4.僕なんて如何でしょう?
メイシュに結婚を命じられて、二週間が過ぎた。
ラルカは未だにどうしたら良いものか、考えあぐねている。
(こんなこと、誰にも相談できないわ)
仕事を続けたい。
結婚をしたくない。
自分の自由な生活を守りたい。
それらは貴族としては異質の願いなのかもしれない――――一応、そういう自覚はある。
とはいえそれは、ラルカにとって重大で、ゆずれない願いだ。
誰かに理解してほしいわけではないし、わかってもらえるとも思っていない。
エルミラたちなら或いは味方をしてくれるかもしれないが、下手に話せば、メイシュに今すぐ仕事を辞めさせられる可能性もある。
そういうわけで、ラルカは今日も今日とて結論が出せずに居た。
「――――それでは、確かに承りました」
気分が沈んだまま、エルミラのお遣いを淡々とこなす。外の空気を吸ったほうが気が晴れるだろうと志願したというのに、てんでダメだ。
お遣いに向かった先はエルミラの兄、王太子アミル殿下の執務室で、彼の側近たちに書類を渡せば仕事は完了。ため息を吐きながら、エルミラの執務室へと戻る。
「僕がお部屋までお送りしましょう」
そう言って、一人の騎士がラルカを追う。
星のようにまばゆい銀髪の、とても美しい青年だった。夜空のような色合いの紫色の瞳、スッキリとした目鼻立ちに、スラリとした体躯の持ち主で、見ているだけで眼福だ。おまけに、声音までもが蕩けるように甘い。
王太子アミルの近衛騎士らしく、どことなく見覚えはあるものの、名前までは知らない。エルミラとアミルは兄妹だが、仕事上の関わりはそこまで多くないからだ。
忙しかろう――――ラルカは断ろうとしたが、「是非に」と言われ、厚意に甘えることにした。
騎士は、ラルカの歩調に合わせてゆっくりと歩き、時折振り返りながらニコリと微笑む。気遣いができる上、物腰が柔らかい。
エルミラにも近衛騎士が付いているが、彼等はいかめしく、とっつきづらい印象だ。もちろん、護衛だから、ある程度の威厳は必要だが、常にそんな感じでは一緒にいる人間は疲れてしまう。
その点、今一緒にいる騎士は、珍しいタイプだ。
(……この人、きっと物凄くモテますわね)
ラルカ自身は興味がないため詳しくないが、女性陣が彼を放っておく筈はない。おそらくだが、侍女たちが『カッコいい』と騒いでいた男性の一人だろう。彼を執務室に連れ帰ったら、皆に喜ばれるかもしれない――――そんなことを考えながら、ラルカは微笑む。
「ラルカ嬢ですよね。エルミラ殿下の女官でいらっしゃる」
「まぁ……! わたくしをご存知なのですか?」
「もちろん。まだ若いのにとても優秀だとうかがい、お話ししてみたかったのです。あなたの美貌は騎士たちの間でも有名ですし。主人は異なりますが、我々は同じ王族に仕える者同士。今後も仲良くしていただければ、と」
人懐っこい笑みを浮かべつつ、騎士はそっと首を傾げる。ラルカは困ったように微笑んだ。
「ありがとうございます。そんな風に言っていただけて、とても光栄ですわ。
ただ、事情があって今は女官ではなく『侍女』ということになっているんです。仕事の内容はこれまでとあまり変わりないんですけどね」
働きぶりを認めてもらえるのは嬉しい限りだが、メイシュのことがある以上、『女官』だと認識されたまなのはよろしくない。後々面倒なことになりかねないからだ。
訂正を入れつつ、ラルカはそっと息を吐く。
「それはまた……不思議ですね。女官はとても素晴らしい仕事なのに」
「……! そうですよね。そうですわよね!
ありがとうございます。わたくしも心からそう思います。
ただ、わたくしの家族――――姉が、わたくしに華やかな暮らしを送ってほしいと望んでいて。女官ではダメだと。……姉は『働くこと』それ自体ではなく、侍女としてのステイタスを重視しているんです」
同調してもらえたことがあまりにも嬉しく、ラルカはぽろりと内情を漏らす。
「……そうでしたか。いつも楽しそうに仕事をしていたのに、残念なことですね」
「はい。
ですが、大丈夫です。エルミラ殿下が色々と配慮をしてくださいましたの。
表向きは『侍女』として働きながら、実際には女官の仕事を任せていただいているのです。とてもありがたいことですわ」
内情を知る人をあまり増やしてはいけない――――そうと分かっているのだが、何故だろう。この男性は不思議と信頼ができる気がした。
「それは良かった! 殿下にとても頼りにされているのですね」
「……ええ。そうだったら良いなぁと――――そうだと胸を張って言える自分でいられるよう、頑張りたいと思っております」
ラルカはそう言って、弾けるような笑みを浮かべる。
騎士はそっと瞳を細めた。
「――――ところで、最近ラルカ嬢は、結婚相手を探しているそうですね」
「……! どうしてそのことをご存知なのですか?」
けれど、あまりにも思いがけないことを言われ、ラルカは目を丸くする。
「もしかして、噂になっているのですか? わたくしが、結婚相手を探していると」
「いや、それは……」
騎士は思わず口ごもる。
なんと答えよう――――しばし思い悩んでいたものの、彼はやがて、ラルカの様子がおかしいことに気がついた。
顔は青褪め、眉間にしわが寄っている。いつも笑顔の彼女らしくない反応だ。
「……ラルカ嬢?」
「わたくし、嫌なのです」
「え?」
騎士が驚いている様子が見て取れる。
けれどラルカは、己を止めることができなかった。
「結婚なんてしたくない。これからもずっと仕事を続けていきたい。
だからわたくしは、ずっと独身でいたいのです。
それなのに、姉が認めてくれなくて」
ずっとずっと、どこかに吐き出したかった。
思いの丈を。苦悩を。
誰かに聞いてほしいと思っていた。
この人ならば、もしかしたら聞いてくれるかもしれない――――笑って聞き流してくれるかもしれない――――そんな風にラルカには思えた。
「だけど、結婚相手を決めなければ、いつまで経っても姉が領地に帰ってくれない。……それで困っているのです。
たくさんの釣書をもらいました。この中から相手を選べと。
けれど、お見合いを考えるぐらいですもの。皆様きっと、本気で結婚相手を探していらっしゃるでしょう? 実際にお会いしたら、トントン拍子に婚約が進んでしまいそうで怖いのです。
最近では、『姉さまを納得させるために、仮初の婚約を結んでほしい』なんて無茶なお願いを聞いてくれる男性がいたら良いのに、なんて夢を見る始末で」
ラルカはそう言って、自虐的に笑う。
いずれはラルカも結婚をしたいと思うときが来るかもしれない。
けれど、少なくともそれは今ではない。
願いを叶えるためには、時間稼ぎが必須だ。
彼女とともにメイシュに逆らい、結婚を先延ばしにしてくれる人――――若しくは婚約を結びつつ、頃合いを見て解消してくれるような人――――そんな人がいれば良いのにと夢想し、現実逃避をしてしまう。
「だったら、僕なんて如何でしょう?」
「……え?」
思いがけない言葉に、ラルカは目を瞠った。
騎士がゆっくりと立ち止まる。ラルカも彼にならって、その場にゆっくりと立ち止まった。
しばし互いを見つめ合い、息を呑む。
やがて騎士が再び口を開いた。
「ラルカ嬢、僕と婚約しましょう」