32
いつもお読みいただきありがとうございます!
「そういえば、ご主人様のスキルって何ですか?」
ご主人様は口に含みかけていた食後の紅茶をちょっとばかり吹いた。
エレノアが囮になると承諾してから……まだ何もしていないのだがご主人様は家にいる時間が格段に増えた。護衛が交代でいつもついているにも関わらずエレノアの側にご飯以外の時間もよく出没する。
それに伴いオニキスはご機嫌でご主人様の側を離れず、エリーザベトもシャーシャー言わずに姿を見せることが多くなった。
公爵夫人の物言いたげな視線もないから快適で、たまに会うジョシュア様も陽気だ。
ただ、屋敷に届く手紙の量は増えているようだ。使用人たちが頑張って仕分けているところを目にする機会が増えた。
「今更なんだ」
「クラリッサ様やジョシュア様といろいろ話したんですけど。そういえば聞いてないなって。先日クラリッサ様の頭に手を当てて記憶を消していたみたいなので、大体は分かるんですけど」
少し考え込んでからご主人様は口を開いた。
「俺のスキルは『記憶操作』だ。記憶の消去、植え付け、改ざん、読み取りなんかができるが……安心しろ、お前には効かない」
「なるほどぉ。それで裏のお仕事を」
「クラリッサは喋りすぎだろう。知られたところでお前以外の記憶は消せばいいがな」
口を拭いてからご主人様は新聞を読み始める。オニキスがこちらへ来たのでわしゃわしゃと撫でてやった。
「ご主人様のスキルも書き換えたんですか?」
「そんなことまであいつは喋ったのか」
「さらっとですよ、さらっと。私がスキルから父親がたどれたらいいのになって話したからです。難しいみたいですね」
「書き換えた。いや幼くて分かっていなくて俺の意志じゃないから、書き換えられたの方が正しい」
「へぇぇ、大人になってからでもスキルって書き換えられるんですか?」
「それはできない。幼いうち……五歳くらいまでだな」
ご主人様はポケットからボールを取り出すと、部屋の隅に向かって投げる。オニキスが走って咥えてご主人様のところへ戻る。
「じゃあ、私のスキルは書き換えられないんですね」
「書き換えはいいものじゃない」
「あぁ、スキルがコーテン的で扱いにくいからですか? ご主人様はそんなに扱えるのほんとに凄いです」
ご主人様はオニキスのためにまたボールを投げる。
庭から「キッシャアア!」というエリーザベトの威嚇する声が聞こえた。誰かが触ろうとしたのだろうか。
「いいや。書き換える方法がえげつないからだ」
「書き換えるのも大変なんですねぇ」
「昔はそうでもなかったが、強力で有用なスキルは最近はほとんど遺伝しない」
エレノアが紅茶を飲み干すとご主人様がボールをまた投げて、じっと見てくる。なんだかご主人様は重要なことを言っていたようだが……。
「え、パンくずでもついてますか?」
「今、スキルを意識的に使っているか?」
「まだ発動条件が分からなくて使えていません」
「体や舌が痺れている感覚はないか」
「まったくないです」
「さっきの食事に少し痺れ薬を入れていたが、全然効いていないようだな」
エレノアは両手を上げてワキワキと動かして見せた。その後は立ち上がってウロウロ歩いてみる。
「少量でも強力なもののはずだが……いまのところ全く効いていないな」
「みたいですね」
「しばらく様子を見よう。鈍感のスキルを無意識に使っている可能性が高いな」
「はーい。じゃあ私は本を読んで待ちます」
「おい、せめて痺れ薬にはもう少し反応しろ。警戒心が足りない」
「えへへ」
庭からはエリーザベトのネコらしからぬ声が響いていた。
***
「なぁ母さん、エレノアは?」
背の高い青年が野菜を店頭に並べながら、母で店主であるハンナに聞いた。昨日、隣町の伯父のところから久しぶりに帰ってきたのだ。
「エレノアが遅刻なんて珍しいからさ。なんかあったんなら俺、様子見てきたいんだけど」
「あれ? ピーター、あんたに言ってなかったかい? エレノアちゃんは叔母さんが探しだして引き取りにきてね。なんでも、おばあ様がご病気で早く孫に会いたいってことですぐに引っ越しちまったよ」
「はぁぁ!? 聞いてねぇ!」
「言ってなかったかね。あんたが兄貴の店の手伝いに行った数日後だったかね」
「めっちゃ前じゃん! というかエレノアのお母さん、親戚なんていないって言ってたからそれって詐欺じゃねーの? エレノア騙されやすいから!」
背の高い青年ピーターは開店準備どころではなくなって喚く。すぐに「さっさと手を動かしな!」という母の指示が飛ぶ。
「そんなこたないよ。エレノアちゃんも挨拶に来たし。落ち着いたら手紙送るってんで。金持ちそうな叔母さんだったねぇ。商会やってるとか言ってたっけ? 家の荷物も全部下男みたいな人が運んでた」
「いやいやいや、めちゃくちゃ怪しいだろそれ! なんで母さんそんなこと信じてんの! 叔母さんならエレノアのお母さん生きてる間に助けにくりゃ良かったじゃん」
「家族ってのはいろいろあるもんだよ。エレノアちゃんの叔母さんだって後悔して泣いていたし。パロマさんだって訳アリっぽかった。ありゃもしかしたら使用人と駆け落ちでもして捨てられたのかもしれないねぇ」
パロマとはエレノアの母の名前である。
カイルのスキルによって偽の記憶を植え付けられているハンナは自分の記憶を信じ込んでいて疑いもしないのだが、そんなことを息子ピーターは知る由もない。
ハンナがエレノアについて客にすでに説明しているので、青果店の常連客に聞いても「何を今更」「ピーターくん、エレノアちゃんのこと好きだったものね。残念ね」などと憐れんだ目を向けられるだけだ。
「手紙は?」
「はい?」
「エレノア、落ち着いたら手紙書くって言ったんだろ?」
「まだ来てないよ」
「なんだよ、薄情だな」
「何言ってんだい。母娘二人で頑張ってきてパロマさんが急に亡くなって、落ち込んでたとこへ叔母さんが迎えに来てくれたんだよ。こんな働いてた青果店のことなんて忘れてあの子は幸せになるべきなんだ。新しい家に馴染むのも大変だろうしね。そもそもあんた、エレノアちゃんのこと大して慰めもしてなかったのになんだいその言い草は」
「っ……だって、なんて声かけたらいいか分からなくて。エレノア、すごい明るいフリするし。だから伯父さんのとこから帰ってきたらプロポーズしようと」
「はぁ、我が息子ながらヘタレだね。行く前になんか行動起こしてりゃあ違ったかもしれないのにねぇ。バカだねぇ、ほんっとにバカだねぇ」
バカなのかヘタレなのか。息子に容赦がない。
「母さんだってエレノアに一緒に住もうって言ってたじゃないか」
「パロマさんと住んでいた家に愛着があるって言われちゃあねぇ。もうちょっと時間おこうかって思うよ」
「でも叔母さん来たら家捨ててさっさとついて行ったのかよ」
「なにバカなこと言ってんだい。勤め先のおばちゃんと親戚じゃ意味が違うよ」
ピーターは休憩時間になってエレノアの住んでいた家に行ってみた。空き家の掲示が出ていて、母の言葉は現実なのだと改めて突き付けられた。
「はぁ……そんな上手い話あるのかよ。叔母さんが迎えに来たとか。せめてどこの町か商会の名前でも分かれば……」
乱暴に髪をくしゃくしゃかき回すピーターの姿を陰から見ている者がいた。