17話 一歩前進
広小路冬雪がこの島に来てから二週間が経った。姉、武蔵浦春桜とは再会できていない。空の上にいるという情報を得てから、進展がなかった。
「もうじき春休みね」
姉と逸れたフユキを家に迎え入れている久里浜華燐が、カレンダーを見て呟く。フユキに聞こえる声量だったが反応がないので振り向くと、自分で作った枕に顔を埋めていた。
「休みになったらまた探しにいくの?」
「ううん。もう無理」
フユキはこの島に来てすぐカリンと同じ中学校に編入したので、平日は時間がない。先週末は島内の遠くの街に行き、雲の上まで飛んでいく挑戦をした。
しかし結果は失敗。フユキは風を起こして空を飛べるが、空気の薄い上空を突き抜けるだけのスピードを出せない。そして肺活量も速さも、すぐに鍛え上げられるものではない。だから再挑戦の予定は未定なのだ。
「このまま私はここからも追い出され、住む家もなく凍えて過ごすのよ」
「追い出さないわよ! ってか前泊まりにいってそれにもう春で、雪!」
フユキは枕を抱えて上体を起こすと、雪の風を自分に浴びせた。まるでこれからの自分はこうなるのだとアピールするかのように。
だがそんな未来は訪れない。カリンはフユキを家に受け入れる期限を考えていないし、春休みになると最初に呟いたのは、なったら出ていけと言い出す前触れでもない。
それに、仮に出ていかせたとしてもフユキにはあてがある。現に先週末は知人の家に泊まりにいった。
仮にそのあてもなかったとして、今は三月中旬で、これからどんどん暖かくなる。この島は温暖で、冬でも雪が降ることはめったにない。
どうあっても起こるはずがない未来をフユキは案じ、自前の特殊能力を使って実演している。
「今のだけで四つはツッコミどころあるし! とりあえず雪止めて!」
せっかく暖かくなるのに、家の中を冷やされるのも濡らされるのも御免だ。想像するのは勝手だが家を荒らされては迷惑だとカリンは止めに入る。
「春休みなら時間あるし、チャンスかもと思って言っただけで」
長期休暇の話題を振ったせいで妄想スイッチが入ってしまったようにも見えるから、カリンは言及したわけを明かした。
他校の能力者に頼るなら移動に時間がかかるので、色々試すには適した時期だ。かといってその時期を逃せばアウトかというと、そうではない。
「まあ無理にとは言わないけど」
「駄目だよ! 今月中に来てもらわないとっ」
四月以降でも会えなくはない。けれども今月のうちでないとフユキの理想は叶わない。春休みがチャンスといいつつ、実際は前半までに達成する心意気だ。
「じゃないとお姉ちゃんが"同期"になれないし」
「ああ、言ってたわねそんなこと」
この島には特殊能力の測定器がある。そこで能力有りと判定が出ると、時期に応じたコードが割り振られる。そのコードが同じ同学年を"同期"と呼んでおり、フユキはすでに測定した。姉に同じコードが与えられるには今月中の測定が必要で、つまりそれまでに雲の上からこの島へ来てもらわないといけない。
「急ぎなら手紙で」
「でもまだ私、順位上がってない!」
姉とは連絡がつかないが、手紙なら届けられる。そうすれば姉は地上へ降りてきてくれるだろう。そんな目処がついているために、フユキは後回しにしていた。手紙を出す前に特訓し、能力評価が姉より上になりたいと欲張った。
「まあそう簡単に上がるものじゃないみたいだし、諦めたら?」
特訓の決心が先週のこと。あれから成果は出ていない。評価自体、頑張れば上がるものではない。大多数が最初に測定したときのままだ。"同期"になりたい気持ちを優先させるなら、兆しの見えない進化を信じるより、早めに姉を呼ぶ方が良いとカリンは思う。
「……いいよね。上目指さなくていい人は」
フユキはあてつけのように言い返した。カリンは現状、能力評価は学年トップ。対して彼女は平均以下。とはいえ能力持ちの中での話であって、持たない人が大半だから、全体で見れば彼女も上澄みではある。
だが彼女にとっては、そういう問題ではなかった。
「……ごめん。諦めたらってのは言い過ぎた」
カリンは反省した。フユキに欲張らないで姉探しを優先してはどうかと提案するつもりが、彼女の神経を逆撫ですることになってしまった。ただでさえ姉が消息を絶って半月も、この見知らぬ島で暮らしている。能力持ちのおかげで、ここから情報を得られると思っての決断だ。
