14話 うすらいゲイザー
「ただいまー。できる気がしない……」
武蔵浦春桜はとぼとぼと家に入る。北参道天羽は寛いでいた体を起こし、スカイダイビングの成果に耳を傾ける。
「せっかく曲聴いて気分上げても、風の音で聞こえなくなる」
「あー、風切り音ね」
サクラは今、天界にいる。地上へ戻っては駄目だと天界の主に告げられたが、妹に会いにいきたい。だから天使がやったように、飛んで勢いよく地面の雲を突き抜けたい。そんな勇気を出せる音楽を聴きながら挑戦しようとするも、体中に受ける風の音しか聞こえなくなり、怖くて途中で止めてしまう。
サクラは風を起こす力を持っているので、自力で空を飛べるし落下中にブレーキもかけられる。
「耳元の音なら聞こえると思ったけど……」
「ふーん」
アゲハはこの家の住人にして天界の住民だが、地上へ行ったことはない。だから挑戦するとどんな感覚なのかを知らないが、サクラの体験談を聞いて、想像とは違うのだろうと考えた。
「あれ? 無線使っているの見たことあるけど」
「あ、確かに…… でもそれ、パラシュート開いた後かも」
「あー」
隣で落下する人の声は風に遮られるとしても、イヤホンで耳元から発する音なら拾える。ただそれは落下のスピードが出ていないときの話。サクラがやりたいのはゆっくり着地するダイビングではない。むしろ逆に、猛スピードで地面に飛び込むものだから、パラシュートなんて装着しない。
「でもそれじゃあ、伝えられないじゃん。トラブル起きたらどうするの?」
「んー。ジェスチャー?」
声が届かないのなら、動きで伝えればいい。実際、ハンドサインで大丈夫だと、あるいは何が異常かアピールする手段が定着している。
ダイビングの非常事態にどうするか、という疑問は解決しても、サクラがどう成功させるかの答えは出ていない。勇気を出す曲を聞けないのなら、違う方法で勇気を出せるようにならないといけない。
「……そうだアゲハ」
「何?」
だが、今のハンドシグナルはヒントになった。そこでサクラは協力を求める。
「一緒に落ちながら踊ってよ」
「嫌だけど」
曲の代わりに演技で励ましてほしい。そんなあサクラの提案は、悩むまでもなく断られた。
「踊りは私が教えるから」
「私墜落するでしょ」
踊れるかどうかの問題ではない。サクラが雲の地面に飛び込むのを応援するということは、アゲハまで飛び込むか、貫けず激突する目に遭う。それが嫌なのだと冷静に返した。
「じゃあどうすれば……」
「てか今さらだけど」
アゲハがサクラにアドバイスできることはない。彼女にできないことは、自分にもできないから。けれども、自分にできないことで彼女にできることはある。
「自力で生き返った方がよっぽど不思議に見える。普通無理でしょ」
「え? うん……」
サクラはここの人たちとは違う。アゲハのように天界の生まれでもなければ、地上から昇ってきた魂でもない。かといって地上で生きたまま迷い込んだわけでもない。
池で溺れ死んで、数ヶ月後に生まれ変わり、生きていたときと同じように地上で暮らしていた。それから一年弱、妹と風に乗って空の散歩中に風が乱れて空に来た。
そんな経緯の中で、そもそも生まれ変わったこと自体、普通あり得ないとアゲハは思う。
「そのときのを思い出せば、ヒントになるんじゃない? 私知りたい」
だからどうすれば生き返ったのかを考えれば、今の挑戦に活かせる。アゲハはそう思う一方で、そもそものサクラの生態に興味があった。
「どこまで話したっけ」
「池に落ちたことと、妹がいること。私あんたのことそれしか知らないわ」
「そっか。確かに……」
サクラは天界に来てからの自分を振り返って、自分がこの世界のことを知ろうとしてばかりだったことに気づいた。逆に自分のことを周りに話していない。
「昨日も学校でアゲハの話ばかりしてたし」
「本人いないところで……」
「来なよ。学校」
アゲハ相手に限った話ではない。天界のクラスメイトにも、自分の話はほとんどしていない。アゲハと暮らしていること、授業のこと。サクラは自分らしい話をできていなかった。
「まあ私のことはどうでもいい。サクラのこと教えてよ」
「えっと、一年前に池の畔で……」
サクラは死んだ日のこと、それから生まれ変わるまでのこと、最後に天界へ来たきっかけを明かした。
「妹と一緒にお話考えてたの。これ私たちの趣味で、物語の改変や続きを妄想する遊びなんだけど」
「……木こりの泉みたいな?」
「ううん。鶴の恩返し」
