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婚約者が鋼のハート過ぎてツラい……

作者: 櫻井入文

 目を通して頂き、有難うございます。

 

「私、第一王子であるニイ・カールスベア・カールスベルゲンシスはピルス公爵令嬢ステラ・アルトワとの婚約を破棄し、オタハイト子爵令嬢ヒナノ・タヒティと婚約し直す事を宣言する!」


 突然響き渡った声に、ホールにいた人間の意識が一斉にそちらへと向いた。

 ゲストである貴族は勿論、給仕をする者、音楽を奏でる者、会場を警備する者。会場にいた汎ゆる参加者の意識がそちらへと向いてしまっている。


 事の中心は、三人の男女とその取り巻きの三人の男性であった。


「婚約破棄……ですか」


 肩を寄せ合う男女を前にした女性が確認するように言葉を口にする。


「そうだ!」


 彼女を睨みつける男性が声を上げた。


「解消の間違いでは?」

「解消ではない。破棄だ!」


 憂慮した彼女がやんわりと助け船を出すが、声を荒げる男性は聞く耳を持たない。


 とんでもない茶番が始まった。


 その場に居合わせたほぼ全員が思ったことだろう。


 そして、


「な、……な、……なんですって?!」


 話題の中心を見ながら、私の手も震えてしまっていた。


 主要登場人物は、三人。


 一人目は、ニイ・カールスベア・カールスベルゲンシス。

 若草色の髪に赤い瞳。この国の麗しの第一王子である彼の瞳の中には、王族の証たる王冠のような模様が浮かぶ。その神秘的な見た目に反して頭はスッカラカンだったようだ。


 二人目は、彼が隣に侍らせ、肩を抱いているヒナノ・タヒティ。

 オタハイト子爵家のご令嬢である。夕日の沈みかけた海のような髪色。長い睫毛に彩られた深い海色の瞳。微睡む情熱が具現化したかのようなうっとりとする美貌の持ち主であるが、本人の素行は小さなお嬢さんと揶揄されるほどに無邪気で溌剌とした可愛らしい人であった。こうなる前までは。

 今となっては、とんだ世間知らずのポンコツ女子である。


 そして、三人目。


 ステラ・アルトワ。ピルス公爵家のご令嬢であり、我が国と違い女性でも家督相続が認められている隣国インベブ王国の王位継承権をも保つカンペキ女子である。

 こんな状況になっていても顔色一つ変えない孤高の美少女。

 オリーブ色の髪に気品ある赤い瞳。赤い瞳を縁取るように虹彩が金色なのだが、この金色の虹彩がインベブ王家の血脈の証なのだとか。なんなん、アニメーター泣かせのその設定。

 って、それは置いておいて。


 私にとっての問題は。


 あたスカ王子の後ろに控えるスットコドッコイ。

 完全な泥船に乗船してしまった愚か者達。其の壱、其の弐、其の参である。


 何も聞いていなかったのか、何を言い出すのだと口をぽっかり開けたまま固まっているのは、ミゲール・ライト。

 透けるような金色の髪に、青みがかった銀色の瞳が美しい線の細い美男子だ。六人いる枢密院卿の一席を代々担う家柄に生まれた彼は、頭脳明晰で容姿端麗と家名に恥じない人格者でもあったが、頭が良すぎる為か少しばかり心の機微に疎いところがあった。

 そこを突かれ、同年代である王子の世話役を押し付けられた感が否めない。責任感が強すぎたことも災いして完全に逃げ遅れた被害者一号であろう。


 そして被害者其の弐。


 ギネス・ディアジオ。


 黒髪に吊り目がちな琥珀色の瞳。スッっと通った鼻梁に形のいい額。ワイルド系イケメンここにあり。といった風体の美丈夫である。ひとつ間違えば脳筋。二つ間違えば、筋肉はすべてを解決する。と、言い出しかねないポジションに位置する彼だが、見た目に反して趣味はパッチワークキルトである。先日も大型の作品を仕上げ、止ん事無き身分のご婦人たちに絶賛されていた。

 心優しき彼は、あたスカ王子を見捨てきれずついつい世話を焼いて巻き込まれたのだろう。


 そして私、コナ・ブリューイングにとっての最大にして最悪の問題。


「あんのバカ、何やっているのよ」


 泥船同乗三人目、デュベル・ビクトリーエール。モルトガット国出身でカールスベルゲンシス国に遊学中の花も恥らう十八歳。


 私の婚約者様よ!


