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ヒヴァリーは何とか縄から抜け出そうと頑張ってもがいていた。
油は大量には撒かれていないが、火の勢いを積極的に助けている。気絶させられなかったのは良かったが、早く火の手から逃げなければ。そして攫われたエレノアのことを知らせなければ。
火事に誰か気付いて、婚約者であるダンカンの耳に入り彼がスキルを使ってくれれば話は早いのだがそんな確率に賭けてはいられない。
目の前をさささっとネズミが通ったので、ヒヴァリーは自身のスキルを使った。
ネズミは火から逃げるように走っていたが、進行方向を変えてヒヴァリーのところへやって来て手を縛る縄に歯を立てる。
ヒヴァリーはその様子を横目で確認してからずるずると這うように扉に近付いた。
今日のドレスは残念なことにしわくちゃだが、こういう時に背中ぱっくりや肩ぱっくりのドレスを着ていなくて本当に良かった。肩ぱっくりのドレスだったら脱げていたかもしれない。やっぱりドレスは戦闘服に違いない。
人生においてなかなかのピンチにも関わらず、ヒヴァリーは扉に向かって縛られた足とお尻で這いながら周囲に目を配る。
いた!
ネズミがもう一匹いたのでスキルを使う。そのネズミはヒヴァリーの方ではなく夜会会場へ走っていった。ダンカンがウロチョロするネズミを目撃してくれれば、ヒヴァリーのことを思い浮かべるだろう。
ヒヴァリーのスキルは『動物操作』。ネコやカラスくらいの大きさまでしか使えないが動物を思うままに操作できる。十匹ほど同時が限界だが。
扉を開けようとするがうまくいかず、足でも上げようかと悪戦苦闘していると手の縄を予想より早くネズミが噛み切ってくれた、足の縄も頑張ってほどき、痺れた足を叩く。
「火事よ! 誰か来て!」
口元の布をずらしてから扉を勢いよく開けて叫ぶ。
「火事よ!」
髪の毛を振り乱してヒヴァリーは走った。靴はとっくに脱げている。
この廊下、警備が少なすぎる。お手洗いに入る前までは何人か立っていたはずなのに。
前からダンカンとカイルが駆けてきてヒヴァリーはやっと安心した。
「エレノアさんが!」
「ヒヴァリー落ち着け、何があった」
「お手洗いを出たところで変な男に話しかけられて、しつこくて困ってたら後ろから殴られたの。恐らく私はすぐ目を覚ましたんだけど、そしたらエレノアさんが今度は縛られて誘拐されて!」
話をしている間に騎士たちが燃えている部屋へと走っていく。水系のスキルを持つ者もいるだろう。
「何か特徴は?」
カイルが静かに口を開く。この場で大慌てしているのはヒヴァリーのみだ。
「エレノアさん、一人の男性と知り合いみたいだった。ピーターって呼んでて。あとの一人は知らない」
気が動転してうまく話せない。
「他に気になったことはあるか?」
「すぐには分からない! 私の頭の中を見て!」
「分かった。ダンカン、エレノアの居場所を」
カイルがヒヴァリーのこめかみに指を当てる。記憶を見ているのだろう、顔が険しい。ダンカンも横で集中した顔をしていたが、すぐに困惑に変わる。
「なぁ、エレノア嬢の居場所がわかんねぇ」
「は?」
「追跡が切れてんのか……反応がねぇんだ」
「他国に飛んだってことなの?」
「この短時間で他国に移動できるスキルはない。瞬間移動スキルでさえ国同士の移動は無理だ。それに、そんなスキルの持ち主ならこんなところで火事を起こしてまでエレノアを誘拐する必要はない」
「死んでたら」
「バカなこと言わないで!」
ダンカンのあんまりな言葉にヒヴァリーは悲鳴を上げる。
「対象が死んでいてもダンカンが解除しない限り追跡は消えないはずだ」
カイルが記憶を読み取りながら冷静に口を挟む。
「誘拐犯のスキルか?」
「分からない。殿下に報告して該当しそうなスキル保持者をあらいだして」
「ヒヴァリーは治療を受けろ、煙吸っただろ」
ダンカンがヒヴァリーに自分のジャケットをかけてくれる。
「ねぇ、エレノアさんを見つけて。私のミスだから。私が油断した」
「いいや。ここの警備、異様に少なかった。誰かが仕組んでたんだ。俺のスキルがちゃんと作動してれば」
カイルが指をこめかみから離す。ダンカンは元気づけるようにヒヴァリーの髪をわしゃわしゃ撫でまわした。
「ヒヴァリー嬢、記憶をどうも」
カイルは普段通り冷静なようだが、酷く冷たく見えた。
「あとは俺たちに任せてくれ。カイルの奴、キレてるし」
あぁ、彼は怒っているのか。ヒヴァリーに対してではなく、自分の無力さに対して。
「ちょっとこれから忙しくなる」
「うん」
「よく頑張ってくれた」
「うん」
ダンカンに抱きしめられた。先ほど姿が見えた時に安心したと思ったが、今更体に震えがくる。
「ピーターって男はエレノアさんに殺されはしないって言ってた」
「相手の狙いはわかんねーけど、殺すならここでとっくに殺してるだろ」
「ピーターって誰、ほんとに。給仕の恰好をしてたけど」
「どっかで見た名前だな」
治療班が来てヒヴァリーを預けると、ダンカンは走って行ってしまった。