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いつもお読みいただきありがとうございます!
これで本編完結です。
エレノアはローストビーフを山盛り皿に取ってソースもたっぷりかける。付け合わせの野菜も忘れてはいけない。
満を持して切り出すと、カイルはローストビーフを取り落とした。
「あぁぁぁぁ! ローストビーフ落としたぁ! ご主人様! なんてもったいないことを! 三秒! 三秒ルールで食べてください!」
「今なんて言った?」
「三秒ならセーフですから今すぐ食べてください!」
「その前だ」
三秒ルールは適応されず、床に落ちたローストビーフは使用人によって回収された。エレノアは心から血の涙を流す。
「うっうっ……ローストビーフが……」
「それで、出て行くって話は? 何か言われたのか」
「うぅ……ローストビーフ」
「話を聞け」
「言われてませんよぅ」
「じゃあ、なんで出て行く話になるんだ」
「え、だってフェルマー公爵捕まりましたし、もう父親面もされないし。出て行くべきかなって」
「殿下はまだ何も言ってないから、公爵邸にずっといたらいいだろ」
「どんな感じでいたらいいんですか。お母さんだってお貴族様と関わってロクなことにならなかったんですから。もうペット兼婚約者だって要らなくないですか?」
「困る」
「はい?」
エレノアがやっとローストビーフから顔を上げると、カイルは困惑した表情だ。まるでなぜ「困る」なんて口にしたか分からないとでも言いたげな。
「変だな。なぜ困るんだ」
「私に言われても」
「お前は困るだろ。ここから出て行ったらローストビーフなんてもう食べられない」
「うっ……いいんです。これは最後の晩餐ですから」
「ゼフの料理がもう食べられないぞ。ホットチョコレートだって飲めないし、ケーキやスコーンだって食べられない」
「ひ、卑怯ですよ! 食べ物で脅すなんて」
「卑怯じゃないし、事実だ。そもそも出て行くと言ったのはお前だろ」
「そうですけど……」
そうは言いながらもしっかりローストビーフは食べる。カイルは食べるのを中断して、エレノアを見ている。
「お前がいると四六時中うるさい。オニキスもエリーザベトも呼応するようにうるさい。怪我をしてるくせに俺に死ぬ死ぬうるさいし」
目の前で何と言われようとローストビーフは美味しい。
「すぐ誘拐されて手がかかるし、父親に関することは無駄に頑固で、スキルは相変わらず扱えない」
このソースは一体何が入っているのか。ゼフさん、凄すぎる。このお肉の焼き加減も素晴らしい。
「またスキル暴走させたら困るだろ」
「なんだか散々な言われ様ですけど……ご主人様だって私を困らせてます」
「たとえばどのあたりが?」
「ご主人様って平気で王子様振り切って私が攫われた時に乗り込んできたみたいですし、レオポルドさんやオニキス様やエリーザベト様をこき使いましたし、ジョシュアさんみたいに優しくないですし、好きでもないのに私にキスしました」
「レオポルドは勝手についてきただけだ。オニキスは散歩と間違えて嬉しそうにしていて、エリーザベトは俺でも制御できない。兄は誰にでもあんな感じで、スキル暴走で緊急事態だっただろ」
「ご主人様を見るたびに思い出すから嫌です」
「だから出て行く話になるのか?」
「大体、ご主人様だってお貴族様のご令嬢と結婚するんですから。平民のペットを置いといたらダメです」
「好きでもない女に緊急事態でもキスはしない」
エレノアはローストビーフを食べながら会話を続けていた。ちょうど皿の最後の一切れを口に入れようとしたところで、口を開けたまま手が止まる。カイルは行儀悪くテーブルに肘をついたままポカンとしている。
最初に我に返ったのはカイルだった。
彼はゆっくり立ち上がると、エレノアの隣までやって来る。
その間にエレノアは最後の一切れのローストビーフを口に入れて咀嚼した。なにせ最後の晩餐のつもりなのだ。しかし、なぜか味がしない。さっきまであんなに美味しかったのに。これだけソースがかかっていなかったのだろうか。