 淡い金色の髪に赤い瞳。止事無きをまさに具現化しましたみたいなおっとりとした喋り方と動きに、慣れないうちは行動を共にすることも会話を成り立たせるのも一苦労なお人。男性にしては小柄で肉付きの悪い痩躯は守ってあげたいなんて錯覚を覚えさせるほど乙女心を刺激するわ。いつも柔和な笑顔を絶やさないところも好感度ポイントよ。

 けれどね、婚約者たる私は知っているの。


 アイツは何も考えちゃいねぇって!


 時が止まったように居並ぶ人々の隙間を令嬢にあるまじき速度で掻い潜り、小走りでコナは王子たちの背後へと回り込む。


 何だかよくわからないけど、ダンスエリアの端っこで始めてくれて助かったわ。ぐるりと回って王子たちの背後のテーブルエリアから近づけるもの。


 途中からテーブルという障害物の影に隠れるようにアヒル歩きで移動していく。パニエで膨らませたスカート部分に埋もれ高速移動していく姿は、新手のスライムか何かに見える。

 しかし、足の指先の踏ん張る力や腹筋が必要となるこの歩き方を、コナが履いているのは低いヒールとはいえ踵が有る靴を履き、嵩張るパニエを引き摺って行っているのだからモンスター扱いされてもあながち間違っていないのかもだが。


 コナが婚約者であるデュベルが立っている位置に一番近いテーブルに辿り着く。

 ニイやヒナノの後ろに立つデュベルに近付くコナの姿はステラの位置からは丸見えだったのだが、表情一つ変えない彼女は流石である。


「アンタがついていながら、なんでこんなことになっているの!」


 コナはテーブルの影に隠れ、更にデコレートされたテーブルクロスも引っ張ってその姿を隠していたが、生憎、彼女の涼やかな声は麗しくとても良く通った。


 本人、気がついていないが。

 彼女の婚約者も気づいていないが。


「だって、勝手に始めちゃったんだ〜」

「勝手に始めたじゃないわよ。そうならないように貴方がついていたんでしょ?!」

「ひーん」

「ひーん、じゃない!」


 泣きたいのはコッチよ!


 どうするのよ、この茶番劇。


 よりにもよって星奏祭でのこの振る舞い。本人達は、より多くの人の目の前でやって自分たちの関係性を誇示したかったのかもしれないけれど、社交シーズンの幕開けを告げる大舞踏会。主だった貴族や商会の会頭が集まる星奏祭で、事を起こすなんて悪手以外の何物でもないわ。


「兎に角、あのバカ女に何か服を着せなさい」

「ええ〜? もうドレスを着ているよぉ〜?」


 コナがバカ女と称したのは、ニイ・カールスベアの腕にくっついているマーメイドラインドレスを着たヒナノ・タヒティのことである。


「あんなの着ていないも同然でしょ、見てみなさいよ」


 コナの言い分にデュベルの視線が王子とその横のヒナノへと向く。

 勿論、コナの声が届く範囲の者達も同様にヒナノへと視線が向いた。

 女性らしい曲線を魅せるマーメイドラインは、上半身からウエストまでが体にピッタリとフィットし、裾へ向けてなだらかな広がりを見せる流れるようなメリハリを強調した大人っぽい雰囲気になれるデザインだ。

 バストとヒップのボリューム、引き締められたウエスト。魅惑的なボディラインで見るものを魅了する。

 王子から贈られたのであろうショルダーネックレスも、ヒナノの肌を美しく飾っていた。


「未婚女性はあんなに肩出しちゃイケナイの、出していいデコルテは鎖骨の下まで!」


 コナの説明に頷く観衆が幾人か。


「大きく肩を開くなら首を隠す! 出していい面積の問題よ。貴族なら尚更、平民でも未婚と既婚では晒していい肌常識の範疇というものがあるわ」


 更に頷く人々。


「乳の割れ目まで出てるでしょ。あそこまで盛り盛り晒したデザインのドレスを着るのは、それが誇りであるココット嬢かココット嬢に憧れる未婚の常識知らずってなるの。既婚者は出してもいいわ。子供を産み育てた誇りって解釈があるもの。でも彼女は未婚の生娘って設定でしょ。どこのバカよ、バカに馬鹿なドレス着せたバカは!」


