38.その糸はもう、人形を縛れやしない
ラルカは大急ぎで支度を進めていった。
子供たちに着替えをさせ、廃屋で梳かしただけの髪を綺麗に結う。
血色がよく見えるよう頬紅を塗り、小さなティアラを頭に載せる。
リーダー格の少年には、数年前にブラントが着ていたという騎士装束に着替えさせた。
「うん、完璧だわ!」
どこからどう見ても、良家のお嬢様、子息にしか見えない。その素晴らしい出来栄えに、ラルカは手伝ってくれた侍女たちに賞賛を送った。
「すごい……こんな綺麗な格好するの、初めて」
清潔な衣服を確保することすら難しい孤児院の子供たちにとって、ドレスを着るのは当然初めての経験だ。こうして化粧をしたり、髪を結うことだってそう。
まだ物心のついていない小さな子供達は、「絵本のようだ」と、無邪気に、嬉しそうに笑っている。
リーダー格の少年や、ラルカをおびき寄せた少女などは、ただ呆然と、鏡に映った自分たちを眺めていた。
「さあ、皆。ここから先は、笑顔と度胸が何より肝心ですわ! ドレスや洋服はあくまでオマケ。今日の主役は他でもない貴方たちです! 堂々と胸を張って、わたくしに付いてきてください」
子供たちには、ラルカが何を企んでいるか分からない。それでも、こうしてドレスアップをして誰かの前を歩くという経験に、なんとも形容し難い喜びを感じているようだ。
彼らは躊躇いつつも、ラルカの後ろに続いていく。
「ラルカ!」
けれどその時、何ともタイミングの悪いことに、ラルカはメイシュに呼び止められてしまった。見つかれば大騒ぎをするに違いない――――足止めを指示していたのだが、ついに誤魔化しきれなくなったのだろう。
「――――子供たちを先に舞台へ連れて行ってくれる?」
「はい、ラルカさま」
化粧を手伝ってくれた侍女や同僚たちに命じれば、彼女たちは心得顔で頷く。子供たちの手を引き、すぐにこの場から連れ出してくれた。
気を取り直し、ラルカはメイシュの方を向く。
メイシュは大袈裟にため息を吐くと、ラルカのことをギュッと抱きしめた。
「ああ、良かった! 今まで一体何処に居たの? すごく心配していたのよ!
やっぱりこんな危ない仕事は辞めて、今すぐ領地に帰るべきだわ!」
(言うと思った)
至極冷ややかな瞳でラルカがメイシュを見つめる。
メイシュはそんなことはお構いなしに、自分の主張をまくし立てた。
「貴女の婚約者もすごく冷たかったのよ? 貴女を自分で探しもしないんだから。
オマケに彼、なんて言ったと思う? ラルカは強いって――――私に黙っていろだなんて言うのよ! 信じられる?
酷すぎるわ……ラルカは大事に大事に護られるべき存在なのに。貴女にはきっと、もっとふさわしい人が居るはずよ。大丈夫、姉さまが一緒に探してあげるから、彼との婚約を破棄して――――」
「退いてください、姉さま。今は貴女とお話をしている時間はございません」
ラルカは言いながら、メイシュを己から引き剥がす。予想外の反応に、メイシュはあんぐりと口を開けた。
「なっ……ラルカ? 私がどれだけ貴女を心配していたと思ってるの?」
「存じ上げております。けれど、わたくしはもう良い大人。少し行方が知れないぐらいで、いちいち大騒ぎされては困ります。
それに、今は大事な仕事の最中です。邪魔をしないでください」
「邪魔⁉ この私に邪魔と言ったの⁉」
「ええ、その通りですわ」
きっぱりとそう口にすると、ラルカはドレスの裾を翻す。
夜空に揺れる青色のシルク。
メイシュは思わず目を見開いた。
「ねぇ……待って、ラルカ! 何なの、その格好! その可愛くないドレスは⁉」
ラルカのドレスは先程と――――メイシュ好みの一着とは違う。
彼女は今、以前ブラントから贈られた、鮮やかな青色のドレスに着替えていた。
スッキリと大人びたシルエット。
今着ているドレスには、ふわりと広がるスカートも、コルセットで引き締められたウエストも、フリルもレースもリボンだって付いていない。
淡く麗しい桃色でもなければ、鮮やかな紅色でもない。
女性らしさ、愛らしさなど皆無に等しい。
けれど、それで良い。
それこそがラルカの目指す女性像だ。
なりたいと思う己の姿だ。
夕日を背に凛と立つラルカの姿は美しく、見ている人々を圧倒する。
メイシュは大きく息を呑み、ラルカの姿に見惚れ――――それから首を横に振った。
「ダメ! ダメよ、そんな格好! 可愛くないわ! 私のラルカに相応しくない。今すぐ着替えて! 私は絶対認めないわ」
「お断りいたします。そもそも、姉さまに認めて頂く必要などございません。わたくしは、自分の着たい服を着ます。生きたいように生きていきます。
仕事は絶対に辞めません。
ブラントさまとの婚約も、絶対に破棄など致しません。
金輪際、貴女の指図は受けませんわ」
ラルカの瞳は力強く、揺らぎない。
少し前までメイシュが少し揺さぶれば、恐怖ですぐに支配できていたのが嘘のようだ。
一体いつから、あんなにも強くなったのだろう?
メイシュは唇を戦慄かせつつ、怒りなのか戸惑いなのか、自分でもよく分からない感情に支配される。確固たる自信に満ちた妹の姿――――己の思い通りにならなくなった人形は、ビックリするほど美しく、何よりも輝いて見えた。
「ああ、そうそう。先程姉さまが探していらしたブースの責任者なのですけれども、あれ、実はわたくしですの」
ダメ押しとばかりに、ラルカは満面の笑みを浮かべる。
「え? 貴女がこのイベントを……?」
呟きながら、メイシュはぐるりと会場を見回す。
「ええ。ブース内の企画、運営はわたくしがエルミラさまと共に行いましたの。誰もがなりたい自分を素直に目指せるようになってほしい……そう思いましたもので」
ズン、と胸に鉛を詰められたかのような感覚がメイシュを襲った。
ドレスを身に纏い、嬉しそうに笑っていた少女たちの姿が鮮やかに蘇る。それから、メイシュが着せ替えをする度に、苦しげな表情を浮かべていたラルカの姿も。
「――――ですから、姉さまもそろそろ、わたくしで遊ぶのではなく、ご自分としっかり向き合ってみては如何でしょう?」
「え……?」
メイシュが大きく目を見開く。
彼女は息をするのも忘れ、ラルカのことを見つめていた。
「好きなのでしょう? 愛らしいドレスが。美しい宝石が。鮮やかな色合のお化粧が。フリルやレース、リボンや刺繍が。
似合う、似合わないだとか、年齢や性格に関係なく、ご自分で好きなものをお召になれば良いではございませんか。
人形で遊ぶより、自分自身と向き合うほうがずっと楽しい――――そちらの方がずっとずっと幸せに生きられますわ。
今からでも遅くはありません。姉さまも、もっときちんと、自分の想いと向き合ってください」
ラルカはそう言って、メイシュの頬を包み込む。
ああ――――もうどんな言葉も、行動も、ラルカを縛ることはできないのね。
艶やかに笑うラルカはあまりにも美しい。
目を奪われつつ、メイシュは呆然とその場に立ち尽くした。




