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淡雪  作者: お米さん
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残雪

東京ではめずらしく大雪が降っていた。


高校を卒業した俺は東京の大学へと進学し、スポーツ関連の商材を扱っている会社に入社し営業として働いている。元々は大学へ進学する予定ではなく地元のサッカーの実業団へと入ることが決まっていたが、3年にあがる頃スランプに陥り、どうしてもそこから抜け出せなかった。結局実業団の話はなくなり、進学に至ったのだ。幼い頃からずっと続けていたサッカー。中途半端な結果になってしまったというのに俺は落ち込むこともなくその事実を他人事のように感じていた。そんな自分に嫌気が刺す。あの日から何をしてもなにかが足りない気がしている。ただ毎日をこなしていく日々。それは今も変わらない。


華々しい金曜の夜だというのに東京では大雪で交通がひどく乱れていた。

せっかく定時で帰れたというのに最悪なことに電車もバスも動いていない。

雪予報ではあったがこんなに積もるとは…

駅は電車を待つ人でごったがえしていた。

ここから歩いて帰るのは厳しいと思いタクシー乗り場まで行ったが自分と同じような考えの人が多かったようだ。長い列が出来ていた。それでもまた駅に戻るよりかはマシだろう…そう思い俺はタクシーの列に並ぶことにした。


何分、何十分並んだろうか。

列は一向に進む気配がなかった。

寒さがしみる。体の芯から冷え切っていくようだった。東京の雪は水分を含んでいて湿っぽい。重たく感じる。たんたんと降り続ける雪を見ているとどうしても高校の頃を思い出してしまう。

半年間だけ一緒だったクラスメイト。

秋くん、秋くん、と柔らかく呼ぶ声。

でも、その声は突然聞こえなくなってしまった。あの日、教室から眺めたあの雪を思い出す…


寒さからなのか、あの時の記憶からなのか体がどんどんと冷えていくのを感じた。

昔の記憶に耽っていると、ようやくタクシーが目の前にきた。

やっと乗れる。

ドアが開くと「お兄さん、ラッキーだったな、今日はもうこのあとほとんど来ないと思うよ。後ろの方で渋滞と事故が重なったみたいでな…」とタクシーの運転手が話かけてきた。

その話を聞いていたのか、後ろに並んでいた男性の声が聞こえた。

「うそだろ…参ったな…どうしよう。明日朝一で戻らないとなのに……あぁっ!」

後ろの男性がなにやら手に持っていた荷物を落としてしまったようだ。

「あぁ…すみません…」

俺は落ちた荷物を拾うのを手伝った。

なにか急ぎの用があるのだろうか…なんだかこの男性が気の毒に思ってしまった。

「あの、もし良かったら相乗りしていきますか?」書類を拾いあげ、手渡そうとその男性を見た。彼は大きなスーツケースの前でしゃがみこんでいた。

「いやいや、そんな悪いです。お気持ちだけで…」

書類をあたふたと仕舞いながら立ち上がった男性と目があった。


「秋くんのことがずっと好きだったんだ…」


あの日、まっすぐ俺の目を見て告げてきた、あの目だった。

「秋くん…?」

あの突然消えてしまった声がはっきりと、いま、聞こえた。

「お兄さん、どうすんの?早くしないとここらも渋滞が長引くよ!」

「あ、すみません!乗ります!2人で!」

「いや…あの…僕はいいから…」

とっさに雪はその場を離れようとした。

だけど俺はしっかりと雪の手をつかんでそのまま半ば強引に乗り込んだ。

今度こそもう絶対に離したくない。



「そっちの綺麗なお兄さん、良かったなぁ!親切な人が前にいて!」

「はは…そうですね…」

微妙な相槌をうちながら雪は運転手に答えていた。陽気そうな運転手に反して車内は静かだった。


偶然、こんなことが起きるのだろうか。

東京に帰ってしまった雪。

連絡先もわからず、もう二度と会えないと思っていた。

だけど、いま隣に雪がいる。


俺は静まりかえる車内で横に座っている雪の横顔を見た。あのときと比べるとずいぶん大人びた。背も少し高くなっている。幼さがなくなったかわりにすっとした空気を身にまとい、まさに綺麗という表現がぴったりな顔立ちだった。そして、あの肌の白さだけがなにひとつ変わっていなかった。教室でいつもいつも見つめていた雪だった。