アゲハはなぜ池で、という疑問が湧いた。だが真剣な雰囲気を察し、ツッコまず続きを聞く。
「方向性の違いで衝突して、二人で風をぶつけ合って……」
「負けて落ちたんだ」
「ううん。私が押しちゃったの」
アゲハはサクラが風を起こす能力を持っていると知っている。妹も同じ能力を持っていると仮定すれば、転落事故の経緯も読める。
だが風の勝負を制した方が落ちたことには疑問を抱いた。
「危ないと思って私は手を掴んで、振り回したの。こんな風に」
「きゃっ」
サクラは唐突に桜の風を吹かせ、アゲハを吹き飛ばした。体がふわっと浮いて流されると思った刹那、サクラに手を掴まれて体を引かれ、二人一緒にグルグルと回された。
そしてサクラは手を離す。掴んだときの二人の位置が入れ替わるタイミングで、結果、二人は後ろに飛んだ。
「こうして私は妹を助け、代わりに落ちてしまったの」
「そ、そう……」
サクラが飛んだ先が池だと思えば助かったのかもしれないが、ここは家の中。いきなりの出来事に心臓がバクバクしているアゲハは、助かった実感が湧かなかった。
「それからどうしたの?」
「妹が助けを呼びにいってる間に、私は沈んで……」
助けらなかった。その記憶はある。サクラが次に意識があったときには、もう池の中にいて出られなかったから、救助は間に合わなかったと考えられた。
「目が覚めたら池の精霊になったわ」
「ぶっ飛んだわね!? そこ気になるのよ」
色々と過程をすっ飛ばしたように見えるが、サクラの記憶上はその通りだ。誰かの声が聞こえたとか、池の中で謎の光を見たとか、そんな現象は何もなく。
「どうも私、探しても見つからなかったみたいで……多分、一回溶けて無くなったんだと思う」
「そういうものなの?」
死んだ後、サクラとして池から出た後に妹から聞いた話だ。助けを連れてきたときにはもう池に姿はなく、水中を捜索しても見つからないまま断念された。
「……空に昇ろうにも池を出られなかったのかな」
「浮かばれない話ね……」
そして肉体が消えて残った魂も、池から出られず天界へ行けなかった。だから生まれ変わったときに池の中にいたのだとサクラは思う。
いわゆる成仏できない地縛霊の類だとアゲハは解釈した。
「それから冬が来て、水面が凍って捜索は打ち切り。それでも妹は私を探し続けてくれて、私もそれに気づいていた」
「健気ね」
死んだ後に意識があっても、存在を認知してもらえなければただ死んだのと変わらない。妹が池に来ると中からも姿が見えるのでサクラは存在をアピールしたが、伝わらなかった。
「でも向こうから見えなかったみたい。水面を覗いても、自分の泣き顔が映るだけだって」
「心の痛む話だわ」
外から見た池の様子は、中の魚や反射した外の物が見えるだけ。サクラの姿は映らなかったらしい。だから妹はどんなに探しても、姉に会えなかった。
「薄氷ごしに見つめ合う姉妹。泣いていた妹に、姉は独り見つめることしかできず……」
「春が来たら出会えたってやつ?」
「そう!」
そこまで聞くと悲しい話だが、サクラが目の前にいるということは池を出られたわけで、妹と一緒だったとも聞いているから再会も果たしている。何か奇跡が起こったのはアゲハにも読めた。
「氷が解けて、桜の花びらが水面に浮かんで……そこから私は変わった。外に出られたの」
「桜が力を与えたのかしら」
池を覆う氷が解けた。桜が咲いた。これらの現象が、池の中のサクラを解放する引き金。そうと考えると彼女の容姿や特殊能力に合点がいく。
「そして髪もピンクに」
元は妹と同じ水色だったが、外へ出たときにはすでに桜色に染まっていた。それだけで死ぬ前とは別人のようになった。
アゲハは今の話に納得しつつも違和感を覚えた。一年も前とはいえ衝撃的な出来事のはずなのに、思い出しながら憶測で語るサクラは、まるで今まで誰にも説明したことがないように見える。
「その話、妹に言ってないでしょ」
「え、何で分かった!?」
「初めて話した感が凄いから」
図星だった。サクラは今まで自分の経緯や正体を偽っていた。
「……あたり。池に現れた妖精ってことにしてるの」
「じゃあ、向こうはあんたの正体を」
「知らないまま。別人と思ってるよ」
実の姉は死んだ。赤の他人が姉代わりになった。妹はそう思っている。そう思うように仕向けたのは、正体を偽ることにしたサクラだ。
「なんでわざわざ……」
「今度は仲良くしたいから」
