【番外編】ラルカの里帰り(後編)
「ラルカ! ブラントさまもいらっしゃい」
部屋に入ると、すぐにメイシュが迎えてくれた。
眉毛を描いた程度の薄化粧に、淡いピンク色の柔らかなドレス、髪は下のほうで緩く結んだだけ。これまでの彼女ならば考えられない服装だ。
メイシュは『自分には似合わないから』という理由で、愛らしい服装を避けてきた。フリルやレース、リボンやピンク色はラルカのもの。反面、自身はハッキリとした色合いの、メリハリのついたドレスを着ることが多かった。化粧も濃ければ香水もキツい――豪奢な強い女性という印象だ。
けれど、この部屋に漂うのは赤ちゃんの甘い香りだけ。よく見れば、以前とは壁紙の色も、調度類も、なにからなにまで変わっている。レースのカーテン、淡い色合いのチェストに、テーブルには可愛らしいティーセットが並ぶ――以前の、ラプルペ邸におけるラルカの部屋にとても近い。
「姉さま、この度はご出産、おめでとうございます」
ラルカがメイシュの側に向かう。
メイシュの隣には小さな赤ん坊の姿があった。薄い青色の柔らかな産着。薄っすらと生えた髪の毛は、夫譲りのブラウンだ。まだ生まれたばかりのため、どこか肌色は赤っぽく、肉付きもそれほどよくはない。びっくりするほど小さな手のひらはギュッとかたく握られていて、触れるだけで壊れてしまいそうだった。
「可愛い……! 生まれたばかりの赤ちゃんって、こんなに小さいのですね」
ラルカは瞳を輝かせつつ、赤ん坊のそばへと屈みこむ。メイシュはそっと微笑みながら、赤ん坊を抱き上げた。
「ええ。私もとても驚いたわ……だけど、こんなに小さくても、とても温かいし、心臓もトクトク鳴っているのよ?」
慈愛に満ちた表情。ラルカは赤ん坊とメイシュとを交互に見つめながら、目頭が熱くなってくる。
「あの……抱っこしてみてもいいですか?」
「ええ、もちろん」
メイシュはゆっくりとラルカに赤ん坊を渡した。おくるみに包まれているため、いくらかは抱きやすいはずなのだが、びっくりするほど軽いうえ頭も身体もふにゃふにゃで、ラルカはとても驚いてしまう。
「ふふ……こうするのよ」
赤ん坊の頭と身体を支えるように腕の位置を調整され、少しだけ抱っこが安定する。けれど、母親とは違うとわかるのだろう――赤ん坊はラルカをまじまじと見つめつつ、ふにゃ、と小さく声を上げた。
「ブラントさま……見てください! 赤ちゃんってこんなに可愛いんですね」
ラルカが満面の笑みを浮かべる。ブラントは「本当に」とうなずきながら、胸が温かくなっていた。
「正直ね……私、子どものことは諦めていたの。結婚して六年も経つのに、一向に妊娠しなかったから」
メイシュがポツリと本音を漏らす。ラルカは「姉さま」と言いながら、メイシュのことをそっと見つめた。
「だけどね、これまでの私にはきっと、まともな子育てなんてできなかった。子どもを縛り付けて、自分の理想を押し付けて、苦しめることになっていた。だから、出産が今になってよかったと私は心からそう思っているの」
ラルカとブラントは顔を見合わせる。二人はもう一度、メイシュのほうへと向き直った。
「ラルカ……これまで本当にごめんなさい。この子を授かったことで、私は改めて、あなたに酷いことをしてきたと思い知ったわ」
メイシュが静かに頭を下げる。
「私はね、あなたのことをとても可愛いと思っていた。……ううん、今だってその気持ちは変わらないわ。だけど、いくら可愛いからといって自分の意のままにしていいはずがない。あなたにはあなたの気持ちがあって、あなたの人生がある。そんな単純なことが、私にはわからなかったの」
「姉さま……」
「以前あなたが言ったとおり。私はきっと、自分では叶えられない理想をあなたに託していたのよね」
ラルカのことを見つめつつ、メイシュは穏やかに目を細めた。
『好きなのでしょう? 愛らしいドレスが。美しい宝石が。鮮やかな色合のお化粧が。フリルやレース、リボンや刺繍が。
似合う、似合わないだとか、年齢や性格に関係なく、ご自分で好きなものをお召になれば良いではございませんか。