 コナの口から飛び出したココット嬢という単語に、人々の口からため息のような声が漏れ、ざわめきが広がる。ココット嬢とは高級娼婦の別称である。彼女らは、男性しか参加を許されないサロン社会に出入りすることが許された女性たちであり、その美貌や肉体だけでなく知識や話術で男性たちを虜にしたある意味、勝ち組であり表社会の女性たちとは違った形で社交界を回す重要な存在だった。


 そのココット嬢のドレスに似たドレスを身に纏わせた女性を傍らに、ニイが登場した。あの時の困惑のざわめきの意味は暗に知れよう。


「ショルダーネックレス着けさせるなら、せめてフリンジタイプにしてあげなさいよね。そうしたら肌色も隠せて一石二鳥だったのに!」


 女性への気遣いがなっていないと憤るコナに、幾人もの貴婦人たちが頷いた。


「兎に角、何か掛けてあげて。これでは彼女は晒者だわ」


 ヒナノの肩を抱くニイの手が動き、自分のマントを引っ張ってヒナノの肩に掛ける。しかし、布にいくら余裕があったとしても一人分である。舞台用のケープでもないのでドレープが美しく見えるように設計された布地ではない。奇妙に引っ張られた挙げ句、ヒナノの肩を十分に隠してやれていなかった。


「何かって、何を〜〜?」


 事態を好転させたいコナとデュベルだが、なかなかにデコボココンビだ。


「テーブルランナーがあるでしょ!!」

「あ~」


 コナのツッコミに気を利かせた給仕が、ミゲールの側のテーブルの上にあった燭台を掴んで退けた。上に置かれていた物が無くなった事で手に取りやすくなったテーブルランナーをミゲールはすかさず剥ぎ取り、ニイとの間に立つギネスへと渡す。

 渡されたギネスも素知らぬ顔をしてヒナノの背中で手を広げランナーを渡され待ちしているニイへとカニ歩きで近付き、後ろ手にした状態で渡し回す。


 あまりにもあからさま過ぎるバケツリレーだが、一応空気を読んだ人々はそれについては触れない。

 触れない方が面白いと満場一致で考えたことは内緒だ。


 無事、ランナーを手に入れたニイは金の刺繍糸で縁取られた赤い布をヒナノの肩に掛けて彼女の肌を隠してやる。事情を知らなければストールに見えなくもないが、元はテーブルクロスの上に飾られたランナーである。状況を見守る者たちの目には、少しばかりヒナノが気の毒に見えてきた。


「ふぅ……。これで少しは肌色面積は減ったわね」


 ヤレヤレとコナは、かいてもいない額の汗を拭う振りをする。


「うん。良かったね〜」


 ディペルは通常運転だ。


「まだよ。まだ全然終わってないわ」


 えっ、まだ終わってないの? そんな顔をするニイ、ヒナノ、ギネス。


 当たり前でしょ。と、瞳で語るステラ。


 許されなかったか……。と、遠くを見つめるミゲール。


 デスヨネ〜。な、観客たち。


「ステラ様が折角、解消の間違いじゃない? って遠回しにフォローしてくれてるのに、破棄で間違いじゃないってあたスカにも程があるでしょう!」

「あたスカって思ってても言ったらだめだよぉ〜」


 ――――そこ?!