カイルは頬をムニッと摘んできた。
味のしないローストビーフを飲み込んで、エレノアはカイルに抗議の視線を向ける。しかし、カイルは笑ったままエレノアの口の端についていたソースを指で拭った。
「お前ほどガサツでめんどくさい女はいないな」
「ご主人様だって意地悪でいっつも眉間に皺寄ってます」
「指折られても毒盛られて、首に手刀入れられても平気だしな」
「ご主人様だって、肩撃たれて足骨折してたのに平気そうでした」
「でも、お前がいないと俺は眠れなくて困るな。お前がいるとよく眠れる」
頬をムニムニされながらエレノアはカイルから視線をそらした。一体、これは何の時間なのか。最後の晩餐じゃないのか。
エレノアのことをどうも思っていないから、キスしてもその後平気そうだったのではないのか。今更、困るなんて言われても。
「うるさいって言ってたじゃないですか」
「まぁな。お前はさっき三秒ルールでうるさかった」
「私、鈍感なんで分かんないです。このまま使用人として置いてくれるってことですか? 公爵家の使用人ならローストビーフが食べられますか?」
「公爵家の使用人はマナーも教養も一級品だ。とてもじゃないが務まらない。洗濯一つ無理だろう」
最初に公爵家に来た時のカイルのセリフだ。それを再び彼は口にした。この前エレノアが口にしたからそのお返しだろうか。
「ほら、やっぱり無理じゃないですか。変に優しくしないでくださいよ。公爵邸での生活が平民には夢みたいに快適すぎてずぅっといたくなるんですから」
「だから、ずっといればいい」
「どんな顔していればいいんですか」
「俺は不思議とお前が傷つくのが嫌みたいだ」
エレノアは握りしめたままだったフォークを置いて、カイルを見上げた。彼はエレノアが誘拐されて助け出された時のような柔らかい笑みを浮かべていたので、ギョッとする。
これって……なんだろう。セリフだけ聞けば殺されそうにも聞こえるけど、雰囲気がなんだか違う。
「私だって、ご主人様にはもう傷ついて欲しくないです」
なぜか張り合ってしまった。本心ではある。
カイルの手はまだエレノアの頬に触れている。
そこから記憶が流れ込んできた。また無意識に『吸収』のスキルを使ってしまったらしい。今度はカイルの記憶だ。うなされているエレノアの手を握ってくれている。目を覚ましたらカイルがなぜかイスで眠っていた時の記憶だろうか。
知らない間にこんなことをしてくれていたのか。思わず、顔に熱が集まった。熱くなってパタパタと顔を扇ぐ。なんだか心臓もうるさい。とってもうるさい。何だろう、この現象。
「ほんとに鈍感だな」
「ご主人様だってさっきまで鈍感だったじゃないですか」
「鈍感に鈍感と言われると腹が立つな」
頬にあった手はエレノアの肩までおりてきた。今度は肩が熱くなった。
「使用人もペットもやめて婚約者でいいだろ」
「で、って言い方好きじゃないです」
「いつもの威勢の良さはどうしたんだ」
顎に手がかかってカイルの方を向かされた。また顔が熱くなった。
「ご主人様の触るところが熱いです」
「鈍感だな」
「何するんですか」
「緊急事態のやり直しだな」
「絶対ローストビーフ味ですよ」
「それは今気にするところなのか」
「私、婚約者のままでいいんですか? お貴族様無理じゃないですか?」
「まぁ、無理だろうな」
「酷くないですか」
「何とかなるだろ。何とかしろ。俺も何とかする」
やっぱり二回目のキスはローストビーフの味だった。厳密に言えば、ソースの味だ。一回目の味は覚えていない。ただ、カイルから好きだとも愛しているとも言葉にされていないのに、そう言われた気がした。
本編完結となります。
相変わらず二人がギャーギャー言ってる番外編はまた落ち着いてから!
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