だが今も会えず、いつなら叶うかも分からないので、フユキの精神はバランスを崩しかけている。そうと気遣えなかった自分に非があるとカリンは考えたが、あいにくできることは何もない。
「私、戻るね」
そう告げて自分の部屋へと戻っていく。残されたフユキは黙ったまま反省会をしていた。カリンに八つ当たりして、お互いに心を傷つけてしまった。
そんな不器用で不憫な自分を視覚的に演出するように、再び自分に雪を降らせた。
夜になって、カリンは謝ろうかと悩み、フユキの様子を見に行く。気づかれないよう電気は点けず、能力で炎を手に宿し、付近を照らした。
だが途中で足を止める。むしろ今なら、フユキは居心地の悪さから姉への思いを募らせ、早く会いたいと手紙を送るかもしれない。そうすれば再会という目的は果たせて、この衝突が結果として機能する。
そう都合よく行けばあの言い草は間違いではないと自分に言い聞かせ、引き返した。
「おはよー」
「え?」
しかし翌朝、フユキは何事もなかったかのようにカリンに接した。根に持っていなくて安堵する反面、気味が悪く思える。
「記憶飛んだ?」
「……覚えてるよ」
フユキは忘れたつもりでいつも通りの態度をとったが、実際ははっきり覚えている。カリンに対し嫌味臭く当たったことも、その結果気まずい空気で一晩過ごしたことも。
「でも、引きずってないよ。ごめんねカリン。昨日あんなこと言って」
「そう……私こそごめんなさい。あなたがどれだけ不安か考えてなくて」
お互いに謝って、カリンはホッとした。能力や姉の件は何も解決していないが、衝突は緩和でき、一歩前進と言える。内心、ぶつかり合えてよかったとさえ思う。これでフユキのことを深く知れたと、前向きに捉えた。
「お姉ちゃん相手にするノリであんな態度とっちゃった」
「……え、あなた普段からああなの?」
彼女のことを理解できたというのは思い過ごしだった。昨日のフユキの言葉や態度は、姉が消えて精神が不安定になったことが招いたものではなく、姉と居た頃から秘めていた本性だったのだ。
「会えなくてストレス溜まった結果じゃなくて?」
「うん……実は普段から」
となると、再会して改善されるとは見込めないと思われる。
だがカリンは考え直した。フユキは二週間前に姉と逸れたが、それは本当の姉ではない。本当の姉は一年前に池に沈んでしまったと言っていた。だからその別れが、フユキの心を壊してしまったのではないか。そう思えた。
そして、本当の姉とは恐らくもう会えない。過去に戻れたら話は変わるが、それができる知り合いはいない。
「いいわ。そんなことで嫌いになったり、追い出しもしないから」
「ありがとうカリン!」
「冷たっ!」
歓喜のあまり抱きつくフユキ。その体から発する寒気に、カリンは抵抗して熱を発した。今度はフユキが暑がって飛び退いた。
一方、サクラは天界で地上へ戻るための挑戦を続けていた。風を起こして体を浮かせ、急降下。そして雲を突き抜ける。そうやって地上からここへ来た。そのときは風が暴走していて、感覚や記憶がないが、実践する人を見たことがある。
問題は雲がコンクリートのように硬いこと。跳んで踏みつけてもびくともしないから、勇気が出ない。そこで気分を高める音楽を聴きながら試したが、途中から風切り音で聞こえなくなり、恐怖心が前面に出てしまう。
しかし音楽は必須ではない。ダイブする勇気さえ出せればいい。妹に会いたい気持ちが強ければ、きっと成し遂げられる。
そうは思っても、意思を邪魔する声が脳内に響く。天界の主が言っていた。死人は地上に戻る資格がないと。ダイブという行為はその規則を破るのと同義。言葉がフラッシュバックして、躊躇ってしまうのだ。
「もう! 聞きたい音が聞けなくて、聞こえない声が勝手に……」
脳内に焼きついた声は、どれだけ周りが騒がしくても関係なく聞こえてくる。いや、却って風の大きな音の中、イヤホンから音楽を拾おうとする意識が、記憶に鮮明に残っている声を呼び起こしてしまうようにも思える。
日常生活や夜眠るときは、まったく気にならないのだから。
「もっとボリューム上げないと駄目なのかな」
スマホもイヤホンも、これ以上は音量を上げられない。もっと大きく音を出せる物を買いにいくのも手だが、それでうまくいく保証はない。
「それで大音量のを?」
北参道天羽はサクラから相談を受けた。天界の生まれなら、店を知っていないかと。
「それかヘルメットみたいな形状なら、音は大きくなくても聞こえやすいと思う」
「そうねえ……」
