15話 体が限界で
土曜日の夜。久里浜華燐は家の廊下で悲鳴を上げた。暗い廊下を炎で照らして歩いていたら、床に人の真っ白い腕だけが転がっていたことに驚いて。
「どうしたのカリン!?」
「手、手が……」
広小路冬雪は部屋を飛び出すと、腰を抜かしたカリンに気づいた。彼女が指差す先に視線を移すと、安堵した。
「ああ、ここにあったんだ」
「えっ!? というかいつの間に帰ってきてたの」
フユキは昨夜、旧友の家に泊まりにいった。今日帰ってくる予定とはいえ、もう着いているとは知らなかったからそれも驚いた。
だが、今はフユキが平気で拾った腕の正体が先だ。一体何なのかと問い詰める。
「これ、枕なんだ。私が作ったの」
「ま、枕ね……よかった」
ひとまず本物の腕ではないことにカリンはホッとした。事件や怪奇現象でないと判明したが、問題はなぜそんな物がここにあるのかだ。
「作った? なんで」
「ミシンで」
「そういう話じゃない!」
素材とか作り方を聞いているのではない。何の目的で作ったのかを知りたいのだ。
「ドッキリのつもり? こっそり帰ってきてたのも」
「違う違う! わざと置いたんじゃないよ!」
カリンはフユキを懲らしめようと、炎を纏って自身の身体能力を上げスタンバイする。身の危険を察したフユキは、うっかり落としていて脅かすつもりはなかったと弁明した。
「枕作るの趣味なんだ。帰ってずっと作っていたの」
「あ、そうなの……」
フユキは腕の形をした枕を持って、カリンを自室に案内する。そこが彼女の作業場。帰ってからずっとここに籠っていた。
「色々作ったよ。あれは膝枕で、あっちは肩枕」
「普通のは無いの?」
直方体のクッションが一般的だが、この部屋にあるのはどれも生々しい。出来がいいだけに、却って不気味だ。
「そういうの、実際にやってもらうものでしょ」
「やってもらってたよ。小さい頃はお姉ちゃんに」
わざわざ作らず、人に頼めばいいのではとカリンは思う。だがフユキは、それができないから代わりに作っていると告げる。
カリンは気の毒に思った。フユキは姉と離ればなれになってしまい、夜な夜な泣いている。だから枕を姉と思い込んで寂しさを紛らわせたいのだろう。
「中学生から一緒に寝てくれなくなったから」
「じゃあ二年も前の話じゃない」
時系列的に、フユキが枕作りを始めたきっかけは姉と逸れるよりずっと前にある。単に成長して一緒に寝るには狭いのと、部屋を分けたことから、姉の腕枕から卒業させられた。
つまり姉と逸れたせいで始めたわけではないと分かり、カリンはホッとした。
「別に、今でも頼めばやってもらえたんじゃない?」
「そうしたい気持ちは山々だけど」
姉に甘えてみれば応じてもらえるとは思う。だが枕に関して色々調べた結果、体に悪影響があると知って抵抗感を抱いてしまった。
「科学的根拠を示そうとしたらむしろ毒だって知っちゃったから」
落ち着けるとかよく眠れるとか、体を枕にするメリットを話せば、話は通ると考えた。しかしフユキはその過程で、デメリットばかり知ってしまった。
欲より姉への負担という心配が勝って、頼めなくなってしまったわけだ。
「ハネムーン症候群って言うんだ。新婚夫婦が一緒に寝たら、腕は麻痺して大変だって話」
「確かに……」
甘いシチュエーションではあるが、やっていることは何時間も体を押さえつける拷問のようなもの。カリンは初耳だったものの、すんなり意味が頭に入った。
「それで作ったのね」
その点、作った腕なら体に負担はかからない。一緒に寝る必要もないから、絵面がバイオレンスなだけで合理的だと思った。部屋に散らばっているのを見ただけでは、怪しい儀式の空間かと誤解する。
「カリンも使ってみてよ」
「私は別に冷たっ!?」
自分は普通の形でいいと拒否するカリンはフユキ自作の枕に触れて異常なひんやりに驚いた。
「何!? 幽霊!?」
「えっどこどこ?」
得体の知れない何者かに触られたと思ったカリンと、幽霊がいるかもしれないことに興味津々のフユキ。しかし何も起こらなかった。カリンが幽霊と思ったのは冷たく感じたからだと話したらフユキは、それは枕に込めた冷気と明かして、真相は判明した。
「叩かないでよー」
「なんで雪で濡らすのよ」