 一瞬だが、会場内の気持ちは一つになった。


「いい? アッパラ王子はパラッパでもカールスベルゲンシスの王子なの」

「アッパラパーじゃなくてニイ王子だよぉ〜」


 ――――パー足しちゃったよ。


「対してステラ様は、ピルス公爵家のご令嬢よ」

「そうだねぇ〜」


 デュベルのツッコミは耳に届いていないのか、コナはつらつらと続ける。


「王家と公爵家、資産総額は置いておいて臣民から見た立場的に偉いのはどっち?」

「王家かなぁ〜」

「そこよ!」

「どこぉ〜?」


 デュベルに愚痴るコナの声を聞きながら、状況を正確に理解している者たちは深く肯く。


「更に事態を面倒くさくしているのは、ステラ様が隣国インベブ王国の王位継承権をもっているってとこ」

「ステラ嬢は、お姫様だからね〜」


 お姫様と言われ、ステラの固い表情は変わっていないはずなのに何処となく嬉しそうに見える。


「婚約破棄っていうのは、立場が弱い方が強い方に申し立てる謂わば最終手段。それを王家側である王子がやっちゃったってことは王家は公爵家より弱い立場ですよ〜って宣言しちゃったようなものなのよ。本来、力関係が同等や立場が上なら解消か取消しとするものよ。強者の余裕ってやつね」

「あぁ〜〜」


 元から婚約解消や締結なんて事に興味がない層はコナの嘆きツッコミに、そうだったのかと本来のあるべき形を知って驚く。


「ステラ様はインベブ王国の王位継承権をもってる。つまり、カールスベルゲンシスよりインベブ王国の方が立場が上である。って認めた事になるわ」


 国同士、どちらが上か下かなんて問題にもならない。

 しかし、同等の力関係であったはずの両国の片方の内部からそちらの方が立場が上ですよ。と外交の場ではないが暗に認めるような物言いをしてしまった。


「だから、ステラ様が解消でしょ、って修正をはかってくださったのに、あんのアラッパラッパー」

「原型留めてないよぉ〜」


 ニイは何がどうなっているのか分からないが、背後から響くこの不敬な声の主達が一人は独特の話し方からデュベル・ビクトリーエールだと気付いた。

 そしてデュベルに対し、こんな口を利く相手は一人しか居ない。コナ・ブリューイング。

 褐色の髪に、澄んだ湖のような爽やかな水色の瞳を持ったデュベルの婚約者で苛烈な性格から雷嵐の乙女とあだ名される生きた治外法権。


 傍若無人と悪評が付き纏うのは、彼女が歯に衣着せない物言いをするからだが、言っている内容は至極まともで常に彼女は正道を説く。


 だからこそ、今の話の先行きが不安でニイは口を噤み次の展開を待つしかない。


 ニイにくっついているヒナノも、やり方はあれだが謎の声が自分を助けようとしてくれたと感じて沈黙したままだ。

 自分が知らないドレスコードなど、生きる姿勢を尊重すれば容易く真似てはいけないデザインを似合うだのなんだのと勧めて着せてくる相手の品格を疑い始めているのかもしれない。


 ニイ達の前に立つステラは、コナの声が聞こえてきた段階で流れに身を任せることにしたのか、一切喋らず優雅に口元を隠す扇子を揺らしている。


「国同士で考えたら、力関係に上下はない。共栄関係である。ってしてるんだし、王家と公爵家で考えたら王家の方が立場が上なんだから、そこで破棄なんて単語は使っちゃイケナイの。どーしても婚約破棄って言葉を使いたいならパパ陛下に言う時にしときなさいよ。王命だ何だって俺は気に入らなかったんだ〜って理由付けたいならおウチの事情なんだから文句言うのはステラ様じゃなくて自分の親のパパ陛下でしょ」

「ステラ嬢をママみたいに思ってたとかぁ〜?」

「……え、きっしょ」


 踏み躙る天然と素で退く令嬢のやり取りに、ニイはプルプルと震えている。それはもう、小型犬が如く震えている。ヒナノも『スン……』という表情で立っている。

 匂い立つような艶香は鳴りを潜め、どちらかというと腹の奥底から沸々と湧き出るような怒りを感じなくもないが、まだ理性が勝っているらしく正常の範囲だ。


「どちらにしろ、王子殿下のプーパーっぷりが露見しちゃった事には変わりはないわ!」

「僕としてはぁ〜、コナちゃんがオーバーキルしてるようにしか聞こえないけどねぇ〜」


 ――――違いない。


 再び会場の意識は一つになった。


「はぁ? この程度でゲージブレイクするハートなら、こんな大衆の面前で婚約破棄なんて非常識は叫びません!」


 ――――ド正論。


 遂に、崩れ落ちるようにニイが膝をついた。


 雷嵐の乙女は、その名に恥じない雷槌でニイの心を滅多打ちにし真っ白に燃え尽きさせたのである。


 そこから先の撤収は早かった。

 ギネスがニイを支えて立たせると肩を貸すと見せ掛けて、ほぼ小脇に抱えた状態でホールから退場し、ミゲールはヒナノをエスコートして彼らの後を追うようにホールを出ていった。