もしくは風の音を抑えることで、今の音量でも相対的に音楽を聴き取りやすくなる。
「……え、ヘルメットなしでやってたの?」
「あ、だって……」
地上に落下するのになんて無防備なのかとアゲハは困惑した。サクラは念頭になかったが、それにはワケがある。
「だってあの人ノーヘルでやってたから」
「いや、やってておかしいと思うでしょ」
以前実践した人は、普段通りの格好で天使の翼を生やして頭から雲に飛び込んだ。だからサクラも同じように試していたから、被ろうという発想がなかった。
しかしアゲハは、挑戦するうちに危険と感じるのが普通だと考える。同時に、サクラのことは特殊に思えた。
「いや、そういう無神経だからこそできるんじゃ」
頭を守ろうとする意識を持たないのは、それだけ恐れ知らずということ。そのメンタルを矯正するのはダイビング挑戦中にはもったいないとアゲハは思う。
「私の能力なら、音の増幅ができる」
「本当に!?」
「じっとしてて」
危機管理能力の話は置いておき、サクラの相談に戻った。すると狙い通り彼女は話に食いつく。
増幅の方法をアゲハは実演した。まずは蝶を生み出す。これはサクラも見たことがあり、蝶の一頭一頭を欠片のように集めて自分の翼に変えて空を飛べる。
だが今は背中に纏わず、生み出した数も三頭だけ。二頭をサクラの両耳へ、一頭はアゲハ自身の口元へ飛ばす。
『お姉ちゃん』
「わっ」
アゲハが発した声が、サクラは耳のすぐそばからも聞こえてきた。まるで両隣から囁かれたように。
「この蝶で、電話みたいに声を届かせられる。増やせば声も大きくなる」
アゲハは口元から蝶を離し、能力のからくりを説明した。音の大きいイヤホンの代わりになる、その力の。
「単純に倍増はしないけどね。音波同士打ち消し合うから」
「そっか……でも、これよりはずっと大きくできるはず」
この蝶を耳元に固定して、落下中にアゲハに喋ってもらえば、何の道具も使わずに大音量でダイブできる。さらに大量の蝶を出せるから、最大音量は市販品より大きくなる。
「あと、声色も自由に変えられる」
「えっ!?」
「さっきの声もそう」
誰もいない位置から声が聞こえたこと自体に驚いていたサクラは、アゲハが声を変えていたことに気づいていなかった。だが声のトーンを変えられると聞いて、思い当たる節があった。
「じゃあ、前に食堂でお姉ちゃんって呼んだときも……」
「ああ、あったわねそんなこと」
食べさせ合うのが天界のルールで皆やっている。歳の離れた妹が相手と考えれば恥ずかしさは紛れると思ったが、アゲハのこよをそう思い込むのは無理。そう呟いたときに彼女が妹を演じて発した声。あれも能力で変えた声だったのだ。
「ってことは妹の声も出せるよね!? そしたらきっと本気出せるはず」
「聞いたことないから」
「私に任せて!」
妹の声で応援してもらえれば、サクラは力を出せる。アゲハもその気持ちは分かるが、自分の声で力になりたいから、その提案には内心不服だった。
けれどもどんな声にも変えられるのは事実。サクラの言う通り、あらゆる音程、声量を試して近いところでストップと言ってもらうなりすれば、知らない声でも真似することは可能だ。
「じゃあ、あーって言うから近づいたら合図を」
「ううん。お姉ちゃんって言って」
しかしサクラがわがままを言う。遊ばれている気がしてアゲハは後ずさりをする。
「あのね? マイクチェックワンツーって言うのは意味があって、色んな発音が含まれているからなんだよ」
「ああ、チェっとかウーとか」
アゲハは納得した。確かに一つの音で試すよりは効果的。月末のスピーチは、それでテストしようと思った。
「じゃあそれでいいじゃん」
「駄目! マイクテストじゃないんだよ」
本来の用途と違って声が近づくまで何度も声に出す分、少し長いのは手間だが、確実な方法だとは思う。けれどもサクラは駄目と言い、言い訳染みた理屈を並べてきた。
「私が聞き馴染みのあるフレーズじゃなきゃ」
「……はい」
思いつきのはずなのにあれこれと理に適った意見をつけ足してくる、頭の回転の速さと姉であることの執着に、アゲハは諦めた。
『お姉ちゃん』
「そうそう! 今のそう!」
細かい調整の末、再現に成功した。ようやく解放されると思った矢先、サクラは追加オーダーを入れてきた。
「そうだ! ダイブ中の原稿作るから、できたらよろしくねっ」
そのトーンで他の単語や文章も再現を頼まれ、まだ一歩前進しただけという事実にアゲハは心を折られた。




