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パロマはお母さんの名前だ。でも、お母さんを知っている風なこの人のことを私は知らない。
いやそんなことよりも、問題は腹を刺されているピーターだ。刺した男が側に立っており、エレノアは縛られているので近付けないがピーターはあお向けに倒れて浅く呼吸をしている。ショック状態みたいだがまだ生きてる。
え、これってどうするの? ナイフ抜かない方がいいの? 抜いた方がいいの? その前にピーターって助かる?
金髪の貴族らしき人は近付いてきて、床に転がって呆然としているエレノアの頬を打った。
「早くスキルを返しなさい」
「スキルを、返す?」
鈍感のスキルの話? 返すってどういうこと?
「お前の母親であるパロマが私から奪ったスキルよ。持っているんでしょう。じゃなきゃおかしいわ。パロマが死んでも奪われた私のスキルが戻ってこないんだから」
さっぱり何を言っているのか分からない。
「お母さんはそんな泥棒じゃありません」
また頬を打たれた。スキルのおかげなのか、興奮しているせいか痛みは全く感じない。
「お前の母親は泥棒よ。旦那様の愛と私のスキルを奪ったんだから」
立っていた男が首にナイフを当てる冷たい感触がある。
「それか、お前を殺せばいいのかしら。でも、お前を殺してもスキルが戻ってこなかったら嫌なのよね」
「し、知らない。あなたのスキルなんて」
「私のスキルは『同化』よ。珍しいスキルでね、王家にはきちんと報告していないけど周囲に同化して目くらましのようなこともできるの。お前の母親が妊娠したと分かって階段から突き落とそうとした時にスキルが強制解除された。しかもそれ以来ずっと使えないわ」
妊娠してたお母さんを突き落とそうとした?
夫人は髪の毛を引っ張って無理矢理顔を上げさせ、さらに頬を叩いた。
「それからあの女は屋敷から逃げ出した。私のスキルを奪って使っていたからお前と母親はこれまで逃げおおせてきたのよ! 公爵家の力をあれだけ使って見つからないなんてありえないわ。でも、お前はまだスキルをうまく使えないでしょう? パロマが死んだ途端、見つかったと報告が入ったわ」
そうなのだろうか。
そんなスキルがあったなら、そしてお母さんがそんなスキルを奪っていたならば、エレノアは髪も染めず帽子もかぶらず、引っ越しもたくさんしなくて良かったんじゃないだろうか。
いや、でもお母さんが死んですぐに誘拐された。それまで一度も誘拐なんてされなかったのに。ご主人様に助けられたけど、お母さんが生きてる間はスキルで守ってくれていたのかもしれない。
引っ越しとか髪のことでお母さんのことを恨んでいるわけじゃない。ただ、お母さんはそんなスキルを奪う泥棒みたいなことしてない。それにもし奪ったとしてもそれは仕方ないんじゃないか。だって、妊娠中に階段から突き落とされたら……想像しただけで寒気がする。そこまでして守ってくれたんだ。
「あなたのスキルなんて知らない! そんなスキル私が持ってるなら、こうやって捕まらなかったもん! 土壇場で発動したかもしれないのに! それに、お母さんは私の父親のことなんて愛してない! 無理矢理だったんでしょ!」
頬をまた打たれた。これまでよりも一瞬痛かったが、やはりスキルのおかげかヒリヒリなど継続した痛みはない。
「あの女が旦那様を誘惑したのよ!」
「お母さんはそんなことしない! あんたの旦那が悪いんでしょ!」
なんでお母さんが誘惑なんてするのよ! 女性が誘惑したとしても男性だって同罪でしょ! なんでお母さんだけ責められるの! 痛みは感じないのに、心は痛くて悔しくて涙が出そうになる。夫人の正体が今やっと分かった。この人はフェルマー公爵夫人だ。
ナイフが首の皮膚を少し切ったらしく血が出る感覚がある。
「顔どころか性格もよくパロマに似て生意気だこと。いつまでそんな態度でいられるかしら。拷問しなさい」
拷問という言葉が怖くて一瞬体が震えるが、夫人に背中を踏まれても全く痛くない。よく考えたら、スキルで鈍感なんだ。毒だって効かないんだから。手刀で気絶もしないんだから。
「痛めつけられるのが嫌なら、早く私のスキルを返しなさい」
男がエレノアの縛られた手の小指に触る。多分、これは小指の骨を折ったのだろう。全然痛くはないが、そんな感触がする。
「同化は珍しいスキルだから無理でも、目くらましのスキルくらいどこかの子供が持っているかと思ったのに。やっぱり平民の子供はダメね。クズスキルばかり」
夫人はイライラしたようにつぶやいた。親指の爪を噛んでいる。
子供? 子供って……まさか。
「え。まさか……人身売買や誘拐は……」
夫人は呆れたように笑った。
「男ってバカよね。なんで人身売買を女はしないと思うのかしら。そんなわけないでしょ。家では女は男に従うのが主流だから? それとも、大それたことをする女が少ないからなのかしら。珍しいスキルがあれば奪えばいいのよ。それはパロマが教えてくれた唯一良かったことかしらね」
「でも……スキルを奪うなんてできないはず」
ご主人様は血縁にしかダメって言ってなかった? しかも小さい頃にしかスキルは書き換えられないって。
今度は薬指に違和感があった。
「あぁ、それは私が研究した結果だもの。知ってるわけないわね。スキルは奪えるわ。ただ、普通の人間は一つしかスキルを持てないし。そもそも後天的に獲得したスキルは訓練するのが大変だしね。いろいろ吟味しないと」
「じゃあ、私のスキルも奪ったらいいでしょ」
「私から奪われたスキルをその方法で取り返せるかは分からないのよ。そんなことで取り返せるならとっくにしてるわ。あなたはなかなか茶会にも夜会にも出てこず、ブラッドリー公爵家で匿われていたから今日誘拐するのは大変だった」
夫人はエレノアに顔を再び近付けた。
「さっさと誘拐しようと思って公爵家にも人を送ったのよ? それなのに忌々しい白猫や犬がすぐ気配に気付くし、なによりもあの家には面倒なスキル持ちがいるしね」
夫人は視線を外して、男の方を見た。今度は中指に違和感がある。
「そうだった。お前、変なスキル持ちだったわね。じゃあ、こうしましょう。お前がスキルを返さないなら、そこの男を殺すわ。ピーターとかいったかしら」
あぁ、このためにピーターを引き入れていたのか。
さっきまでお母さんのことを侮辱されて、ちょっとばかり存在を忘れかけていたけど。
ねぇ、私は二つのスキルがあるんだよね。あるんだったら、せめて今くらい役に立って。もしも私がこの夫人のスキルを持っていて、返せたとしても多分殺されるんだろうけど。