 何も知らず巻き込まれた二人だが、事故対応力は高かったようだ。


 完全な巻きこまれで場に残されることとなったステラは、この凄惨たる現状に一切動じることなく最後の務めとばかりに同じく場に残ったデュベルへと体を向け扇をたたむと、周囲から感嘆の声が漏れるほど優雅で姿勢の美しい淑女の礼を行った。


「神に愛されしモルトガットの黄金の翼、デュベル・ビクトリーエール王子殿下にご挨拶申し上げます」

「あ〜〜気にしないで〜〜、僕ぅ〜難しいこと苦手だから〜〜」


 デュベルからの許しを得て、ステラは姿勢を直す。


「ちょっとビックリしたけどぉ〜、面白かったね〜〜」


 魔性を秘めた黄金の喝采。

 そう称えられる彼は、今回の不発となった騒動を辛くも瑣末事として納めてくれるらしい。


 彼の父は、モルトガット国の王太子である。同じく王位継承権を持っているとはいえ、ステラの順位は低くデュベルは三番目だ。

 今現在、此の場に残された人間の中では彼が一番高い身分となる。


 故に、彼の『面白かった』の一言でホールに温度が戻ってきた。完全なる和やかムードとはいかないが、音楽の演奏は再開され、そこかしこで会話が始まる。

 話の主題は、ニイ王子の今後についてであろう。


 会場を後にする貴族達も見受けられた。一族郎党で身の振り方を再検討するのかもしれない。


「コナちゃんも〜、楽しかったよね〜〜」

「いいえ、全く」

「?!」


 いつの間に移動したのか、すぐ斜め後ろから聞こえてきたコナの声にステラは飛び上がるほど驚き、その高速移動ぶりに竦み上がる。


「お騒がせして申し訳ございません」

「いえ、こちらこそ」


 丁寧にお辞儀をされれば、ステラも同じように返してしまった。そして我に返り、顔を上げると同じく顔を上げたコナと目が合い二人してクスクスと笑い出す。


「コナちゃんに〜、ニイくんが変な事しそうになったら、ちゃんとメッってしなさいって言われていたのに、出来なくてごめんね〜」


 二人の笑顔に釣られたのかデュベルは一段高くなったステージから降りるとステラ達の元へとやって来た。


「お心遣い痛み入ります」


 ニイが起こした騒動は、醜聞には変わりないがデュベル達がうまく掻き回して収めた事で全体の印象がボンヤリとしている。

 何かを事細かに書き立てようとしても、まとめると『愚かなことを始めようとした王子が、場に居合わせた問題児たちにやり込められた』という、なんとも情けない失敗談に落ち着いてしまうのだ。


 悪魔すら魅了すると言われた男は、印象操作もお手の物らしい。


「取り返しがつかない醜聞が起こる前に収まりました。お二人には感謝しております」


 成る可くしてなった結果に、ステラの微笑みに僅かに憂いが混ざる。


 恋は盲目となったニイも、それに応えたヒナノも。止めきれなかったギネス、諌めきれなかったミゲール、報告を受けていたであろうに尚、放置した王家。

 そして、相手に対して役目以上に興味を持たなかった自分。


「ニイ殿下は、今回の騒動の責任を取り公務を引退し、王室から離脱する事になるでしょう」


 ステラにしか聞こえない小声でコナは彼女の元婚約者の今後を口にした。

 コナの言うように、王室はそのような形でことを収めるのだろうとステラも思う。


 ニイは、ステラとの成婚を機にグリプトテク領を与えられ王位の後継者たる称号のグリプトテク公になる予定であった。


 同じ怪我でも火傷と大火傷では痛みが違う。ニイは王室から切り離され、別の場所でそれなりの身分を与えられて生きることになるだろう。そこにはきっとステラの姿はない。


 ステラの諦観した表情に、コナはデュベルと顔を見合わせた後、そっと彼女の手をとり両手で包み込むように握った。


「そこで思ったんですが、あんなあんぽんたんの面倒を押し付けられそうになっていたのです。その精神的苦痛とか何とか言っちゃって、ステラ様の好みの男性を選抜するとかどうでしょう」

