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「エレノア様、大丈夫ですか?」
「急性お腹痛い症候群です」
「それでは、晩御飯は軽めになさいますか? 今日はローストビーフなのですが」
「食べます。それまでには気合で治します」
「十分お元気そうに見えるのですが……」
ベッドから出てこないエレノアを心配して声をかけてくれたのだろう。だが、エレノアの食い意地の張った返答に侍女長ロザリンドの声は若干呆れを含み始めた。
「何かあったんですか」
「おとーさんに会いました」
ある程度事情を知っているロザリンドは何か察したらしく「失礼します」とベッドに腰掛けて、エレノアの手を握ってくれた。
「ホットチョコレートでも飲みますか」
「バケツでくれませんか」
「それは難しいですね。清潔なバケツがありません。おかわりならたくさんご用意できます」
食い意地だけはやはり張っているエレノア。ロザリンドが出て行ってベッドでゴロゴロする。
お腹は実はまったく痛くないのだ。ただ、いろいろ考えてしまうからゴロゴロしている。
昨日はスキル暴走というものをしたらしい。レオポルドから最初にそんなことを教わったような気もするが、忘れていた。フェルマー公爵に会って感情が高ぶりすぎたのが原因なのだそうだ。
別にそれはいいのだ。公爵夫人や公爵の記憶を覗いてしまって頭がごちゃごちゃしているが、それだけだ。
あんなものをいつもカイルは見ているのだ。人の頭の中を覗き見るなんて気持ち悪くなってしまう。
ノックに適当な返事で答える。
何より問題なのは。頬引っ張るならまだしも……キスするっておかしくない? その疑問が頭でグルングルン回っている。
悩んでいるものの、ホットチョコレートを受け取るべくガバリと身を起こした。
「元気そうじゃないか」
なぜか男性の声が聞こえてギョッとする。カイルがトレイを持って立っていた。その上には湯気の立つホットチョコレート。
「ご、ご主人様がなぜ。ロザリンドさんは?」
「ロザリンドは他の仕事があるようだったから」
「そ、そですか」
忙しいだろうからトレイだけ置いて部屋から出て行ってくれるかと思ったが、どっかりイスに腰を下ろしている。
「記憶を見たのが辛かったのか」
「あ、う、はい、まぁ」
「なんだ、熱でもあるのか。顔が赤いぞ」
「ないです。断じてないです。平熱でピンピンしてます」
「朝と昼は全部食べてたが……お前鈍感だからな。ん、確かにないな」
額から手が離れたのでエレノアは安堵する。うっかり唇に視線がいきそうになるので適当な壁を眺めた。
「飲まないのか。料理人のゼフが張り切っておかわりを作ってたぞ」
「いただきます」
カップに口をつけて、落ち着く甘さに思わずニンマリする。しかし、視線を感じてすぐに顔を戻した。
「どこまで記憶を見た」
「あー……フェルマー公爵夫人とフェルマー公爵の記憶はほとんど見ました」
「は? 途中で止めたはずだろう?」
「気を失ってからも夢みたいに続きが流れてました」
カイルはなぜかエレノアからバツが悪そうに視線をそらした。
カイルがあの後もエレノアに触れていたからこそ記憶が吸収されてしまったのだが、そんなことをエレノアは分かっちゃいない。
「それは予想してなかった。見てしまって傷ついたか?」
「うーん、ずっと考えてたんですけど……お母さんが公爵のこと好きだったなら何らかの形で連絡とったと思うんです。私の存在も明かして。裕福でない生活の中でそういう行動をお母さんがしなかったってことは、きっとお母さんは公爵から離れたかったんだって思います」
「俺もそう思う。公爵と夫人の記憶しか覗いてないから、それが母親の真実とは限らない……フェルマー公爵の記憶を俺が見たことを黙っていて悪かった」
「え、いやいいですよ。ご主人様、そんな謝らなくても」
「フェルマー公爵が主張したように恋仲だったかもしれないなんて伝えたら、お前が傷つくんじゃないかと思って言えなかった」
「大丈夫です。でも、やっぱり頭ごちゃごちゃしますね。ご主人様はこんな思い毎回してるんですね」
「俺はもう慣れてるから」
エレノアがホットチョコレートを飲み終わるまで、カイルは側にいてそれから出て行った。
「ダメじゃん。お貴族様の生活に慣れすぎちゃった」
ベッドでゴロゴロしているのに三食出てくる生活。大した労働もせずスキルのお勉強だけの毎日。
さすがにハッとした。このままじゃあ、ダメになってしまう。
フェルマー公爵もエレノアに接触したことで罪に問われるそうだから、もう公爵邸にいる理由もない。人身売買のアジトも制圧して逮捕者がたくさん出たと聞いた。
「お前が傷つくんじゃないかと思って言えなかった」
さっきの言葉を思い出す。顔に熱が集まるのを感じたが、キスしたのに普通だった。いつもより優しかったけれども。
ずっと公爵邸にいればいいなんて言われた気もするけど、そんな図々しいことはできない。フェルマー公爵だって結婚したいなら貴族でいた方が~なんて言っていた。エレノアの存在はそういう風に誤解されてしまうということだ。うっかりしていた。今更厨房で皮むきを始めても遅いかもしれない。
私はここから出て行かないと。
お母さんが死んでからこれまでのことは優しい夢みたいなものだったんだから。