じろじろと見過ぎたのだろうか、少し居心地が悪そうにしていた雪が口をひらいた。

「秋くん…その……」

「え?」

隣にいるのに聞き取りにくいほど小さな声だった。

「その………が…」

「え?悪い、ちょっと聞こえにくくて」

「だから!手!」

「え?…あ…」

無意識だったのだろうか、乗り込むときに握っていた雪の手を握ったままだった。

わるい、すぐ離す、といいかけて俺は言葉を飲み込んでしまった。

雪の白い肌が薄っすらと赤く染まっていたのだ。

あの時の記憶が甦る……

恥ずかしそうに淡く染める顔を見て、ドクっとなにかが蠢いた。今ならわかる。あの頃、こういった雪の姿をみるたびにざわついていたもの、今ならはっきりと分かるのだ。


「秋くん…手、そろそろ離してほしい….」

運転手に聞こえないように小声だったらしい。

乗ったときからずっと手を気にしていたのだろうか?だったらこんな手、すぐにふりほどけるんじゃないか?こんな、まどろっこしい言い方をしなくたって……

なんだか急に意地の悪い気持ちが芽生えてきた。もし俺が気づかなければそのままでいたのだろうか?

離してほしい、という雪に

「だめ?」と答えにならない質問をした。

「え…?」

「もう少し、このままじゃダメかな」

「え?え…?なっなに言って……」

予想外の言葉だったのかひどく狼狽えている。そんな雪を見てますます意地の悪い気持ちが膨らんできた。

「じゃあ、やだ?」

「え?」

「手、俺につながれてるのやだ?嫌?気持ち悪い?」

「いや…そんな気持ちわるいとか嫌とかじゃなくて…」

「じゃあ、いい?……いいよね?」

握っていた手に少しだけ力をこめた。

雪の手がビクッと震えた。

俺はもう一度少し力をこめて、繋ぎながら雪の手のひらを親指でそっと撫でた。ふいに雪の手から力が抜けた。

「もういい、好きにすれば…」といってそっぽを向いてしまった。

それから雪は一切こっちを見向きもせず、口も開かない。俺は何度か雪の手のひらを撫で少しずつ指を絡めた。雪はその度に手を震わせ、次第に手の内が汗ばんでいった。雪がなにか反応する度に俺の体の中に熱が蓄積されていくようだった。


どれぐらいこうしていただろうか。

しばらくすると、雪が運転手に声をかけた。

「すみません、この先の渋谷あたりでおろしてください。」

どうやら雪のほうが家が近かったらしい。

「そこの曲がり角で、はい、大丈夫です、そこで。」

目的地へと着くと、雪はやんわりと俺の手を抑え、手を抜け出してしまった。

「秋くん、親切にありがとう。僕はここで…」と言って足早に降りはじめようとした。


は?ここで?久しぶりの再会で?

俺たちはまたここでさよならってか?

雪は俺になにか言いたいことはないのか?

俺からなにか聞きたいことはないのか?

なぜだか急に怒りが湧いてきた…

俺はあの後もずっとずっと忘れずに…雪を…


この機会を絶対に逃してはいけない。

本気でそう思った俺は自分でもびっくりするほど幼稚な手をつかった。

「うっ…気持ち悪い……」

「え?!気持ち悪い?大丈夫?」

「なんか……急に気持ち悪くなって…やばい…吐きそうかも…」

「え…どうしよう…大丈夫?酔ったのかな…寒かったからかな…秋くん、大丈夫?」

こんな下手な芝居に雪は本気で心配そうにしていた。

「おい、兄さん、大丈夫か?まだ家先なんだろ?このまま乗っていけるか?」

「うっ…すみません…無理かもしれないんでここで下ろしてください。しばらくたったら歩いていくか、またタクシー拾うんで。」

「タクシー拾うって、こんな中じゃもう無理だろ…」

「すみません、ちょっと休めばたぶん大丈夫なんで……」

運転手とのやりとりを聞いてたまりかけたのか「秋くん、ちょっとうちで休んでく?僕の家、少し歩いたところだから…」と言った。

その言葉を待っていたなんて気持ちを微塵もださずに俺はさも申し訳なさそうな声で

「悪いな…お願いしてもいいか…」と言った。

「うん、大丈夫だから。それより秋くん早くあったまったほうがいいよ。ね?いこ?」


こんなことまでしてすがりつこうとしている自分が惨めに思えた。それでもどんなに惨めで情けなくともあのときの痛みに比べたらなんてことのないことだと思えた。


雪の自宅へと着くと、リビングに通された。

「散らかってて悪いけど、そこ座って?