「えっ、えっ?!」


 いたってコナの目は真剣だ。


「結婚って一生ですからね。容易く離婚できたら万々歳ですけど、そうも行かないのが貴族ですし」

「えっ、ええ……そうね」


 ステラの常識では計り知れない方向に話が転がり始めている。それだけは彼女にも分かった。


「今なら巻き込まれた迷惑料として、強引にデュベル様に介入して頂くことも可能だと思うんですよね」

「えぇ〜〜、それは完全に〜権力を笠に着た〜悪魔の所業〜〜」


 横からデュベルのツッコミが入ったが、コナの耳には入らない。


「だから、ステラ様の理想の王子様を集めて、その中からこの人って一人を選びましょうよ」

「そ……れは、どうなのかしら?」


 人として。


「いいえ、ステラ様。ステラ様が幸せになるためです。強権発動もやむなしですわ!」


 キリリとした顔で語るコナの勢いに、思考が一周したステラは表情を崩して笑い出した。年相応の十八歳の娘の笑顔がそこにある。


「そうね。もしもの時は、お願い致しますわ。コナ様」


 ステラはコナの手を握り返し、もう片方の空いた手で目尻に浮かんだ涙を拭う。


「絶対ですよ」


 ふんすと鼻を鳴らすコナが可愛らしくて、デュベルが見初めて手放さないと噂されるのもわかる気がすると、ステラは微笑みを濃くした。


「ええ。でも、その前に」


 強く力の宿ったステラの目元に貴族令嬢としての矜持が見える。その瞳が意志をもって動き、それを追ってコナとデュベルの視線もまた同じ方向へと向く。


「面倒事を片付けて参りましょう」


 彼女が目を向けた先にいたのは、次期メリビオース公、ガンメル・カールスベアであった。


「ガンメル中将……」


 思わずといった具合に、コナの唇から声が漏れる。


 ガンメル・カールスベア。王弟である現メリビオース公爵の第一子である彼は、海軍中将を務める。ニイとは従兄弟の関係だ。


 王室の一員として公務に携わるガンメルとモルトガット国の王子であるデュベルは、デュベルが遊学する前から面識があり、コナも彼とは知らぬ仲ではなかった。


 ニイによく似た若草色の髪に、ニイより色濃い深紅に近い赤い瞳。荒削りな男臭さがある顔立ちは、情熱的な目元に色気が潜むとご婦人方に人気だとか。


 引き締まった体躯を儀礼用の騎士服に身を包んだガンメルは、立っているだけで凛々しく、彼を初めて目にする年頃のご令嬢達の心をも一瞬で奪ってしまったらしい。ときめきに輝く瞳からの視線を一身に浴びている姿に、コナは辟易とした思いを抱く。


