6.虎の尾・竜の逆鱗―――アンタッチャブル
女は王の座る玉座に肩ひじをついて、油の滴る肉をそのやけに発達した歯で食らいついている。
跳ねた油に国王が「熱っ、熱っ! あっ、顔に!」と被害を訴えるが無視されていた。
派手な紅い軍服に、金色のマント。
彼女こそ、この国の実質的支配者。
ドラゴンのジュエル。
その魔法は人知を超え、姿は若い人間の女にしか見えない。
「何か、隠しているのかイリリオ公?」
「えぇ? そうなのか、イリリオ公?」
国王はきょとんとした顔で問う。
「滅相もございません。その魔物ですが、外見上の特徴ではオークに該当すると」
「は! オーク!! あの食うか暴れるかしか能の無い、愚鈍で、下劣で、汚らわしいオークか!!?」
王城に女の笑い声が響いた。
嫌な笑い声だ。かみ合っていた歯車が軋んで崩れた音のようだ。
「オーク……いや、イリリオ公、オークは良くないだろう!? 格好悪いぞ?」
「い、いえ、ですが陛下」
「『ラブロンの荒神』とか言ったか。市井にはすでに噂が流れているぞ。だがな~。聖堂はオークを祀らうのかと無用な混乱も起きているらしい。聖女の推挙は独断で、聖堂の総意ではないのではないか?」
その場にいた聖堂師長は大きくうなずいた。
「しかし、エルダーオーガを倒したのは事実」
イリリオは立ち上がって声を荒げた。
「ドドがいなければカースタッグは滅ぼされていたでしょう」
「そうか。確かにすごいじゃない。オークにしてはだけど……あら? それって歓迎すべきことなのかしら?」
わざとらしく、幼い令嬢のような声を出す女。
「その異質な強さは王国にとって脅威でもあるだろう」
「ドドは王国に仇を成す敵ではありません」
「正確に言えよイリリオ。それは今の時点ではわからないんだ。それを勇者の指南役? 調子に乗るなよ。エルダーオーガを討伐した程度で、不安要素を抱え込むわけがないだろ」
イリリオは言えない。
ドドの血が『霊薬』の源になっていることを。
彼にはドドの善性に確信がある。しかし、それを説明できない。
頭を巡らし、何とか具申をつなぐ。リスクを負って。
「ドドは、先の勇者召喚の折、ハラスの魔力によって姿を変えられた、勇者の可能性がございます」
イリリオは何も知らない。ただ聖女が庇っていること、ハラスの魔力は人を変えてしまうという情報から推察した。
イリリオの言葉に、周囲から失笑が漏れる。
それをジュエルが制す。
「確かに、人がハラスの魔力で変わることはある。聖女の執着もそれなら筋が通る」
「はい」
「だがそれはあり得ぬよ」
「な、なぜですか!」
「仮に、その者が元は人間だったとして、召喚から現時点までの約半年。オークの身体でまともに動けると思うか?」
イリリオは顔面蒼白になった。
「元がどんな人間だったにせよ、それでエルダーオーガを倒せたとすれば、人間ではない。化け物だ」
人間とオークでは全く体格が異なる。
イリリオは不格好な鎧に押し込められた自分を想像した。
城で会ったドドはとてもオーク歴半年には見えなかった。
「へ、陛下、ご再考下さい。あの者の戦い方は魔力を必要としません。兵士一人一人の力と生存率を底上げできるはずです!!」
「くだらないね。魔力を使わない力などたかが知れている。リスクを負ってまで受け入れる理由にはならない。そうだろう、勇者指南役殿?」
呼ばれて前に一歩出たのは、元勇者にして現リドリア王国勇者指南役、アキラ。
「恐れながら、イリリオ公のご提案は、私の職域への不当な干渉とお見受けする。それとも、私は頼りないですかな、総帥閣下?」
ドドの指南役の件は通らなかった。
王の相談役に収まる女、ジュエルの正論に阻まれて。そして滔々と語ったアキラ本人がイリリオにそれ以上の議論を許さなかった。
◇
ドドの指南役の話を邪魔した張本人を前に、ブリジットは怒りをあらわにした。
「ドドはマリア師匠の剣を受け継いだ男だぞ!!」