いま何か温かいもの用意するね。」

とキッチンへと向かっていった。

雪の部屋は一人暮らしのようで、余計なものはなく、シンプルなつくりだった。ただ奥にあるデスクには大量の書類や本が散らばっていた。

「秋くん、紅茶でいいかな?」

「うん…」

俺は曖昧に返事しながら声がするほうへと近づいた。雪は棚上にあるマグカップを取ろうと手を伸ばしていた。その後ろに近づき手に持っているカップごと雪の手を握りしめた。雪は一瞬びっくりしたようだったが

「秋くん、紅茶いれられないから」とまるで何事もないかのように言ってきた。それにまた俺は「うん…」と答えて雪の手からマグカップを取り、そっと後ろから抱きしめた。

大人びたとはいえ線の細さは変わらずで、俺の体で包み込めてしまいそうだった。

俺はあのとき呼べずにいた雪の名前をそっと口にした。

「雪…」

雪、と名前を呼べばなにかが、全てがあふれて止まらなくなってしまうと思った。俺はそれが怖かった。あの頃、怖くて一度も雪と呼べなかったのだ。

でも、いま雪と口にした瞬間、欠けていたと思っていたものが埋まったような気がした。もうなにも怖がることはないのだと思った。

雪のことが好きだった。いまでも好きだ。好きで好きでどうしようもない。どうしてあのとき、俺も好きだった、と伝えられなかったのか。何度も後悔した。

「雪…会いたかった…ずっとずっと会いたかったんだ…」

そう言ってきつく抱きしめた。

雪はだきとめている俺の腕へと手を伸ばしシャツをぎゅっと握りしめる。そして俺の手に自分の手を重ねてきた。

少し腕を緩めると雪がゆっくりとこちらに体を向け、向かいあうようなかたちになった。

「具合は…?」

目に涙を浮かべながら少し不機嫌そうに俺を見た。初めてみる雪の表情に、じわじわと愛おしさが込みあげる。

「うん…ごめんな…」

またうつむこうとしていた雪の頬に手を添え、そっと顔をあげさせた。だんだんと視線が交わる。

涙でにじんだ瞳にうっすらと透明の涙の膜がはっていた。まるで雪解け水のように透き通った涙に自分が映っていた。にじんだ涙をそっと拭い、その雫が指に落ちる。その雫は小指へとつたわるように流れた。

「秋くん…」

「雪…」

どちらかともなく顔が近づくと、そっと唇が触れた。寒さで雪の唇は少しカサついていた。そっと指で唇をたどって少し口をあけさせ、再び唇を重ねた。何度も何度もくちづけを交わした。角度をかえ深いキスへとかわる。唇がお互いの唾液で柔らかく温かくなっていく。あまり慣れていないのか、キスの合間に、苦しそうに呼吸をする雪がたまらなく可愛かった。ときどき、秋くん…と小さく名前を呼ばれるたびに満たされていくようだった。

キスを交わしながら肌触りの良いニットの隙間から手をさしこんだ。

「待って、」

「ごめん、嫌だった…?」

とっさに俺は手を戻した。

「ううん、嫌じゃない………」

そう言って戻しかけた俺の手をひきよせて

「…ベッドがいい」と小さな声で答えた。


男との経験は何度かあった。これまで何人か恋人もいた。それでもなにかが違うと思ってしまい、結局は相手から振られてばかりだった。雪の面影を探してゆきずりの相手と寝たこともあった。だけど、それなりに快楽は得られても行為が終わればひどく虚さだけが残った。また埋まるはずもない隙間の穴が開いていくばかりだった。


ベッドで向かいあい、互いの服を脱がせる。

真っ暗な闇の中に、雪の肌が白く浮かびあがっていた。

ずっとその肌に触れたかった。

そっと触れると「あっ…」と小さく声をあげ、雪の甘い声が響いた。ゆっくり、ゆっくり、雪の存在を確かめるように触れた。自分が触れたところから、少しずつその白さがとけていくようだった。頬や腕、ひざ、雪の体が次第に淡く赤らんで色付いていく。白さと混じり合っていくその境目、染まっていく色をなぞる。あの頃、あの寒空の中、となりを歩いていた雪の記憶をたどるように。

 雪、雪、雪、

俺は何度も雪の名前を呼びながら夢中で抱いた。



目が覚めると、横には幼さが残るあどけない寝顔があった。目元がうっすらと赤くなっていた。そこに触れるとくすぐったそうに雪が目覚めた。

俺の顔を見るとやわらかく笑って「秋くん、おはよう」と言った。

その瞬間、俺の目から涙が流れた。

「秋くん…?」

再び雪をきつく抱きしめて嬉しさなのか安堵からなのか、なんの涙かわからずそれでも次から次へと涙が流れた。長年積もっていたものが一気に雪崩れたかのように俺は雪の肩口で声を殺して泣いた。

雪は俺の背中へと手をまわし、優しく背をさすってくれた。

「秋くん、ごめんね」

「ごめんね、秋くん、ごめんね」

何度もそういいながら俺が泣き止むまで背中をさすって、何度も俺の名前を呼んでくれた。



窓の外では長く長く降り続けていた雪が、ようやく止んでいた。



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