようか? 自分のスマホのが楽でしょ」
「ううん、確かあるはず」
フユキは自分のスマホからクルリのアカウントを探す。これで個別にやり取りできる。
「あなたもこのグループ入る?」
「いいの!?」
「"ノーツ"がある人限定だけど、さっきの見る限り持ってそうだし」
サクラ探しの件も、フユキ自身で連絡する方が手軽だ。ただしこのグループの参加資格は、同学年で"ノーツ"が目覚めていること。
フユキに雪の風を起こす力があるのは見たが、正式に検査する方法はある。
「あの装置で測ってみなさい」
「えっ、どれどれ!?」
ちょうど今向かっている駅の近くに、非接触タイプの測定器がある。
「ここに頭近づけて……」
「ホントだ! Bランクで、名前は"スノーグランド"」
雪の大地。雪を生み出し地面に降り積もらせるフユキに合った"ノーツ"の呼び名だ。それより彼女が気になるのはランクだ。
「Bは高いの?」
「S、A〜Eの六段階。ほとんどの人は何もないFだから高い方」
"ノーツ"があること自体がレアなうえ、ある中でも六段階中三段階目だから、高い方なのは間違いない。
「あなたは?」
「カリンよ」
「カリンか……じゃなくて、ランク!」
名前を聞きたかったのはそうだが、知りたいのはカリンのランクだ。すると彼女も測定器に額を寄せる。
「S!? トップってこと!?」
「まあそうね」
最高ランクのS。それがカリンの評価。フユキは驚きつつも納得だった。がたいが良く、女子ながら見るからに強そうで、何より炎の使い手だからだ。
「……でも、もっと高い人はいる」
「そうなの? 震えてるよ?」
カリンは浮かない顔をする。確かに今は彼女がトップだ。けれどもこれからもっと高い人が現れる。そんな予感がして、体が震える。
「何でもないわ。とにかくこれで、フユキも仲間よ」
「やったー!」
フユキに評価が出た。サクラと合流して島を出るまでの短い間ではあるが、彼女もこのグループチャットに参加させられる。
「ところで、招待したいから友だちに」
『ああクルリ? 私Bランクだったからさっきのグループ招待して? えっ同じ!? 良かった~』
フユキはすでに連絡先を交換しているクルリに電話で頼んでいた。
「来た! 参加っと……」
招待中のグループに表示され、早速参加をタップする。その横でカリンが燃えていた。
「どうしたの?」
「何でもないわ」
カリンは頭を冷やし、炎を消した。別に連絡先交換したいわけではないと強がり、スマホをしまう。
『Bランクのフユキです。しばらくよろしくお願いします!』
フユキは挨拶を送る。ランクの評価に完全に浮かれていた。
『平均よりは上だけど、全然怖くないよ!』
『29人中23位だよ』
「嘘でしょ!?」
フユキはフリーズした。六段階中三段階目なのに、下から数えた方が早いと言われた。
「ほら、過半数がAランクなのよ」
「アンバランス!」
カリンは測定器に一覧を映した。Sランクが三人で、Aランクは十五人。だからフユキのいるBランクは、"ノーツ"持ちの中では下の順位になる。
「Cなんか0人だし」
「おかしいでしょ!?」
偏りが激しいなんてレベルではない。こうなるとせめて同ランク帯では上位でありたいと思うフユキだったが、詳細を見て唖然とした。
「というかBで8人中5位……」
残念ながら中央より低い位置だった。
「そもそもどういう基準?」
「能力の価値と、持ち主のスペックとか……別に、ランク高いほど強いとか偉いとかじゃないらしいわ」
先月"ノーツ"が覚醒したばかりのカリン自身も、評価の認識はあいまい。Aランクが多いのも、該当者がたまたま多いだけと捉えていた。
「探してくれた二人はAランクだし」
「本当だ……」
サクラが空の上にいると教えてくれた、相手の元に手紙を飛ばせる上福岡恋音と、翼を生やして空へ探しに行っている福俵天使は、どちらもAランクに載っている。
「あと、後からは上げられないみたい」
「そんな……」
「いや、先月一人Aに上がったわ」
能力の練度や身体能力を上げても、ランクや順位は上がることはない。ただ能力そのものが進化して、上がるケースが最近発生したので、法則が乱れた。
「じゃあ私にも可能性はあるんだね!」
「まあ、そうね。でも無理に張り合う必要は無いわ」
劣等感は抱かなくていい。自分より上が多いことは、それだけ頼もしい味方がいると思っていい。一位のカリンもそう教わった。
「皆仲間みたいなものらしいし。ランクや学校が違っても、関わる機会ができるだろうから」
「それって例えばこんなの?」
フユキはチラシを発見してカリンに見せにきた。
「メカサッカーコンテスト?」
「そう! 自分で作って試合させるのっ」
「へぇ」
「こういうの、得意な人もいるんでしょ?」
"ノーツ"の性質が機械いじり向きの人が、この29人の中にいるはず。そういう人と協力して何かに挑戦するために、こうしてグループを作っているのだとフユキは考えた。
「二人以上でチーム組むんだって。ねえ、一緒に出ようよ! 今日!」
「今日!?」
あまりにも唐突でカリンは困惑した。予定は無いが、心の準備ができていない。それに、今はフユキの姉探しの最中だ。
「お姉さん探すんじゃなかった?」
「大丈夫だよっ。今探しに向かってくれてるし」
フユキは今は待ちの時間だから好きにしていいと割り切っている。
そしてグループチャットに、参加する旨を投稿した。
『私たちこれにエントリーします。参加者の皆さん、よろしくねっ』
すると次々とスタンプやメッセージで返信が届く。今参加を決めた人もいた。カリンも自分のスマホで確認する。
「え!? あの子エントリーしてるの!?」
「誰?」
「アツカよ。今探しにいってる」
よろしくとスタンプを送ったメンバーの中にアツカがいたことにカリンは驚く。彼女は今、空に向かっているはず。
「本当だ……というか私、姉と逸れているのに無関係のコンテストに参加するって言っちゃって……」
アツカが間に合うのか問題は、彼女の同級生もツッコんでいる。彼女からは、手紙がもっと速く飛べば間に合うと呟いて、レノンはゴメンと謝る。カリンはその人たちに任せることにしたが、今度はフユキがおかしい。
「私は薄情な妹よ……」
「寒っ! 止めてその風!」
フユキは皆に初日から悪印象を持たれてしまったことを嘆き、演出として自身に雪を降らせて体を冷たくする。そばにいるカリンも巻き添えを食らう。
「でもお姉ちゃんにはいつでも会えるし、コンテストは今日しか行けないから、ねっ」
「分かったわよ」
結局、二人で会場に向かった。