フユキが特殊能力で雪を降らせ、その雪を枕に詰めてある。カリンは冷たい触感はそのせいと聞くと、三月なのになぜそうするのかと文句を言う。言ったものの、フユキが何と返すかは見当がつく。寒さに強く、むしろ寒い方が気分が良いといった感じだと。
「心を冷やしたくて」
「心!?」
予想はだいたい合っていたが、体ではなく心目当てだとは読めなかったし、聞いてもどういうことだかさっぱり分からない。
「そんな頻繁にボケなくていいけど」
「真面目なのに」
「本当に?」
カリンとしてはフユキにいっそ冗談と言ってくれた方が腑に落ちた。他校生と一泊したことでボケに毒されてきたと納得できるからだ。
だが冗談ではなくちゃんと目的があるようで、カリンはきっとろくでもないと思いながらも尋ねてみた。
「冷やしてどうするのよ」
「私かわいそうって気分になれる」
「はい?」
心を冷やして得られる効果であることは間違いない。予想以上に拗れた真相に、カリンは脳が理解を拒んだ。そして名前しか知らないが姉に、早く引き取ってほしいと内心願った。
「今日アツカと一緒に雲の上まで行こうとしたんだけど」
「へえ、どうだったの?」
福俵天使は天使の羽を生やして空を飛べる他校生。以前姉に会ったことがあるということで、フユキは案内してもらおうと一緒に飛んだ。
「無理。届く前に体が限界で」
アツカほどのスピードを出せず、のんびりしていると高所の空気の薄さに堪えきれない。雲の上へは上がれなかったのだ。
その話題に関してはカリンもすんなり食いついていけた。空を飛ぶうえで懸念点と対策は、彼女自身にとっても知る価値がある。
「抱えてもらうとかどう?」
「駄目みたい。それだとアツカのスピードが落ちちゃうって」
「ああ、そう……残念ね」
カリンのアイディアは、アツカの頭にもあった。試してはいないものの、一人で飛ぶのと同じようにいかないのは納得できる。一人抱えていくのは無理となると、もう代替案は出なかった。結局フユキは雲の上まで辿り着けなかったのだ。
「そして私の心は冷え切って」
「分かった、分かったから」
話は聞かせてもらった。だから視覚的にアピールしなくていい。むしろ寒いからやめてほしい。カリンはもう十分だとフユキを咎め、雪を止めてもらう。
「温めてほしいのよね」
「違う!」
カリンは手に炎を宿してフユキに近づけ熱を送る。挑戦が失敗したから慰めてほしいと、解釈しての行動だが、全力で拒絶された。
「慰めてアピールじゃ」
「違うって! 消して!」
雪の風を送りながら訴えかける。結局カリンの意思で炎を消してもらった。
「浸りたいの」
「何もしなくていいってことでいい?」
感傷に浸りたいという考えをカリンは理解できず、もう投げやりになって率直に何をすれば満足か確認する。多分放っておいてほしいと考えられたから、それで正解かを尋ねる。
「分かってないなあ……合っているけど」
「何? 違うの?」
この辺りからカリンは早く一人になりたくなり、イライラが前面に出る。もう分からないままでいい。そう突き離そうとした矢先に、フユキに思いがけない質問をされた。
「カリンには無いの? 嫌な思い出が」
返答に戸惑った。ある。ここへ引っ越しを決めるくらい、つらく怖い思い出が。
「引っ越す羽目になったストーカーのこと、話してよっ」
「関係ないでしょ!」
雪に打たれたい気持ちとはどういうものか。それを知ってもらわない限り、カリンには共感してもらえない。そう考えたフユキは、彼女を転校に追い込んだ出来事を利用できないかと考えた。まだ一部しか聞いていない、その出来事を。それは間違いなく、彼女にとって嫌な思い出だった。
カリンは話したところでフユキの感性の理解には繋がらないよう思えた。ただ隠すほどのものでもないとも思え、打ち明けた。
「一年前、元いた中学でバスケの大会に出たの。同級生と」
「それ私も出た! すぐ負けたけどね」
バスケットボールの部活動やクラブに所属していない一年生が、学校内でチームを組んで出場できる全国規模の大会。例えば中学生で一度出場したことがあっても高校で再度出場も可能。
フユキも出身地で去年出場したので身に覚えがあった。
「この島の予選を通過して、よそのチームとの試合に出て……」