正体を明かせば、喧嘩して妹を池に落とそうとした姉だとバレてしまう。だから別人として振る舞い、素性も隠し、二度と喧嘩しないようにする。元の自分ではできなかった、仲良し姉妹を実現させたかったのだ。
「結局喧嘩してこんな所に来ちゃったんだよ……」
だがその宣言は一年保たなかった。また姉妹で風をぶつけ合い、離ればなれになってしまった。それも前回と違って池の中と地上という近い距離ではない。水面ごしに姿が見えた以前の方がよっぽど近い。
「せっかく姿変えられたのに、中身は変えられなかったのよ。だからボロが出て、同じ過ちを……」
「確かに変われなかったんだろうけど」
見た目が変わって別人のように振る舞えても、中身は元のまま。気を抜くと本性が露呈する。後悔しても今さらどうしようもないと項垂れる。
アゲハはそんなサクラが駄目だとは思わない。カッとなって相手を吹き飛ばすのは悪いけれども、それは本人も反省しているからあれこれ言う必要はない。
「必死に探してくれたんでしょ。妹はあんたのこと大好きなはず」
「アゲハ……」
その結果サクラが池に姿を眩ませても、妹は必死で探し、最後まで諦めなかった。それだけ大切に思っているのだから、別人になろうとしなくていいにちがいない。
面倒くさがりなのにこんなに考えてくれて、アゲハのことを見直した。
そしてその言葉にサクラの心は揺らいだ。妹に正体を隠していたこと。もう会えなくてもいいと思ったこと。すべて駄目だと見つめ直し、もう一度会って話したいと願った。
「帰らないと。ありがとうアゲハ」
空高く飛んで勢いよく雲の地面に飛び込めば突き抜けて地上に戻れる。そうと分かっていて、怖がっている場合ではない。本気で会いたいのなら、失敗を恐れてはいけない。
「学校行ってる場合じゃないわ」
「行くのよ?」
気持ち的には学校より妹が優先だが、かといって授業を欠席していい理由にはならないと、アゲハを咎める。ましてはサクラは地上へ行ってはいけないとまで言われているのだ。
「いい? 私を帰らせるために休みますなんて絶対言っては駄目よ?」
「言わない言わない」
この計画が広まったら、罰を受けたり監視されたりする可能性が考えられる。学校をサボる言い訳に使うのは厳禁だと詰め寄った。
だがアゲハにそのつもりはない。
「言い訳なしで休めるし私」
「それはどうなの? それより」
休みの言い訳など考えるまでもない。常習犯だから、休みイコール行く気がないで通じる。
サクラは当初更生させたかったが、休日がない天界の過酷さを知って、土日くらい欠席していいと意思が揺らぎつつある。
それはさておき、アゲハが話を聞きたがった理由にサクラは疑惑を抱いた。協力するつもりではないのではと。
「休む口実が欲しくて話聞いたの?」
サクラはアゲハが親身になって意見してくれて嬉しかったが、それもはサボった日の暇つぶしになるネタ探しのためかと思うと、残念な気持ちになった。
「……違うわ。サクラは良い人だから」
「良い人?」
サクラは今さっき妹との関係のことで自己嫌悪に陥ったばかりだから、実感が湧かない。だがアゲハにとっては違う。
「こんな不真面目な私を見限らないでくれて……だから報われてほしい」
「アゲハ……ふふっ、ありがとっ」
アゲハは自分の駄目な面ばかり見せているが、サクラは受け入れて対等に接してくれる。彼女と会ってから一週間以上経つが、充実した毎日だった。
けれどもサクラの日常はここではない。本当の日常へ戻ってほしいから、何かできることはないかと話を聞いたのだ。
サクラは率直に嬉しく思った。天界の生活は大変だが、アゲハと過ごす日々は楽しい。だが一つ懸念点なのは、もし地上へ帰ることができたら、彼女とはお別れになることだ。
「私も帰りたいけど、アゲハといるのは楽しいよ。だから私からも、ありがとう」
アゲハと出会えなかったら、もっと不安やストレスを抱えていたかもしれない。そう思うサクラは、自分からもお礼を言った。
「というわけでこれからアゲハは私のいもね」
「なんでよ」
良い話に終わろうとしたのに、唐突な宣告にアゲハは困惑する。
「姉という自覚を忘れないためよ」
「正論っぽくてムカつくんだけど」
天界の生活に妹はいない。そこで過ごすうちに存在が薄れてしまわないために日頃から意識する。赤の他人を巻き込むこと以外は理に適っているせいで、サクラが正しいことを言っているように感じられるのが癪だった。
「前みたいに呼んで」
「やぁ来ないで」
アゲハは食堂で妹らしく演じたことをネタにうざ絡みされ逃げ回った。