「何やら騒動になっていると侍従長が呼びに来てね」


 このダンスホールとは別の場所で同時に行われていた式典に参加していた筈の御仁は、七つ下の従弟のやらかしを諌める為に呼ばれたのだろう。

 しかし、元凶たちは既に回収済みである。


「登場が遅すぎますわ。もうすっかり収まりましたのよ」

「コ〜ナ〜ちゃ〜ん〜〜」

「真実ですわ〜」


 不服そうに唇を尖らせつつ、コナはステラの手を離し彼女から距離を取るとデュベルの横に並んだ。


「雷嵐の乙女は、変わらず手厳しいな」

「違うよぉ〜。コナちゃんは〜、ちょっと嘘がつけない正直者なだけ〜〜」


 口から先に生まれてきただの、毒舌で手が付けられないだの言われる彼女だが、時折見せる仕草は幼気で発言は素直だ。

 即座に訂正を入れるデュベルに、ガンメルは喉の奥で笑った。


 ガンメルが登場したことで話の主役は、ステラ一人からガンメルとステラ二人に移る。

 これが舞台なら、このあとはきっと場面転換となるだろう。暗転するタイミングは、二人が別所に移動する事で舞台上から退場する時だ。


「これは失礼したね。確かにコナ嬢は、偽りが苦手な人だ」


 すべてが予定調和のように進行している。その流れを遂行する為、ガンメルは、腰に手を当てて腕の輪を作り、それをそっとステラに向けて差し出した。


「それでは、レディ・ステラ。気を煩わせてしまうが、最後の面倒事を片付けに参りましょう」

「ええ、是非」


 エスコートの合図に、ステラは迷うことなく彼の腕に指を添える。


「僕たちのことはぁ、気にしないでぇ〜〜」


 笑うデュベルと軽く膝を曲げるコナに、二人も目礼で返す。


「また佳き日に」

「佳き日に」

「長寿と繁栄を」

「ま〜た〜ね〜〜」


 別れの挨拶を交わし、ステラはガンメルに連れられホールを出て行った。


 きっと行き先には、先に退出させられたニイ王子が控えているだろう。ここから先はカールスベルゲンシス王室の、カールスベア家の問題だ。


 漸くここまで来たかと、二人を送り出したコナはユルユルと息を吐き出し、知らず張っていた肩から力を抜く。


「コナちゃん〜、なにか飲む〜? 僕、取ってこようかぁ〜〜?」

「……」


 傍らで福福とした笑顔を自分に向ける婚約者を見るコナの目は疲れ切っていた。


「婚約者が鋼のハート過ぎてツラい……」

「コナちゃん〜〜?」


 常に微笑みを絶やさず、おっとりとした空気を纏ったデュベルが次代を担う統括者の中で一番の食わせ物だとコナは思っている。純粋悪的愉快犯。それがコナから見たコナの婚約者だ。


「自分で選びたいです」

「わかった〜。じゃぁ、行こうか〜〜」


 当たり前のように差し出された腕の輪に、コナは手を通す。


「あ〜、今日も楽しかったぁ〜」

「それは、なにより」

「コナちゃん、あのね〜」


 おっとりと独特の間で話すデュベルの声を聞きながら、コナは天井まで届く大窓から見える空に視線を向けた。


 あー……、星が綺麗だな。








 その後、ニイは王室の公務を引退し離脱した。王位継承権を保持したままなのは、温情なのか、はたまた先細っていく血縁を繋ぐためなのかはわからない。


 メリビオース公がグリプトテク公爵位を得た。

 現国王の子供がニイしか居なかったことで勅令が発せられた形となる。国王が退位し、弟であるメリビオース公が新たに王位につく事も考えられたが、それでは余計に混乱するとこの様な形に収まった。


 これにより、次の王位継承者はメリビオース公となり、ガンメル中将は王子となった。いずれは彼が王太子となる未来が描かれたのだ。


 ニイは、シェラン公爵位を賜った事で殿下の称号を返上し、これからはシェラン公として生きていくことになる。

 将来的にニイに子供ができたとしても、王子や王女の身分や敬称は、国王の子供と国王の息子の子、直系として長男の長男に与えられるものと限られているため、勅許が与えられない限り彼の子供達が王室に復帰する事はないだろう。

 ただ男系の血を絶やすことが無いように。と、捨て置かれる血筋となったのだ。今後、法改正が行われれば、それもどうなるかわからない。


 騒動から三年後、ステラはインベブ王国の伯爵の元へ嫁いで行った。なんでも一年以上の時間を掛けて熱心に口説かれたとか。

 情熱と粘着は紙一重だとコナは、考える。





 そして――――。




「私、ハイネケン・ヘレスビアは、この場でイネディット・エルブジとの婚約を破棄する!」


「ええ〜〜〜っ」


「もう、いい加減にしなさいよ! あっちもこっちもどこでも婚約破棄を叫びやがって! バカなの?! 死ぬの?! 脳内お花畑なら今から除草剤撒いてやるから、そこになおれ!!」



 今日も楽しく騒動の匂いを嗅ぎつけ、軽やかステップで巻き込まれにいく婚約者を渦中から引きずり出す為、雷嵐の乙女コナは本日も声を張り上げる。






 少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] >脳内お花畑なら今から除草剤撒いてやるから、そこになおれ!! 良く思うことですw
[良い点] キレとコクのあるラガー系の読み心地 [一言] ビールが飲みたくなりました
[一言] ものすごく楽しめました。 鮮やかに繰り出される正論が気持ち良かったです。
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