「おっとそうだった。その剣、マリアの剣じゃなく、勇者が受け継いできた国の財産なんだ。返してくれ」
「貴様!!」
ドドは腰のベルトを解いた。
彼女の笑顔が思い浮かぶ。
(別にいいよな。おれは勇者じゃないんだから)
「ドド?」
「次の勇者へ渡せ」
「意外だな。簡単に手放すとは」
「大事なのは物ではない」
「ふふ。せいぜい辺境の治安に貢献していてくれ」
アキラはコスモスを受け取り、刺客たちを連れて森の出口へと向かった。
『人事を尽くして天命を待つ』
勇者の歩みが止まった。
「日本語だと?」
アキラの脳裏にイリリオの荒唐無稽な憶測がよぎる。
『ドドは、先の勇者召喚の折、ハラスの魔力によって姿を変えられた、勇者の可能性がございます』
ドドがあえて日本語を話したのはイリリオの立場を慮ってのこと。
自身が日本人であると暗に示すことで、イリリオの失った立場を回復させる狙いだ。
だが、アキラは全く別の問題を危惧をした。
「はぁ……それだと話が変わるんだよな」
「何がだ?」
(マリア、そうか……こんな辺境の調査依頼など受けたのはこれが理由か。どうりで対魔用の聖法術が効かないわけだ)
「お前たち、『断罪の檻』だ」
「「「「っ!!?」」」」
四人の刺客はアキラのその言葉に反射的に従った。
対人結界『断罪の檻』
これは魔力や魔石ではなく人の脳に作用し、ある種の幻痛を引き起こす。罪人に向けて使う聖法術だ。
ドドはハラスの魔力を浴びた結果、オークへと肉体が変化したが、元となったのは人間。体内に魔石も無い。よって魔物用の『結界』や『浄化』の聖法術は効かない。
効くのは対人用の聖法術である。アキラはそれに気が付いた。
四重の結界が再びドドを囲む。
だが、ドドは飛びのいて囲まれるのを躱した。
「今度は避けた!?」
「くっ、魔力がもう」
「アキラ様、いかがいたしますか?」
刺客たちは魔力がもう無い。
「ちっ、役に立たない刺客共だな」
アキラは魔力が尽きた刺客に魔力を込めた拳を叩き込む。
「何を!」
すぐ横にいた『智天』から『熾天』、『力天』と顔を潰され、腹を割かれ、首を折られた。
ドドが止めに入る隙は無く、最後の『聖天』は背後から頭蓋を割られた。
唖然とするブリジット。
「勇者、貴様……! どういうつもりだ!?」
「さてね」
「―――おれの仕業にする気だな。オークが、召喚された日本人だと不都合なのか?」
「問題はそこじゃない。オークにされたお前が、ハラスの魔力の産物じゃ、良くないんだよ」
そう言いながら、アキラは懐から武器を取り出した。
「ハラスとはつかず離れず、適度な距離感が望ましい。お前という存在は現代の均衡を崩す恐れがある」
アキラの懸念は的を射ている。
この先に起きることを予期しての行動であった。
ハラスの力への嫌悪、憎悪、忌避。
それらが期待、希望や福音に挿げ代わる。希望的観測で、安易に研究を始めるものが現れる。
無為無策でハラスへと接近する者が出てくる。
「魔物の再生能力、怪力、それだけでも欲しがる連中は五万といるだろう。お前という成功例はあってはならない」
「だからと言って、四人を殺す理由になるか?」
「なるね。日本語を聞いてしまった彼らはいずれお前が先の召喚者であることに気付いただろう。噂の元は根元から絶たないとね」
「そうか。わかった」
ドドはアキラの話を理解した。
「じゃあ、物分かりのいい御同輩君。名前も知らないが、この世界の平和のために死んでくれ」
アキラは武器を構えた。
ブリジットがドドの前に出るが、ドドが肩を掴みどけた。
何か言うつもりだった彼女はその口を閉じた。
ドドから、冷たい気配を感じた。それはリオンを捕らえた時以来二度目。
ブリジットは退いた。
「腕の一本ぐらいは覚悟しろ」
「凄むなよ。これの怖さは知ってるだろ?」
アキラは照準を合わせ、引き金を引いた。
発砲音と共に、魔力を込めた弾丸が射出された。