人形で遊ぶより、自分自身と向き合うほうがずっと楽しい――――そちらの方がずっとずっと幸せに生きられますわ。
今からでも遅くはありません。姉さまも、もっときちんと、自分の想いと向き合ってください』
一年半前、ラルカがメイシュに贈った言葉が今も彼女の中で生き続けている――この部屋を見たとき、ラルカはそう直感していた。
それに加え、メイシュ自身の口から彼女の想いを聞けたことで、その直感は正しかったと確信している。
「だから私ね、これからは私自身の理想を実現させていこうと思っているの。もちろん、この子の自由を守ったうえで、ね。ラルカ……どうか見守っていてくれる?」
そう口にしたメイシュの瞳には涙が光る。ラルカは涙をこらえつつ、コクコクと大きくうなずいた。
「もちろんですわ! わたくし、姉さまを応援しております」
「……ありがとう」
二人は互いを見つめ合い、満面の笑みを浮かべたのだった。
***
夕食を終えたあと、ラルカはブラントを外に誘い出した。夜風がとても心地よく、星空がとても美しい。澄んだ空気を吸い込みつつ、二人は手をつないで花畑を歩いていた。
「ブラントさま、今日は本当にありがとうございました。こうして一緒に領地に来ていただけたこと、とても嬉しいです」
ラルカはそう言って目を細める。ブラントは微笑み返しつつ、ラルカの頭をそっと撫でた。
「お礼を言うのは僕のほうです。こうしてラルカの生まれ育った場所に来ることができてとても嬉しい……本当に幸せに思います」
とても愛おしそうな表情で、ブラントはぐるりと周囲を見回す。それだけで幼い頃のラルカの姿が目に浮かぶようだった。
きっと――いや、絶対可愛かったに違いない――そう想像するにつれ、ブラントの頬が赤く染まっていく。彼の瞳には今、過去ではなく未来が――二人の間に子どもが生まれたその画が浮かんでしまったからだ。
(まったく……待つと言ったくせに)
ブラントはラルカを急かしたくない。将来の邪魔をしたくもない。
けれど、彼女への想いは日に日に募っていくばかり。愛しくて、触れたくて、大事にしたくて……色んな想いと日々葛藤している。
「ブラントさま」
ラルカが立ち止まり、ブラントの両手を握る。「はい」と返事をしつつ、ブラントはそっと首を傾げた。
「わたくし、今日の姉さまを見て思いましたの。結婚とは――子どもという存在は、あんなにも人を変えるんだなぁって」
ふと見れば、ラルカの頬はほんのりと赤く染まっていた。ブラントの鼓動が早くなる。つないだ手のひらから、ラルカの緊張が伝わってくるかのようだった。
「ラルカ、僕は……」
ブラントがたまらず口を開けば、ラルカは恥ずかしそうに首を横に振った。
「ダメです! お待たせしていたのはわたくしなのですから、その……わたくしに言わせてください」
半分涙目になったラルカを抱き寄せつつ、ブラントはコクリとうなずく。
それからどのぐらい経っただろう。……それはブラントにとってまるで永遠のように長く、尊い一瞬だった。
意を決したようにラルカがブラントを見上げる。その美しい瞳を見下ろしながら、ブラントは優しく微笑んだ。
「ブラントさま――わたくし、あなたと結婚したいです。……大好きなあなたとの子どもがほしい。どうかわたくしと、結婚してください」
それはようやく導き出せたブラントからのプロポーズのこたえ。これからの人生をひとりではなく、二人で歩んでいきたいというラルカの強い想いだった。
ブラントがうなずく。喜びのあまり、彼の瞳は涙で潤んでいた。
「ラルカ――僕が絶対にあなたを幸せにします。これから先の人生も、どうか僕と一緒に歩んでいってください」
自由でなければ――ひとりでなければできないことがあるとラルカは思っていた。けれど、共に生きることで、幸せへの道筋はもっともっと増えていく。二人でなければできないことがたくさんある。
「はい! どうか末永く、よろしくお願いいたします」
満面の笑みを浮かべるラルカを、ブラントは思いきり抱きしめるのだった。
番外編を読んでいただき、ありがとうございました。
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