「そこまで行ったの!? すごい!」
フユキはカリンが全国大会まで勝ち上がっていたことに注目していた。結局負けたうえに最後の試合が転校の元凶なので話を進めたいところだが、むしろここで疑問に思った。
「逆にあなたなぜすぐ負けたのよ。元から風使いなら、無敵でしょ」
当時カリンは"ノーツ"が未覚醒。炎で身体能力を上げることはできず、素の状態で戦っていた。しかしフユキは違う。彼女の街では誰もが風に乗る力を持っている。だから妨害されず飛んでシュートを撃てるわけで、負けようがなく思える。
「魔法使いには敵わなかったよ」
「そんなチーム知らないし」
負けた理由は単純に、もっと強い能力持ちとマッチングした。けれどもカリンは能力持ちのチームを見た覚えがなく、そのレベルのチームさえ敗れ去る魔境が島の外にあるのかと畏怖した。
「で、その試合の最後で……」
一点リードして試合は残り五秒。守りきれば勝ちの局面で、カリンは相手選手のマークについた。
すると相手がボールをパスしてきた。カリンは反射的にキャッチし、戸惑った隙にその相手にボールを取られた。そのまま抜かれ、シュートを決められ敗退。そこで彼女たちの挑戦は終わった。
「あれから私は悪夢に魘された。あのとき私が取られなければ……私のせいで負けたって言われる夢に」
「それで転校を……」
「いいえ。支配したのよ」
フユキはカリンの言ったことが分からなかった。てっきり逃げたのかと思ったが、そうなる前に彼女は牽制していた。
「私は荒れて、誰も文句を言わせないようにしたの。喧嘩は元から強かったし」
「怖っ……」
腕っぷしに自信があったカリンは、戦犯と嘲笑う人が出ないよう圧をかけた。暴力的になり、誰も文句を言えない存在になろうとした。
「でも、友達は私よりずっと強くて……蹴散らされた」
ついには元チームメイトにも手を出し、防衛的に反撃されカリンは負けた。そのとき彼女は察した。今後は周囲がその友達の味方につく。そうなると牽制にならない。力ずくで黙らせられなくなった。
そればかりか、その友達の顔を見るだけで恐怖するようになってしまった。
「その子から逃げたくて、おばあちゃん家に」
フユキはふと思った。カリンの言うストーカーの正体は、彼女を探していたその友達ではないのかと。
「でも、もう平気じゃない? カリンは学年一位だし」
「でもその子は"ノーツ"まだ目覚めてないだけで」
忌まわしい出来事から一年後、カリンは炎使いになった。評価は最高ランクのS、さらにその中でもトップ。もう怖がらなくていいとフユキは励まそうとしたが、友達は未覚醒ゆえに未知数で、彼女に不安が残っていた。
「でもそっかぁ……それでカリンはキャラが薄いんだ」
「どういう意味よ」
学年トップの炎使いのいう肩書きと、それを背負うカリンの放つオーラにフユキはギャップを感じる。その正体が分かった。
「目立たないようにしているんだよね?」
「まあ、それはそう……攻撃しなくなったし」
友達の方が強いという思い込みから、実力に自信を持てない。それが影の薄さに繋がっている。カリンも自覚はあった。転校以来、牽制はしていない。
「でもそんなカリンも素敵よ? 儚くて絵になる」
「嬉しくない寒い」
そこでフユキはカリンの頭から雪を降らせる。今なら彼女をかわいそうな少女らしく演出できる。だがカリンは気に入らなかった。
「きっと仲直りできるよ。その友達と」
「そうかしら……」
カリンは一度も謝れていない。タイミングを見失ってしまっている。そもそも前の中学校に行くことすら怖い。
「それとも孤独な自分が好き?」
「好きじゃない。あなたとは違うから」
かといって現状維持も嫌だ。感傷に浸りたいとは微塵も思わない。だが、言い過ぎたと反省した。
「……ごめん。今のは」
「ううん、大丈夫」
少し感情的になると攻撃的になってしまう。あの試合以降露呈した本性は改善しきれていない。
「私みたいになっちゃ駄目だよ」
「諦めないで! あなたもきっと会えるから!」
フユキは自分が手遅れと知っていて、その結果、姉と離ればなれになった現実を見て震えている。自分と同じ思いをしないようカリンに語りかけると、彼女は必死にフォローした。




