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カイルはエリーザベトの後を追っていた。家令のレオポルドも年齢を感じさせない涼しい表情で続く。
オニキスだけは散歩と勘違いしているのか尻尾を振って嬉しそうだ。
「フェルマー公爵夫人だと?」
第二王子であるゲイリーが慌ててよこした部下たちから意外な名前が出て、カイルは走りながら眉をひそめた。
「彼女は大して存在感のない貴族夫人だったな。スキルは何だったか」
「『同化』です。珍しいスキルですが、夫人のスキルのレベルは低く周囲から浮つかなくなるとしか聞いておらず……」
「そのスキルのせいで今まで大して疑いもしなかったのか」
エレノアの存在もあって、怪しいのは公爵の方だとばかり思っていた。公爵夫人は全く目立つ存在ではなかったせいもあるし、そもそも人身売買という犯罪を主導するのが女性なんていう前例がなかった。
念のため調査した時は何も出なかったと聞いているが、人をよほどうまく使っていたのか。
カイルは鍛えている方だが、息が上がってきた。
そんなタイミングで、エリーザベトの走りが慎重になる。ネコを頼るなんて自分でもどうかしている。しかし、追跡系で最も信頼性の高いダンカンのスキルが使えないのだ。他のスキルでは時間がかかりすぎる。
あまりに時間が経ったらあいつは……おかしなことを言って犯人に殺されるかもしれない。
「ワフワフッ!」
オニキスは何を勘違いしたのか、嬉しそうに一目散に道の先へと駆けて行く。
「オニキス! 戻れ」
カイルの呼びかけは周囲を憚って小さくなり、意味をなさなかった。オニキスの姿はあっという間に闇に呑まれ、しばらくしてズドンという場違いなほどの大きな音がした。
「何だ?」
「カイル様、銃声ではないようですが下がっていてください」
レオポルドと部下たちが先に進んでいく。エリーザベトはここだと主張するようにシャーシャー呻き始めた。
「二階建ての家があり、落とし穴の罠が周辺のいたるところにあります」
「怪しいな。エレノアがここに攫われた可能性がある」
「オニキス様が落とし穴にはまりましたが、ご無事です」
「分かった。落とし穴がないところが逃走経路だろう。そこを目指す」
ここまで落とし穴があるということは、そういうスキル持ちでもいるのか。部下の一人のスキルに頼りながら慎重に歩を進める。
エレノアは本当に面倒事しか起こさない女だ。あいつと知り合ってから格段に面倒事が増えた。
出会った時も誘拐されていたし、屋敷ではいついかなる時でも騒がしいし、相変わらず二つ目のスキルは謎で、鈍感スキルの発動条件だって理解していない。ゲイリー殿下にも平気で連れて行かれるし、今回も誘拐だ。あいつに比べたら幼児の方が静かでおしとやかで面倒事を起こさないだろう。
カイルはうんざりした。そんなエレノアを心配してこんな無謀なことをしている自分に。
人身売買の黒幕さえ捕まれば、あいつのことはもうどうでもいいじゃないか。フェルマー公爵夫人が怪しいならそれで結構。あいつが誘拐された場所を特定できた瞬間に部下を連れて踏み込めばいい。誘拐の罪で逮捕して、それから人身売買の証拠を集めたらいい。その時、エレノアの状態がどうであっても。
あいつは鈍感だから、怪我をしても大した問題じゃない。最も重要なことは、人身売買の黒幕にたどり着いて捕まえること。そう、頭では分かっている。分かっているのに、人生で最大に無謀なことをしている。自分だけはこんなバカげたことはしないと思っていたのに。
家に踏み込もうとしたところで、入口にフェルマー公爵夫人が現れた。あのくすんだ金髪は記憶の中の夫人と一致する。なんと彼女は猟銃を構えていた。
あの夫人は猟銃なんて扱えるのか? 構えに迷いがない。
そしてパーティーから抜け出してドレスを着替えたのか。どうも彼女の着ている服は男物に見えるのだが……。
猟銃を向けられて落ち着いていられるのは、部下のおかげだ。一人、銃を向けられても対抗できるスキル持ちがこちらにいる。レオポルドも対抗できるが、全員を守れるのは部下のスキルだ。
乾いた音が響いた瞬間に、部下がスキルを発動させた。
彼の『減速』スキルは人間には効かないが物体の速度を減速させる効果がある。
エリーザベトは音に反応せず、するすると軽い身のこなしで家の中に入っていく。カイルは部下二人がフェルマー公爵夫人と対峙するのを横目にエリーザベトの後に続いた。
横を通り過ぎる瞬間、フェルマー公爵夫人の姿が変わった。そこに立っていたのは男性だった。